Quoraで面白い質問があった。畳の縁を踏んではいけないのはなぜかというのである。ここから日本人が正解を形成する過程について考えたい。注目ポイントは正解が作られるとそれが一人歩きして修正できなくなるという点である。
畳の縁問題についていろいろ調べてみたのだが様々な説があり正解がない。
- 畳は高貴な人の使うものだから粗末に扱ってはいけない。畳には陰陽五行説に基づく結界の意味がある。畳の縁には家紋などを入れるのでそれを疎かにしてはいけない。
- 畳は高価なものだから縁が擦切れるような歩き方をしてはいけない。
- 畳の縁には刀が差し込めるので暗殺される可能性がある。これは武士の作法だ。
もともと畳は貴族のマットだったのだから最初の説も「なくはない」のだろうが、書院造りができた時にはすでに総畳敷きの部屋があったそうだ。茶道が生まれ茶道の礼儀が一般化したと考えると説1には説得力がない。さらに説3もなくはないだろうがちょっとこじつけっぽい。
説2はどこかケチくさいのだが、畳は高価なものだったのだからこれが一番有り得るのではないかと思う。さらに「家の敷居を踏むのも良くない」とされている。だから、そもそも段差は危ないががさつな人はつい踏んでしまうので「お行儀良くしましょう」という単純なマナー論と経済的な理由が合わさって「踏まないようにしましょう」となった可能性が高い。
ところが一旦「畳の縁は踏まない」という正解が作られるとそれが一人歩きする。茶道は流派によって「畳を何歩で進むか」が決まっているらしいということがわかった。定式化して権威となりそれが流派を区別するのに使われるようになる。
一挙手一投足に気を使えという精神があり、それが「正解」になりこていされるのだ。畳の目の数も決まっていて道具を置く位置や座る位置がそれによって定義されているという驚くべき情報も見かけた。おそらく畳にマーカーを付けるわけにはいかなかったので畳の目で位置を決めていただけなのだろう。
だが、一度正解が作られるとそれが神格化されてゆく。茶道のレイアウトは「陰陽五行説によって形作られている」とするものまであった。これは当時の人が考えた「もっとも科学的で権威がある」理由付けだったのだろう。ただ、それがどう陰陽五行説と結びついているのかを説明したものは見つけたがどこか「呪いめいた」書き方になっている。この書き方で十分なのは正解は権威付けに使われるだけだからだろう。本来の理由付けなどもうどうでもよくなってしまうのである。
日本人は正解を作りその正解を他人に押し付けることで「形」を作って行くことがわかる。そしてその正解によって流派ができる。集団で正解を守り合う構造を作るのだ。この過程でもともとのリーズニング(論理的な理屈付け)は忘れられてしまう。プロセスは気にせず結果としてできたフォーマリティ(形式)だけ非常に気にする文化なのだ。
もともと畳の縁や敷居は段差になっていて危ない。落ち着きのないがさつな人や子供が「お行儀悪く」こうした縁を踏むことを危ないと思った人がたしなめるために始まった可能性が高い。さらに縁を踏むと縁が痛むという経済的な理由があって、それがだんだん正解になって行ったと考えるのが自然だ。
最後には「畳の縁を踏んではいけない」という正解が残り、当初の理由付けは失われてしまっている。ところがそれを他人に説明しなければならないから「結界だ」とか「武士が殺されるのを防ぐため」というような理屈付けが後になって語られることになるのだろう。
今回は畳の歩き方ということを勉強したのだが、日本人がどのように規範を組み立ててゆくのかがわかって面白かった。
この方法の欠点を考えたのだが、おそらくは正解ができてしまうとそれを変えることは難しいというのが最大の欠点なんだろうと思った。茶道は畳敷きの生活が基礎になっていて流派によってマナーが違う。このため例えば「椅子生活にあった茶道」を作ろうとすればそれをすべて捨て去って新しいものをつくるか、あるいは椅子を排除するしかない。現在の日本が変われなくなってしまったのは、このような古い正解のせいで身動きが取れなくなってしまったせいなのではないかと思った。つまり日本人は茶道を守るために椅子での生活を拒否しているような状態になっている。