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2020東京オリンピック札幌マラソンと庶民の嫉妬

IOCの鶴の一声から始まった「2020東京オリンピック札幌マラソン」騒動がひと段落したようだ。これを見ていると日本人の村落的な問題解決方法とその欠点がよくわかる。日本は「協力してはいけない社会」になった。協力すればするほど誰かに吸い上げられるという社会なのである。

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日本人は勝利を宣言してはいけない

北海道新聞(どうしん電子版)によると、札幌市長と北海道知事がマラソン札幌決定を受けて記者会見したそうだが、札幌市職員から「笑ってはいけない」とアドバイスを受けたそうだ。

これを見てモンゴル出身力士がガッツポーズをとって「横綱の品格にかける」と非難されたのを思い出した。相撲は皆様のおかげで勝てましたと言わなければならない社会だ。つまり、勝利の喜びはファンやサポーターに取り上げられてしまうという社会である。日本人力士がそれに耐えるのは現役を頑張れば自分が巻き上げる側に回れるからである。モンゴル出身者はそれができるかどうかが明確ではない。そこで軋轢が起きたのだった。

札幌は「棚ぼた式」でオリンピックが転がり込んできたと見なされているようで、中には泥棒と非難する人までいるという。札幌を泥棒呼ばわりした人は東京都民である自分がマラソンを所有していると思っている。合理的に考えるとめちゃくちゃな話だが、日本人の道徳では明白な勝利というのは周囲に対する盗みだとみなされてしまうのだ。相撲ファンが自分がモンゴル人力士を勝たせてやったと信じているのと同じことが起きているのだ。

努力は努力した人が勝手にやればいい話であって、勝利の名誉はみんなに分配される。日本は潜在的には収奪社会である。勝者が勝利を表明することは名誉の私物化にあたり掟破りなのである。これを面倒だとか遅れているという人はいるのだろうが、実際に自分が敗者の立場に立てば多分同じような感覚を抱く人は実は多いはずだ。

札幌はこれまでにマラソンを成功した実績があり今回のオリンピックを勝ち取ったのだろうしこれからも成功に向けて誰からの支援もなく努力しなければならない。ホテルも足りないようだし冬には準備作業ができないのでこれからが大変だ。だが部外者はがそれに同情も協力もしない。代わりに「労せず得したな泥棒め」という罵声を浴びせ続けることになるだろう。

事前調整がないと揉める

こうした表向きの勝者を嫌う文化だが、さすがに儲けがないと誰も投資はしなくなってしまうだろう。だから、儲けの配分と支出については入念な裏でのネゴシエーションをする。表に出してしまうと取られてしまうので、裏で話し合うのである。日本人が意思決定を避け「持ち帰り」で議論を重ねるのはそのためである。では、それを無視して意思決定するとどうなるのか。

今回はIOCという決定権者が決断をしたことが非難された。自分たちに何の相談もなかったというのがその理由である。TBSのワイドショーでは恵俊彰氏が「納得行かない」と言い続けていた。「話を聞いていない」から私は協力しないというのはサラリーマン社会では実によく見られる話であるが一司会者であっても「俺に相談がない」と言えてしまう社会なのである。恵さんがオリンピックに支出するわけではないのでおかしな話だが、これに賛同した視聴者は多かったのではないだろうか。恵さんもまたオリンピックを所有した気になっている。

小池百合子都知事は北方領土でやればいいなどと言い放ってわがままぶりを発揮していたが「お金を払わなくていいし、セレブレーションマラソンをしてはどうか」とオファーを受けたようである。表立った意思決定を嫌う社会では意思決定に対する懲罰が行われる。と同時に「話を聞いていない」と言って協力姿勢を見せない人が得をするという「ごね得の社会」でもある。日本人は徹底的に表での協力を嫌がるのである。

合理的に考えると、せっかく招致が決まったのだからみんなで協力してオリンピックを成功させたい。ところが日本人にはそんな気持ちはない。だから誰も協力しないで負担を押し付けあう姿勢ばかりが報道される。劣化したわけではなくSNSでそうした日本の文化が露呈しただけなのかもしれない。

そればかりか国民・都民・道民はさらに負担を強いられるだろう。

東京セレブレーションマラソンは追加で費用がかかるはずである。貴族の集団であり地代で生活を支えられてきたIOCは庶民が進んで財産を差し出すのは当たり前だと思っているはずだ。IOCを作った貴族たちにとっては封建社会で権益が失われた現在で生き残るための新しい地代がスポーツイベントと広告なのであって、そこから利益を得るのは当然のことなのである。それをいけないことだと思うのは、我々が庶民だからである。貴族たちは選ばれた身分の人間が周囲から支えられるのは当たり前だと思うだろう。

広告費は現在の地代であるからいくら取っても構わない。取れなくなれば国が債務保証をするというのが最近の契約である。安倍首相はブエノスアイレスで高らかにこう宣言した。庶民の代表としてマリオという道化に扮してまで勝ち取ったプロジェクトなのだ。

さらに申し上げます。ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が、確証されたものとなります。

IOC総会における安倍総理プレゼンテーション

パラリンピックマラソンは東京でやるのでマラソンコース整備の負担金が減るわけでもないのだから、東京都民は追加負担を迫られるはずである。小池さんは都知事であるということだけを根拠に都民から税金を徴収することを自分の権益だと主張できる。さらに北海道も何も金を出さないというわけには行かないだろう。

小池百合子都知事は広告代理店などにプロジェクトマネーを追加で分配できる。まず準備不足で汗をかく北海道が責められ、黙って金を出す国民・都民・道民が負担を強いられるが議会があるわけではないので異議申し立てはできない。オリンピックは現在に蘇った封建社会だ。東京都議から国政に転じた音喜多議員は「IOCにお金を出してもらうために国際世論に訴える」などと言っているが、そんなアピールが国際社会に聞き入れてもらえるとは思えない。民主主義ではないからである。

封建社会では庶民は上から言われたら言われた分だけ差し出さなければならない。今回の騒動は、庶民的な道徳感情を核にして搾取される東京都民が同じ身分である北海道民を泥棒呼ばわりしているというだけの話なのである。

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