新しい教皇はイエズス会出身だそうである。ということで、イエズス会の歴史を調べても良かったのだが、代わりに聖書のエピソードを取り上げたい。「放蕩息子の帰還」というお話である。レンブラントの絵でも有名だ。
兄弟のうち弟が、父親が元気なうちから「財産の分け前が欲しい」という。その財産を処分し、弟は遠くに旅立ってしまったのだが、結局散在してしまう。食べるのにも困った弟は使用人でもいいからと考えて父親に赦しを求める。父はその息子を無条件で赦すのだが、兄はそれを認めようとはしない。そこで父は兄をたしなめるという話である。
この話には前後に別の例え話があり「正しい律法に基づいている人は、神様がなさるように罪人をも赦さなければならない」ことを意味しているのだと考えられてる。当時のユダヤ教と達は、宗教的な生活を実践しない人たちを差別していたのだが、キリスト教は、病気の人、貧しい人、そして罪人たちをも救済の対象にした。
現代日本であれば、弟は自己責任で破滅したのだし、実家に戻ってくれば兄の取り分が減ってしまうだろうと解釈されそうな話だ。
『放蕩息子の帰郷 – 父の家に立ち返る物語 – 』は、この説話とレンブラントの絵画に触発された著者が、弟の立場、兄の立場、そして父の立場について考えを巡らせている。
弟の立場に立つのは比較的易しい。誰でも罪の意識というものを持っていて、純粋なものに立ち返りたいと思いつつもいろいろ逡巡するものだ。そして、そうした罪を「無条件に赦されたい」と考えている。
ところが「兄の立場」について考えるのは難しい。こちらは奔放な弟をうらやましいと思いつつも、実際には旅立つ事ができなかった人である。正しい立場にあるにも関わらず「嫉妬」というネガティブな感情を抱える。どの人にも同じような感覚があるに違いない。正しい行いを実践している人が、なぜ罪悪感を感じ、叱責されなければならないのか。
著者のナウエンは司祭なのだが、ここから「自分が父の立場」つまり、司祭として息子たちを指導して行く事と無償で与える事の難しさについても考えている。父は無条件の許しを与える神だというのが、聖書の普通の解釈だろう。
キリスト教の伝統的な解釈から外れると、これを一人の人が抱える問題だと捉え直すことができる。ある人が、心の中に欠落感を抱えている。それはなんとなく「昔に旅立ったまま帰ってこない息子」のようなものだ。ところが、ある日その人は「放蕩息子」を自分の中に見つける。そのまま祝福してやりたいが、一方で「まじめに生きてきた部分」があり、どうにも納得できない。そもそも自分がやってきたことのうちにいくつかは全く人生の無駄遣いなのではないかと感じるかもしれない。これをどう捉えるべきだろうか。
この2人の息子は、その人が持っている人格の多様性のようなものである。つまり祝福されたあるべき性質というものはすくすくと伸びて行く。その人の全人格のように生育する。ところが、人にはそれだけでは満たされない部分というものがある。祝福された性質に隠れて伸びる事ができなかった「劣等な性質」というものだ。ある日それを見つけて「劣等な性格に立派な着物を着せてやり」祝福することにする。つまり、放蕩息子に立派な着物を着せてはじめて、全人格が揃い喪失感がなくなるわけである。こうした感情を人生の成長の時期に持つのは難しいに違いない。
この物語には「なぜ、弟は出て行かなければならなかったのか」が全く描かれていない。「単なる放蕩」として語られる。もしかしたら、立派な片一方の人格の裏で育つ事ができなかった別の何かがあるのかもしれない。しかし、それを無視する事はできない。なぜならば、それも含めて個別の何かだからだ。
そして、出て行ったものを再び迎え入れることが「全くムダな行為なのか」という点も、実は考察に値する。弟は「全く無駄だった」と考えているらしいが、出て行く前の状態と戻ってきてからの状態は、単なる現状復帰に見えても、異なる状態のはずだからだ。
このようにこの逸話にはいくつかの解釈の仕方があり、どれが正解ということは言えないのではないかと思う。
さて、ローマカトリックは、現在問題を抱えている。法を守っているように見えて、内部では権力闘争や性的な退廃を完全に排除すること事ができない。ヨーロッパではこのことに失望した人たちがいて、カトリック教会からの離反もある。一方、イエズス会のように「外に出て行って」現地の文化を受け入れつつ、独自の経験を積み重ねてきた人たちもいる。ローマから見ると「必ずしも純粋とはいえない」かもしれない。
ベネディクト16世は、1981年から教理省の長官としてヴァティカンにいた。一方、新教皇にはローマでの経験がほとんどないそうだ。しばらくの間、ローマカトリックは、名誉教皇と教皇という2名の教皇を戴くことになる。