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東京2020オリンピックは衰退した日本の悲鳴

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東京2020オリンピックがIOCの「英断」によりマラソンなどの競技を札幌に移すことに決まった。前代未聞だそうである。

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この問題の本質はお金だろう。移転を言い出した人が移転費用を支払わなければならないのだ。スポーツ報知によると事前調整が行われてきたことは明白であり「知らなかった」というのはすべて嘘である可能性が高い。

IOCのコーツ調整委員長は16日、「先週には(北海道出身の)橋本聖子五輪相が前向きであることも知った」と、事前調整があったことをにおわせた。また8日には、組織委は五輪チケットの2次抽選販売を突如、延期すると発表。この時点で見直しの検討が進んでいたもようだ。組織委の森喜朗会長は、9日には安倍晋三首相、10日には橋本氏と一緒に札幌市の秋元克広市長と会談。その場でIOCの意向に関して協議があった可能性もあるという。

極秘に進んだ五輪マラソン・競歩の札幌開催…北海道出身・橋本五輪相が「前向きだった」

力強いリーダーであるはずの安倍首相まで連座しているのだが「腹をくく流からどんと任せろ」という人はいないかった。皆、知らぬ存知ぬで押し通すつもりなのだろう。政治も安全保障も全てそうなっているわけでオリンピックも例外ではない。

安倍首相はマリオの道化としてのみ存在しており、実際の議論は菅義政官房長官・橋本聖子オリンピック担当大臣と小池百合子東京都知事の間で行われている。その議論とは「誰が金を出す出さない」問題だ。だが小池さんがIOCからスルーされたことを考えると事前に話が入っていた国側が財政保証することになるのだろう。すなわちこの議論さえ嘘である可能性があるということになる。単に手続き上のパフォーマンスである。

1964年の東京オリンピックは「オリンピックを成し遂げて世界に成長した日本を見せたい」という価値創造型のオリンピックだった。2020年の日本には分配型のリーダーしかいない。だから最初から日本には価値を創造するオリンピックを実現することは無理だったのである。身の丈に合わないことをしたとも言えるし、かつてできていたことができなくなってしまったとも言える。

誰も金は出したがらないが日本は国としては未だかつてなく豊かである。外国からの利子収入などがあり国全体では毎月2兆円の黒字とも言われている。意志さえあれば金は出てくるはずだ。つまり、お金ではなくリーダーシップの問題なのだ。

日本にはリーダーシップがないだけでなく技術的にもついて行けなくなっている。とにかく約束したことが実行できない。リーダー不在の中で技術者だけが懸命に頑張るのは虚しいだけだ。高い見積もりを出しておかないと不足金を後で請求することはできない。

2015年にはザハ・ハディド氏の新国立競技場問題がおきた。建築家たちが理想を高く掲げたはいいが、現場レベルで「とにかくあれができないこれができない」という話になった。ハフィントンポストに当時の記事が出ているが、今読んでみても責任の所在は明確ではない。壮大なビジョンを掲げたものの、結局ゼネコン主導のそこそこのものしか作れなかった。建築家たちが理想を実現したいならやる気がある国に出かけてゆく必要がある。日本にはもう無理なのだ。

2015年の同時期にはエンブレム問題もあった。開かれたオリンピックという触れ込みだったが広告代理店がそれを扱いきれず指定コンペをオープンコンペに偽装したというのが最初の問題だった。ところがこれが偽装・盗作問題になり炎上した挙句、デザインの白紙撤回を余儀なくされた。広告代理店が使っていたデザイナーは「他のデザイナーからインスパイヤーを受ける」という「盗作」の常習者だったというのがオチだった。

この2015年の出来事で建築と広告の巨人が国際的なスタンダードについて行けなくなっているということが明らかになったのだが、日本人はこの時それを総括しなかった。この二つの問題が「ふわっと」「なんとなく」通り過ぎたのはそれを伝えるのもまた国際的なスタンダードについて行けないマスコミだったからだろう。

2016年5月になると誘致に関してアフリカに多額の資金を流していたという疑惑が持ち上がった。日本メディアが口を閉ざす中でイギリスのガーディアン紙が発信元になりくすぶり続けた。実情はよくわからなかったが、のちに竹田JOC会長外しに発展した。今回IOCが強権を発動した形になっているのは、今までなんとなく間に入って納めてきた竹田会長の不在の影響かもしれない。

誘致の際猪瀬東京都知事は「今回のオリンピックは世界一金のかからないオリンピックだ」と言っていたが、彼がこの発言の責任を取ることはなかったしできなかった。途中で退任してしまったからである。その意味では最初からコンセプトが実現できない国であるということはわかっていたし、その不甲斐なさは終始一貫している。

今回バッハ会長が「決断」したことで費用はさらに膨らむだろう。議論が進めば進むほど日本は大きなプロジェクトが回せなくなっているという現実を目の当たりにすることになる。

日本は約束したことが守れない国になったが、誰も責任を取らない社会である。しかし、その現実を目の前に突きつけられても日本はオリンピック開催に突き進まなければならない。社会の衰退というのはこういうことなのだろうと思う。

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