東京電力福島第一発電所の廃炉作業に外国人を使うというアイディアが撤回されたという。朝日新聞が伝えている。この記事を読んで日本人の自国民に対する冷酷さについて考えさせられた。
日本人は仲間内での議論に疲れると誰が犠牲者を差し出して問題解決を図ることが多い。例えばアメリカの機嫌を損ねるのは嫌だが戦争には行きたくないという場合、沖縄の基地を差し出して「納得してもらう」というのはまさにその一例だろう。少子化に疲れ除染対策に疲れた日本人は外国人に犠牲になってもらうことを一度は決めたらしい。だが、それができなくなった。
朝日新聞の記事で考えさせられたのはまずベトナム政府が法律を作ってこうした危険を防いでいるということの意味である。朝日新聞は大使館の言い分しか伝えておらずその背景事情がわからない。つまり、キレイ事を言っているが実は黙認するのではないかと疑ってしまったのだ。
ベトナムには放射線汚染だけではなく戦地にも労働者を送ってはいけないという規定があるそうだ。
「ベトナムは1980年から労働者を(外国に)派遣しています。ベトナムの海外派遣法では『放射線量が高い現場には行かせない』とある。ここには『戦争の地域に行かせない』ともあるので、イラク、イラン、リビアでは戦争になったときにみんなを引き揚げさせ、帰国させました。リビアからは1万人が引き揚げました。2011年の原発事故では、福島から群馬に移動させました」
「廃炉作業に外国人労働者を」の波紋――先送りになった東電計画の底流
ホァンさんは、法令集の文字に黄色いマーカーを引いていく。
「ベトナムからは20代前半の若い人たちが、家族のために(日本へ)働きに来ます。将来のために働くのですから、健康第一です。原発には行かせません」
ここにはベトナムならではの複雑な事情があるようだ。ベトナムは新興国なので「労働者を輸出品として扱っている」ようだ。2003年には5万人派遣という目標があったそうだが、2007のWTO加盟を挟んで近年では14万人にまで増えているという。そして日本は多くを受け入れている。ただ、この労働力は本来国の未来を支えてもらいたい人たちである。つまり若い頃は海外で働いても将来的には帰ってきてもらって自国経済を支えてほしいと思っているようなのだ。
日本人にとっては単に使い捨ての労働力なのだろうが、ベトナムにとっては金の卵であるという意識の違いが見られる。
日本人はそもそもアジア人を下に見ている上に「金に困っているから出稼ぎに来ているんだろう?」という蔑んだ気持ちもあるのではないだろうか。さらに日本はかつて余剰労働力を海外に「捨てた」経験がある。楽観的な宣伝文句で移民を送り出してそのあとの面倒を見なかった。日本人は同胞に優しくない。同胞は単にライバルであり助け合う存在ではないのである。だから、日本人も海外からの短期労働者に同じような感覚を持ってしまうのだろう。
さらに、この記事には面白いことがもう一つ書いてある。SNSが発展しているというのだ。
長年ベトナム語の通訳を務めてきた男性が、その内容をベトナム語に訳してSNSで紹介すると、ベトナム人たちから次々と反応があった。最も多かったのは「知らずに連れていかれたらどうしよう」という困惑の声だった。
「廃炉作業に外国人労働者を」の波紋――先送りになった東電計画の底流
ホフステードの文化指標を見るとベトナム人は日本人より従順だが、横の連携を重要視する共助型の社会のようである。こんな社会では誰かが騙されればその噂があっという間に広がるだろう。
Twitterを見ると日本人は孤立していてそれぞれの主張を叫び合っているというような状態にある。これは日本人が競争型で助け合いの気持ちを持たないからである。だがベトナムは多分そうではない。
SNSが発展し相互扶助の考え方の根付いたベトナムで「自国政府が外国政府と結んで国民を危険なところに連れて行った」という噂が立てばばどんなことになるのかを考えてみると良い。ベトナム政府が自国民を「本当に危険な労働」から守る十分な動機になりそうである。
問題は日本人がその意識にどこまでついてこれるかである。日本人は従順で孤立したベトナム人を便利に使おうとするだろう。だがその背景には連携意識の強いベトナム人の独自の文化や国の事情があるかもしれないのだ。
日本人が「外国人に危険な仕事をさせて使い捨てればいいのでは?」と考える裏には、遅れた国は「自己責任でそうなったのだろう」というおごった気持ちがあるのだと思う。そして、自国民に対しても同じ目線を向ける。人口が43万人も減っているというのに少子化はわがままな今の世代のせいであると非難し続けており、必要なサポートはしない。つまり集団化した日本人は支援しないことを含めて、搾取を搾取と思わないのである。
日本はアジアの中では極めて競争的な文化を持ちそれが経済発展のドライバーになっていた。しかし、世界の情勢が変化する中でその競争心が裏目にでつつある。あまりにも無慈悲なのでアジアの国々と仲良くできず浮いてしまうのである。特に高度経済成長期に多感な時期を過ごした人たちが現代の若者を非難し外国人を搾取しようとする裏には強烈な成功体験があるに違いない。それがいろいろな意味でこの国の首を絞めているのである。