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アベノミクスと戦争に引き入れる手口は似ている

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前回「バカ」について観測する過程でアベノミクスを肯定する人を見た。政権側が準備した言い訳を使って「アベノミクスはうまくいっている」と言い続けていたのだが、消費税が10%にあがると全てがダメになるとも付け加えていた。消費税は予定通りに上がりそうなのだが、この人はどんな感想を持つのだろうと思った。多分追認するのではないか。

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アベノミクスが全く失敗だとも思わないのだが、構造的にはかなりまずいことがある。給料が下がり続けているのである。もちろんこのトレンドはバブル崩壊後から続いているので安倍首相が全て悪いということを言うつもりはないのだが、それを放任するどころか助長しかねないところに安倍政権の危うさを感じる。

政府が人件費抑制に手を貸しているので、企業はどんどん人件費を削る方向に向かいつつある。結果的に企業のケイパビリティは削られてしまうのだがみんなが同じ方向に向いているのでなかなかそれに気がつかない。

終身雇用は将来高い給料を支払うという約束をして若い労働力に依存する制度なのだが、結果的においしいところだけをとって高い人件費を支払わずに済ませようという人たちが続出している。高齢者は雇い止めにする。最近Twitterで流れてきているところでは45歳以上の人たちのリストラがいろいろな企業で始まっているのだという。しかし少子高齢化で搾取できる若者は減ってきているので、これを海外からの労働力で穴埋めしようとしている。しかし、今度は賃金の高い都会に人が流れるので全国一律の最低賃金を導入しようという検討も始まるようだ。こうした動きは企業だけでなく私立学校にも広まっているようである。教育ではなくビジネスとして学校を運営しできるだけ人件費を抑制して儲けたいという人たちが大勢いるのだろう。

こうした動きを止めるためには、ある程度賃金を上げてそれについて行けなくなった経営者たちを切って行く必要がある。だが、自民党にしろ公明党にしろ地方の経営者に支援されている政党なのでそれができない。

本来なら労働者たちは安倍政権を見限りそうなものなのだが、実際にはそうなっていない。前回は党派性で説明を試みた。確かに運動会は人を夢中にさせるところがあり、これで説明できるところも多そうだ。だが、実際にアベノミクスに取り憑かれた人たちを見ていると、単に競争に夢中になっているようにも思えないのである。それくらい普通の人たちの間にも「病としてのアベノミクス」が浸透している。

いろいろ考えてみたのだが「私たちはこんなきつい状況の中でも働いているのだから、ラクをしようという人たちが許せない」という気持ちがあるのではないかと思った。つまり辛いのにアベノミクスを見限らないのではなく、辛いからより応援するのではと思ったのだ。「こんなに辛いのに俺はまだゲームができている」という気持ちが人々をアベノミクスにコミットさせているのではないかということだ。彼らはむしろ「成功者」としての万能感を持っているのかもしれない。

もちろん、これを科学的に検証するのはなかなか難しい。何かの質問や統計を調べてみようと考えてみたのだが、こうしたマインドセットを説明するような資料が見つかりそうな気がしない。

こう考えたのは「アベノミクスは総動員の戦闘態勢に近いのではないか」と考えたからだ。戦時中を扱ったドラマでは全ての人が「戦争に疑問を持っていた」ということになっているのだが、それは嘘だ。実際には「お国のために我慢しろ」といってプレッシャーをかけてくる近所の人たちというタイプキャストが出てくる。婦人会だったり防火訓練のおじさんだったりする。しかし彼らには彼らなりの動機がある。例えば「息子を戦死させてしまった」人はどうにかして戦争状態を正当化しなければならない。戦争を無意味なものと認めてしまうと、その瞬間に無駄に息子を失ってしまったことになるからである。

むしろ戦争で儲けた人たちは他人に辛さの共有をしない。彼らは「自分たちだけが得をしている」ことを知っているのでそれを知られたくないのである。こうした人たちを戦争を礼賛しない。むしろ戦争で辛い思いをしている人ほど、他人にもその辛さを押し付けようとするのだ。

冷静に引いて考えると「人材が足りなくなっているのにより低賃金に流れて行くのはおかしい」と思えるわけだが、それがなかなか受け入れられない。それはすでに我々のマインドセットが新しい戦時下に突入しているからなのだろう。そしてこの戦争はまだら模様になっている。全く感じていない人もいれば、ものすごく不機嫌な人もいる。例えば、コンビニでたまにものすごくイライラしている人を見ることもあるし、道路をとてつもない速度で飛ばしている人たちもいる。緩やかな日常と戦争状態がまだら模様になっていてとても見えにくくなっているのだ。

だとすれば、我々が社会としてできることは一つしかない。説得も世界の共有もできないわけだから、死ぬまで戦争を続けるか、社会全体が惨めな敗戦を迎えることだけが唯一の解決策になる。人々が協力すれば乗り越えられるはずなのに「本質的に解決できないのではないか」というのは極めて残酷な話に思える。

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