ざっくり解説 時々深掘り

国会というよりアメフトに近い参議院の<論戦>

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一時間だけ我慢して福山哲郎さんの質問を聞いた。結論から言うと「院内妨害活動」の一環であり、見なくてもいいやと思った。全く議論になっていなかったのである。

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福山さんは辺野古の基地建設について聞いていた。安倍政権は「沖縄は勝手に住民投票をやったが、俺たちは基地建設を進めるもんね」と言っている。住民自治の原則を踏みにじるものでありこれ自体は許されるものではなさそうだ。だが同時に「最終決定するのは有権者」というのも民主主義の原則である。これを深掘りしても意味がない。安倍総理は国民の大多数がこの件に関心がないことがわかっていてやっているから反省など引き出せないのだ。

次に福山さんは「沖縄県が埋め立て承認差し止めをしているのだから工事を差し止めるべきでは」と言っていた。これも筋論としては正しい。これに対して防衛省は「決定の不服申し立て」をしているのだが、不服申し立ては住民が県に対して行うものであって行政府が行うべきものではない。が、これも司法は行政に手出ししないだろうという見込みの元に行われている。なので、これも不毛な議論に終わった。

福山さんが持って行きたかった結論は「想定外の事情(軟弱地盤の改良)が出てきたので工事に十年以上かかりそうですね」というものだったようだ。防衛省の担当者は数十分の不毛なやりとりの末にこれを認めたのである。福山さんは最終的に試合には勝ったのだがかなりの時間をこれに使ってしまった。

福山さんが安倍首相に「これは実質的な普天間基地の固定化なのではないか」と問い詰め、色をなして「民主党時代には何もできなかったのではないか」と感情的な反論をして議論は終わりになった。その間具体的な問題は何一つ解決しなかった。

この間行われているのはゴールのない「アメリカンフットボール」なのである。野党側が押し、与党側は「ここまでだったら下がっても良い」と作戦会議をしている。アメフトは前進後退を繰り返して最後にゴールにボールを持ち込めば決着がつく。だが、国会のアメフトにはゴールがない。つまり、前進と後退をただ繰り返すだけなのだ。

福山さんのやりたかったことはNHKのカメラの前で安倍政権の負けを晒すことだった。一歩前進すればよいのだ。だが「この時間にもっと別のことを聞きたかった」と思っている国民は多いはずだ。日本社会は解決されていない多くの問題を抱えている。それは全く解決していない。ただ、野党が一歩前進したことを喜ぶ応援団は多少はいるだろう。

日本人が議論を嫌がるのは「勝ち負け」を嫌うからである。負けは議論に負けたということを意味するのではない。全面的に人格が否定されたということを意味している。だから、いったん試合が表面化するとどちらも後に引けなくなってしまう。対立構造が固定化してしまうのである。改めて、日本では勝ち負けがはっきりした政権交代は難しいなあと思った。

否定された側は全面的に人格否定されたと感じ「一切の協力」を拒絶するようになる。そしてもう一度政権交代が起こると「前の政権は全てダメだった」という。結局、政党というグループに別れた運動会になり国民を巻き込んでしまうのである。戦前の政友会・民政党系による二大政党制の時代にも不毛な議会運営が横行し、それがのちの大政翼賛会や軍部の暴走につながってゆく。日本人は戦前に起こったことを再現しているのだが、それを忘れてしまっているのである。

ここまでを書き終えても、福山さんの質問はまだ続いている。今度は、厚生労働省の毎月勤労統計の問題で、樋口委員長が「自治体ヒアリングの議事録はあるが手元にないから答えられない」と言い出した。これを指示しているのは自民党側の筆頭理事である。これはもう国民の代表である議員を愚弄する「違法タックル」そのものである。多分安倍監督が理事に指示を飛ばし選手である樋口さんが「メモがないからちゃんとしたことが言えないや」と言わされている。日大の違法タックル事件との違いは「樋口さん違法タックルした選手のように反省しない」という点だけだろう。

このタックルの効果はてきめんだった。一時間半経ったところで一旦休憩となり裏で作戦会議が始まった。せっかくNHKの中継まで入っているのにわざわざ「議事録の記録が残らずカメラも入っていない」ところに隠れて、裏で試合を始めてしまったのである。日本人は表で対立が表面化すると後に引けなくなる。彼らの後ろには大勢の応援団がいるからだ。だから、後ろに隠れて作戦会議をするのだろう。国会のアメフトはルールさえきちんと決まっていないのだ。

裏でこそこそやるなら、もう議会なんかなくてもいいのではないかとさえ思う。出来損ないのアメフトもどきの試合にいくら金をかければ済むのかという憤りしか残らないからだ。この参議院の<論戦>は専門性がなくゴールすら明確でない議論ほど無意味なものはないということを再確認させられただけだけにおわった。

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