このところ、日経サイエンスが面白い記事を載せている。一つはサイコパスに関するもの(日経サイエンス2013年2月号)。そして今月は理系脳と自閉症の関係(日経サイエンス 2013年 03月号)について書いている。
自閉的な傾向とは
「自閉的な傾向」とは相手の言っていることがうまく読み取れない特性だ。相手の気持ちを読み取れない代わりに、一つのことに執着する傾向を見せることがある。自閉的脳は世界を「パターン化・システム化」したがる脳だということが言える。そして、自閉症の子どもの親は有為に高い確率で科学者なのだそうだ。故に科学者の適性と自閉的な傾向にはつながりがあるものと類推される。数学が得意な学生も自閉的特性(AQ)が高い人たちがいる。調べてみると、胎児期に浴びるテストステロンの濃度などが関連しているらしい。
「自閉的傾向」といっても、ある境界で「正常」と「異常」が区切られているというようなものではない。故に、境界にいる人たちは「なぜか相手を怒らせてばかりいる」とか「空気が読めず、顰蹙を買う」というようなことが起こるかもしれない。「共感」とは相手の気持ちを読んで、その場で適切に対応する能力だ。特に「集団に従う」ことを要求される社会では居心地の悪い思いをする可能性もあるだろう。
自閉的傾向の人たちが集る地域と職業
こうした特性の脳が世界中が集ってくる地域がある。記事によると、シリコンバレーでは自閉症児の出現する確率が高いのだそうだ。金融高額やゲノム解析などに欠かせないプログラマの適性は高い付加価値をうむ。つまりこのような特性は「異常」というよりは、アウトライヤーである可能性が高い。逆に「お互いの気持ちを読み合うばかり」の教育が、こうした高い能力を持った人たちを排除してしまう可能性もある。潜在能力が高くても、「自分は社会からの落伍者なのだ」と認識してしまえば、その能力が伸ばされることはないだろう。
アウトライヤーが切り開く可能性
現代は「モノ作り」が一段落して、より高い精度で消費者と感性を一致させることが必要な時代だ。だからより「共感」が求められるのだと考えることもできる。ところが何が共感なのかと問われると、よく分からないことが多い。
まず、自閉脳とパターン認識の関連で見たように、消費者の反応はある程度パターン化できてしまう。このため、データさえ集める事ができれば、あとは自動計算ができるようになるかもしれない。また、相手と共感できないが故に「より適切に」共感関係を築くことができる特殊な人たちもいる。
サイコパスの人たちは、相手を思いやる回路に欠落がある。このため、大抵のサイコパスたちは、社会生活を破綻させてしまう。しかし中には過剰に適応している人たちがいる。この人たちは相手を騙すことをなんとも思わず、むしろゲームのように楽しむ事ができる「天性の詐欺師」のような人たちである。彼らは相手の思っていることが手に取るように分かってしまうので、表面的にはとても魅力的に見える。ところが実際には、相手とは全く共感していない。むしろ「どうやって、相手を騙してやろうか」などと考えているのである。
変わり続ける自閉的傾向の位置づけ
アメリカでは、サイコパスや自閉症という正常範囲から外れた脳の特性をどう位置づけるかについて、様々な研究や議論があり、最近も区分が変わったばかりだ。サイコパスという言葉自体も精神医学では使われなくなりつつあるそうだ。
詐欺を働くと犯罪者だが、このような能力はいろいろなところで活かすことができる。犯罪に手を染めさえしなければ、相手に心地よい言葉をささやきかけるマーケターになれるだろうし、お互いの協力関係がすべて利害につながっている企業のトップにも適した才能なのかもしれない。ビジネスの現場で「善悪の判断がつかない」ことが問題にならないことが多いのもまた事実である。
過剰な脳の進化によって支えられた危うい社会
日本は、集団で面接し相手の気持ちを読み合うような作業を延々とくりかえす。こうした作業の結果「共感できない」人たちが排除されてしまう可能性は否定できない。また「どうしても子どもを愛せない」という母親が期待される母親像とのギャップに苦しむことがあるが、女性も男性よりは確率が低いとはいえ、こうした傾向を持っている人たちがいるのだそうだ。さらに「共感」といっても、相手の気持ちを読み取る能力や相手の喜びを自分の喜びにすることができる能力など複数の能力の組み合わせになっていることも分かる。
もともと脳には多様性がありそれぞれ得意分野がある。これを活かす事ができれば、社会の成長に貢献するだろう。逆にヒトの脳は進化しすぎたために、社会生活を営むうえで正常と異常ぎりぎりのところで危ういバランスを取っているのだと考えることもできる。