最近、秋に収穫をしたトウガラシを使ったペペロンチーノを作っている。
単純なパスタだが、水とオリーブオイルを混ぜ合わせる乳化という作業があり、なかなか難しい。
単純なだけに却って熟練を要するように思える。なんとなく挑戦しがいがある料理なのだ。
さて、パスタといえばイタリア料理である。日本風の食材を使うと和風のペペロンチーノができる。ほとんどそうめんなのだが、それでもなぜか「これはイタリア料理なのだ」という気分になる。多分スパゲティのソースもイタリア風の名前をつけたほうが売れるに違いない。
なぜヨーロッパではイタリア人だけがパスタを食べるのか気になって調べることにした。以下『ヌードルの文化史』を参考にした。
小麦は中央アジアからイランのどこかに自生していたイネ科の作物だ。これを乾燥させて持ち運んだのもこの地域の人たちなのだそうだ。これが東に広がり「麺」と呼ばれ、アラビア経由でヨーロッパに持ち込まれたのが「パスタ」だ。中央アジアやロシアにも小麦を加工した食品は広く食べられている。
イタリア人も古はからパスタを食べていたと主張する。当初彼らが食べていたのはヌードル状になったパスタではなく、シートになった今でいうラザニアのようなものだ。パスタはエトルリア時代の遺跡からも見つかっているのだそうだ。
現在の「パスタ」はシチリア島に持ち込んまれた。シリチアは当時イスラム圏だった。そこからジェノバやナポリに広がり、ナポリでトマトと出会った。当時南イタリアを支配していたのはスペイン人で、ラテンアメリカから持ち込まれたトマトやトウガラシなどと合わさって、現在のような形ができた。
このことから、現在のようなパスタは「イタリアでうまれた」というよりは、貿易の拠点として栄えた多国籍文化を背景に育ってきたことが分かる。
結局、どうしてヨーロッパでイタリア人だけが麺料理に取り組んだのかはよく分からなかった。スペインもかつてはアラブ圏だったのだが、こちらは、パエリアのような米料理は食べても、ヌードル状の料理はなさそうだ。ギリシャとトルコにはヌードルやパスタがあるそうだ。
日本人はヌードル状の料理を麺と呼ぶ。これらはうどんを含めて中国経由だと考えられている。特にラーメンは「中華料理」の一種と見なされることが多い。
ところが、台湾や中国では、日本人が想像するようなラーメンを見かけることは少ない。例えば台湾で有名な牛肉麺はどちらかといえば、牛肉のダシで食べるうどんみたいな印象である。
そもそも中国語の「麺」には「ヌードル」の意味はないそうだ。麺は小麦粉を練って作った食品全般を指す。
とにかく、大陸生まれとされるラーメンは日本に入り様々な変化が加えられるようになった。特に劇的な変化は、麺を揚げたインスタントラーメンだ。この時「即席うどんを作ろう」という発想にならなかったのは、ラーメンが外来食品だとみなされていたからではないかと思われる。うどんやそばのような既成概念がなかったから却って自由な発想ができたのだろう。
これがさらに国際化されてカップヌードルがうまれる。
私達が英語だと思っているヌードルだが、語源はドイツ語なのだそうだ。ただしドイツではヌードルに麺という意味はなく、国際化された結果「麺のようなもの」を表す言葉として広く使われるようになった。中国の「麺」が日本で「ヌードル」の意味を持つようになったのと似ている。
例えば、ソバは小麦料理ではないので中国では「麺」とは呼ばれない。そもそもソバは穀類ですらないのだそうだ。
このように食べ物には保守的な側面と革新的な側面が共存している。土着の食べ物に対しては保守的な気持ちが働き古い性質が残される。ところが、外国から持ち込まれた食品に対してはとても大胆な改良が加えられることがある。その一部が土着化して固定される。麺やヌードルのように、ある国でうまれた言葉が誤解された結果、別の国に広がることもある。
例えば、日本産とされる寿司はsushiになる。西洋人は生魚など食べないという日本人の常識に反して、アメリカ人はランチにスーパーで買ったsushiを食べる。その中身を見ると、アボガドやサーモンなどが使われていて、主食というよりはサラダの感覚で食べられているようだ。
21世紀はグローバリゼーションの時代と言われるのだが、実際には紀元前から国際交流があり、その結果私達の食生活は豊かになった。こうした交流からイノベーションがうまれることがある。