日産とルノーの提携の行く末について安倍首相とマクロン大統領が「立ち話」をした(朝日新聞)そうだ。背景にある事情はとても複雑だ。このニュースをうすらぼんやりと眺めてくると先進国が総斜陽化しているという姿が見えてくる。総斜陽化の理由も明確だ。人間は不確実な状態に置かれると過去をみてしまう。ここで変化を起こさなければならないとわかっていても過去の成功にしがみついてしまうのである。特に国内政治が行き詰っており暴動を抱えるマクロン大統領にとってルノーは溺れる時につかみたい藁のような存在になっている。
テレビ朝日のワイドショーがこの問題を扱っていたのをなんとなく眺めた。今自動車が売れるマーケットは中国なのだという。自称ジャーナリスト氏によると、フランス国内ではルノーの車が売れており日産はほとんど知られていないのだが、中国マーケットを取り込むためにはどうしても日産の技術が必要であるという。そこでマクロン大統領は日産の支配権を手放したくないのだというストーリーになっていた。日産の技術を取り込んで競争力をつけた上でフランスで車を製造して中国に売り込めばマクロン大統領の顔が立つというのである。
自動車産業が国策産業になっているのはフランスだけではない。Quoraでは、日本の自動車税は高すぎるし消費税をあげるたびに自動車の売れ行きが目に見えて落ちているから手を打たないわけにはいかないだろうという回答があった。消費税を上げると車が売れなくなるから後で減税を考えるというとてもちぐはぐなことが起きているようだ。
自民党はグランドプランから国内政治を組み立てられなくなっているということがわかる。財務省に言われて消費税を上げ、産業界から突き上げられて自動車減税を考える。すると減収を憂慮する地方自治体から突き上げられることになるだろう。野党も、とりあえずこれに反対する法律を出せば「対案」になる。お仕事完了である。
これにトランプ大統領を加えるとさらに話は複雑になる。トランプ大統領は中国に多額の関税をかけるといって中国を脅かしてきた。経済に疎いトランプ大統領は気がついていないようなのだが、実際にはこれはアメリカの景気を冷え込ませて自動車産業をアメリカから撤退させる圧力になるだろう。中国とアメリカが関税合戦をすればアメリカ国内生産の車が中国市場から締め出されてしまうことになる。ルノー・日産がどこに工場を構えるかはわからないが、これは日本とヨーロッパのメーカーに有利である。トランプ大統領がアメリカが不利になる政策を推進するのは彼の経済理解が1980年代後半で止まっているからである。
このように政府が右往左往する一方、産業界は生き残りをかけて未来を見ている。「大きくなって生き残ろう」という会社もあるのだろうが、大きくなって破綻した過去のあるGMはさらにその先を見ているようだ。GMはアメリカと韓国の工場の閉鎖を宣言した。CNNによると14000人の雇用が失われることになるそうである。アメリカと中国の交易が少なくなることを見越しての処置なのかと思うのだが、どうもそれだけではないようだ。
WIREDのこの記事にはGMは自動車は売れなくなるだろうという予測をしていると書かれている。つまり車は斜陽産業だと言っているのだ。だがこれを読んでもGMが何を言っているのかよくわからないという人がいるのではないかと思われる。タイトルが「車が売れなくなる」となっているが車がどれくらい売れなくなるかということは書いていない上に結末が「タクシーが走り回る」となっているからである。
現在は運転手が車を所有して自分で運転している。ところがWIREDの記事が見ている世界は自動的に制御されたシステムが無人タクシーが走り回っているというような全く別の世界だ。連続しているようには思えない。
よくわからないという人がいる一方で、すぐにわかったという「勘がいい」人もいるのではないだろうか。
「なぜか勘がいい人」は、GMの予測とWIREDの記事が正しければ、道路網や交通ルールも変えなければならないし、税金の取り方も根本的に切り替える必要があるのでは?と思うはずである。所有を前提にした税制システムが本質的に意味を失ってしまうということになる。これは大事件だ。
では「勘がいい人」はなぜそれがわかるのか。IQが特別に高いからなのだろうか。恐らくそうではないだろう。WIREDはハイテク系の雑誌なのでコンピュータに詳しい人たちが読んでいる。そして彼らはスタンドアロンのコンピュータが過去のものになり、ネットワークでつながった移動型の端末が主流になったという事例をすでに過去の事例として知っているのだ。WIREDが背景情報を書いていないのは恐らくそのためだろう。
さらに日本のコンピュータの産業史に詳しい人たちはこれが日本人の苦手とする分野だということもわかるだろう。日本人はコンピュータという箱を作るのはとても得意だったし、それを小型化する技能にも優れたものを持っていた。しかし、多様なスペシャリストを集めてチームが作れない。村社会を好むためにプログラミングとシステム化に失敗してしまうのだ。さらに世界のユーザーとかけ離れたガラパゴスに住んでいて世界市場の動向がわからない。
結局ハイテクで勝ったのはは音楽やアプリを売るためのエコシステムを作るのに長けていたアメリカ西海岸の人たちだった。担い手の多くはインドや中国からの移民だったのだが、彼らを通じて新興国の市場も理解していた、現在、技術者たちは中国やインドに戻り、例えば深圳を巨大な産業集積地にしている。アメリカは極端な「保護主義化」が進んでおり移民たちにとっては暮らしやすい地域ではなくなりつつある。トランプ大統領は実は自身の保護主義的な政策を通じてアメリカを中国マーケットから排除し、中国移民を現地に戻すことで中国の産業化に手を貸しているということになる。
多分、車でも同じことが起こる。この時に新しい車社会にいち早く対応できるのは中国やインドかもしれない。どちらにも極端な大気汚染問題があるが、車が普及する余地は残っている。一方で日本やフランスのような国は既存の車に合致したシステムができており、システム変更には社会的な抵抗が強い。排気ガスで青空が見えない北京ではクリーンな車が売れる。だがフランスからディーゼル車を排除するのは容易ではない。フランスでは脱ディーゼルシフトで黄色いベスト運動が起きて死者まで出ているのである。アメリカ車が大きすぎて日本で売れなかったように、大気を汚すディーゼル車は中国では売れなくなるのだ。
現在、車の工場をどこに持って行くかで壮大な政治競争が起きているわけだが、その背景にあるのは、時代の変化について行けていない各国のリーダーたちの右往左往ぶりと変化について行けない一般社会である。
私たちは日産の問題を産業小説を読むようなつもりで理解したつもりになっているのだが、実際にはもっと別の現象を眺めているのかもしれない。現在は、中国のような新興国が消費市場の先進地となる一方で、先進国と呼ばれていた国々が時代の変化について行けずに間違った判断をした過去だと評価される可能性があるのだ。