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秋篠宮の「政治的」発言

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秋篠宮様が、誕生日の会見で「大嘗祭の支出は公費ではなく私費から支出すべきではないかと宮内庁長官に主張したが無視された」という発言をされた。今回はこれについて考えたい。ちなみにこれについてはQuoraで質問した。政府の対応に問題はなかったという回答に多くの高評価が付いており、皇族といえど政府の対応に異議申し立てをすべきではないのではないかという「空気」があることがわかる。

天皇の政治的発言は憲法で禁止されている。さらに生活が国費で支えられていることから、天皇の家族である皇族も同じように政治的発言はできるだけ控えるべきという空気もある。しかし、これは平成時代の感覚だ。昭和時代や平成の初期には個人は自分の思っていることを言って良いという雰囲気が残っていた。冒頭のQuoraの反応をみると「集団で決めたことに異議申し立てをすべきではない」という気分が充満しているのかなという気がする。日本は確実に息苦しい国になっているのである。

昭和にはまだ皇族の数も多かった。特に三笠宮寬仁親王などは人身事故を起こして免許を返納したり「皇族の身分を離れたい」などと発言して問題になったこともあった。ただ寛仁親王殿下がこのような発言ができたのは、三笠宮家を継いでいなかったからだった。

また、皇室は別の問題にもさらされている。それが「一億小姑化」問題である。皇室は私生活一切を女性週刊誌から監視されている。そしてここに嫁いできた人たちは「世嗣ぎ」作りという重責にさらされて体調を崩してしまい、夫はそれをかばいきることができない。お人形として手を振っていれば良いという立場に甘んじてしまうと苗字と同時にプライバシー権という人権の一部がなくなってしまうという難しい立場にあるのだが、皇室は法律の枠外に置かれているのでその立ち位置を決めてくれる人は誰もいないのだ。

昭和の皇族が多かった時代には「本家」が発言できない分、脇の人たちが発言するということが可能だった。また寬仁親王のような「ちょっと型破りの」皇族がいたおかげで、まあ皇室の人たちも人間なのだからいろいろあるだろうという感覚があった。さらに、人間なのだからいろいろと言いたいこともあるだろうなくらいの理解はされていた。

だが、社会が閉塞すると「個人がごちゃごちゃ言い出すとややこしいからできるだけ黙っていろ」という雰囲気が生まれる。冒頭のQuoraの回答にはそのような意味があると思う。「他人の問題」については政府がみんなで決めたんだから個人がものをいうのは不快だという人が増えているのだ。

現在の皇太子が天皇に即位すると、皇室から「発言ができる大人」がいなくなってしまう。もちろんこれまで天皇だった人がこうした発言をすることは憚られるだろうし、天皇は一切政治的と取られなかねない発言は許されなくなる。そして秋篠宮様もクラウンプリンスになってしまうので、天皇に準じる扱いを受けることになり、政治的な発言は難しくなるだろう。

もちろん皇室はある程度の品位を守る必要があるのだが、政府の操り人形という地位を受け入れてしまうことはあまりにも危険である。国民は「みんなが決めたことに従っていればいいのだ」と考え、週刊誌からはプライバシーを見はられる。皇太子妃は男子が生まれないと言っては騒がれ、行事に出てこないと言っては噂され、デパートに出かけたとか貸切にしたなどといっては批判されてきた。さらに頼りにすべき保守思想家はおらず、国家神道系の人たちも影では「天皇は自分たちのいうことを聞いていれば良いのだ」と発言しているようだ。小堀邦夫靖国神社宮司の「はっきり言えば、今上天皇は靖国神社を潰そうとしている」発言は、普段から伊勢神宮でそのような会話がなされていたということの表れなのだろう。天皇個人の意向が全く無視されているだけでなく、天皇すら周りの人たちの考える「伝統とやら」に従うべきだという「怪しい空気」ができ始めている。

今上天皇は戦後始めて象徴として即位された天皇なので、ことさら政治的発言をしないように気をつけてこられたのだろう。しかし、現在の政府に対しては一貫した態度を持っているように思われる。朝鮮半島が敵視されるような発言がでれば私的な旅行として高麗神社を訪れている(Aera.dot)し、最近では浜松市外国人学習支援センターを訪れ(朝日新聞)日本語を学んでいる学生たちや日本語学習者を支援する日本人を励まされている。私的旅行の一環として行っている。

保守の人たちは認めたくないかもしれないのだが、平成はいわゆる保守と呼ばれる人たちと皇室の間に一定の緊張感があった時代であると言える。政治的発言ができないのをいいことに勝手に皇室を代弁しようとする人たちと、私的な空間での行動を通じて一定のお気持ちを示してきた皇室の間には溝がある時代だったのである。現行憲法は天皇の権力を縛ることには一生懸命だったが一切の政治的な発言ができないということで却って都合よく政治利用されてしまうという可能性については考えてこなかった。

この件は秋篠宮が政権に異議を唱えているように思えることから政権が気に入らない人たちから「政治利用」されかねないという側面もある。が、これをことさらに騒ぎ立てることは却って皇族の情報発信を難しくする。

もちろん秋篠宮がどのような気持ちでああした発言をされたのかはわからないわけだが、皇室の政治的な立ち位置と同時に「家族を守って行かなければならない」という父親としての普通の心情にも想いを寄せるべきではないかと思う。皇族メンバーが減少を続ける中「皇室はただおとなしく手を振っていればいいのだ」という「空気」に負けてしまうと、家族すら守れなくなってしまうという危機感があったとしても不思議ではないと思う。

天皇家の歴史を自分の権威づけに利用したいという人はたくさんいるのだが、一人ひとりの皇族の意見はそれほど尊重されていないようだ。日本は集団主義だから同調圧力が強いというわけではなく、日本人が心の余裕を失っており、他人の要望や幸せを考慮できなくなっているということなのかもしれない。

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