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食パンの歴史 – 白くてふわふわのイノベーション

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ヤマザキのランチパック

ヤマザキのランチパックという商品がある。1984年発売開始で、その手軽さから結構なロングセラーだ。日経トレンディーネットの記事によると2005年にリニューアルし、女性向けに「ケータイするランチ」でマーケティングした結果、2001年に59億円だった出荷額が2008年には400億円を目標とするまでになっているという。1日に100万個を出荷しているそうだ。この商品、ネットにいくつかのコレクションサイトもある。種類が豊富で毎月違った商品が出るし、地方限定もあるのでコレクション魂に火がつくのだろう。
ランチパックはパンというより工業製品のように作られている。実際には製造過程で耳ができているのだが飼料やお菓子の材料としてリサイクルするらしい。

こうした工業製品のようなパンは日本だけのものではない。

フランスパンのイノベーション

アメリカ人がフランスパンについて書いた「パンの歴史」には、パンを作るのは重労働だったというようなことが延々と書いてある。とにかく朝美味しい焼きたてのパンを食べるためには夜に仕込みをする必要がある。足を使わなければさばけないような大量の小麦粉を湿っ気た夜の地下室で延々とこね続けるのだ。これを救ったのは機械化とドライ・イーストという発明だった。フランスでは1960年頃から機械化が進んだそうで、それに連れて昔のパンの味が失われて行くと本の著者は嘆いている。

フランスのパン業界では直轄式という製造方式が主流になった。パンを仕込む前にイーストを入れ込む方式で、これだと短時間でパンが焼ける。フランスでは戦後一貫して労働時間の短縮が命題になり、この流れにイノベーションが合致したのだ。労働時間の短縮だけを行うと生産性は低下する。これにイノベーションを加えることによって初めて品質の向上が可能になる。しかし本の著者が指摘するように、イノベーションの向上により失われるものもある。

近代化の象徴としての食パン(プルマンブレッド)

ランチパックはバターやおかずの肉汁などのしみ込みを防ぐために特別キメの細かい食パンを使っている。食パンのことをイギリスパンつまりEnglish Breadだという人もいるが実際にはイギリスにはマフィンもあり(これはイングリッシュ・マフィンという)明確にはイギリスパンとは呼べない。
それはさておき、この四角いパンは英語圏ではプルマン・ブレッドと呼ばれる。プルマン・ブレッドは1930年代に登場した。1931年にアメリカン・ソサイティ・オブ・ベイキングが「プルマン型の作り方」や「プルマンブレッドの切り方」というセッションを行ったのが記録されている。プルマンというのは列車の名前だそうだ。列車の車両に似ているからとも、そこの食堂車に並べるのにちょうど良い形になっているからだとも言われる。お店に並べるのに便利な形になっており近代的なパンだったと言えるだろう。
プルマン型は金属製の型に入れてパンを作る点に特徴がある。イギリスの食パンは上が空いた方を使うが、私達が食べている食パンはフタのついた型を使っている。こうすると均質で形が整ったパンが作られるし、トースターにも入れやすい。鉄道車両(当時は産業の花形の一つだったに違いない)の名前が付いている通り、工業化した近代にふさわしいパンだったのである。

食パン普及の背景にある近代ツーリズムの勃興

トーマス・クックという会社がある。今はドイツの会社になってしまったそうだが、イギリスで最初に旅行代理店を始めた会社だ。クックはプロテスタントの伝道師だ。教会の集会にたくさんの信徒を送り込むことを目的に、高価だった鉄道の切符を大量に引き受けやすく販売する団体旅行を企画する。これが起源となり近代ツーリズムが勃興した。
プルマン社は1859年に創業。その後アメリカに進出し、アメリカの旅客鉄道を独占することになる。1883年にはオリエント・エクスプレスを走らせて大成功させる。プルマンは高級寝台車の代名詞であり、そこで食べられたお洒落なパンが食パンだったのである。しかし独占のためにいろいろな問題が起こる。例えば、労働環境の悪化、サービスの低下などである。そして最終的には飛行機などに旅客を奪われ1960年代の終わりに会社がなくなってしまった。

日本で高級食パンというと、ホテルオークラとか、金谷ホテルなどが思い浮かぶ。やはり食パンは旅行の時の思い出の味なのだろう。日本のトーストがアメリカ軍を通じて伝わったのと同じように「憧れ」が食品普及には重要なわけだ。

トースターの発明

山型になったイギリスパンはトースターには入れにくい。トースターの歴史について調べたウェブサイトがある。1890年代にイギリス人(やはりイギリス人が最初に発明する!)が発明したトースターはあまり売れなかった。電気が一般的でなかったためのようだ。この後トースターは改良され続け、1915年にはGEがトースターを取り扱うようになる。スライサーの発明は1912年。1928年にはスライスされたパンがChillicothe Baking Coから売り出される。アメリカのウェブサイトによると1930年にThe Continental Baking Companyがスライスしたパンを売った。1930年代になるとアメリカ中に普及するのである。1933年にはスライスされたパンがスライスされていないパンの売り上げを抜く。1930年には120万台のトースターが販売されたそうである。これはプルマン型についての講習会が開かれた時期と一致する。

このようにイギリスとアメリカでは高級感や近代っぽさを背景にしてトースターとスライスされたパンが普及する。フランス人やイタリア人はこの動きにはあまり同調しなかった。伝統的にパンはこうあるべきという固定概念が強かったのかもしれない。


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