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政治が最低限やるべきなのは真面目に働いている人々を泣かさないこと

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今回、築地・豊洲問題をめぐって「過剰適応」について書くつもりだった。政治も築地の業者さんたちも目の前の顧客を満足させるのに一生懸命になっており、本来解決すべき問題が何かがわからなくなっているというようなお話である。だが、いくつか記事を読み「ああ、これは根本的に政治が間違っているのだなあ」と思った。

これはインスタグラムを転載したものらしいのだが、開業のない文章で不安が綴られている。これまで真面目に働いてきた人たちが「将来も仕事ができるのか」という不安を抱えている。しかし、マスコミがこの問題を取り上げることもなく、SNSで騒ぎが起きているだけという状態であると嘆いている。

本来ならば感情をできるだけ排して構造上の問題に注目すべきだと思うのだが、真面目に働いている人が苦しまなければならない政治はやはり間違っているのではないかと思った。よく「正しくやるのではなく、正しいことをやれ」という。法律に反しないプロセスを粛々と進めるだけでは正しいことをやったことにはならない。

これは政治だけではなくマスメディアにもいえるのではないか。コンプライアンスを守って正しく伝えるだけではなく、何が社会にとって正しいのかということを間違えながらでも追求してゆくべきである。マスコミは東京都のアナウンスに従って「移転準備が進んでいる」という伝え方をしているが、彼らは問題が起きていることも知っているはずである。地下から水が湧き出しているというセンセーショナルな動画もすでにアップされており材料は揃っているからである。だが、彼らは自分たちからこの問題を取り上げることはないだろう。もし仮に自発的にこの問題を取り上げると、多分東京都から恨まれることになってしまう。だから彼らは高いところに避難していて、どこかから火がつくのを待っているのだ。

ワイドショー視聴者が求めているのは人間ドラマである。人間ドラマとはつまり誰かが叩かれて落ちて行くことだ。今回も、例えば小池百合子東京都知事が明らかに嘘と知りながら農水省に虚偽の申請をしたとか、あるいは開場後に解決不能な問題が起き犯人探しが始まった時に、過去の映像が使われることになるのだろう。確かにマスコミは小池百合子東京都知事叩きを消費して次の話題に移ればいいのだが、築地から移転した人たちの暮らしはかなり深刻なダメージを受けるはずである。

この問題は今まで見てきた過剰適応の問題と少し違っている。東京都は別の成功例で「味をしめ」て豊洲でも同じことをやろうとしたという話がある。「秋葉原の成功体験があった」という記事を見つけた。秋葉原には青果市場があったのだが、これをどかしたところ多額の収入を得ることができたというのである。過剰適応では資産化している熱烈なファンが経営判断を狂わせるのだが、こちらはダイレクトに都が持っている資産が問題の元凶になっている。平たく言えば「金に目がくらんでいる」のである。

さらに、実績を上げたかった小池百合子都知事が「所有権はそのままで貸せばいいのよ」というフラッシュアイディア(つまり思いつき)を持ち出したために話が混乱した。音喜多ブログ・2018年3月を見つけたが、この時点では彼女の思いつきはたなざらしになっているそうだ。小池さんのような口だけの政治家を当選させた東京都民が悪いといえばそれまでなのだが、これはあまりにもひどい対応である。

では東京都が築地市場を残せばそれで良かったのかという問題がある。実はそうではないという点にこの話の難しさがある。確かに「情」で考えると、このまま築地でお仕事をして日本の伝統文化を守ってもらいたいと思ってしまう。だが、実際に我々の暮らしに注目すると、以前ほど築地で扱われている鮮魚を食べていないのも確かである。これが最初に書こうとした過剰適応の問題である。築地市場は公営だったために、経営的に成り立たなくても伝統が守れてしまうのである。

もし築地が私的に運営されいたとしたら経営的に成り立たないところから業態を変えるか撤退していたはずだ。「ひどい話」に聞こえるかもしれないのだが、後ほど述べるようにこれで伝統を守った商店街もある。

まずは全体像から見てゆきたい。東洋経済の記事を読むと、実は築地の流通は年々減少していたということがわかる。2002年と2017年を比べると実は36%も減少している。流通が多角化しているうえに、鮮魚も食べなくなっているからである。

こんななかで東洋経済では「思い切った戦略の変更が必要である」と書いてあるのだが、では思い切った戦略とは何なのかということに答えを出していない。普通に考えても「明日からなくなるかもしれないからすぐにアイディアを出しなさい」などと言われて応じることができる人はいないはずだ。

先行事例として京都錦市場がある。もともと中央市場のような役割があったが、中央市場が移転したために小売化が進んだ。この中で物流拠点から生活拠点となり現在では観光化が進んでいる。錦市場が生き残ったのは長い間に徐々に変化が起きたからなのである。そして、この試行錯誤は今でも続いている。一度観光化が進んだから安泰というわけではない。現在でも過度の観光化で「京都らしさが失われるのでは」という懸念があるからだ。(日経新聞

もし市場の移転がスムーズに進んでいれば、築地の人たちもこうした「次への取り組み」ができたかもしれない。しかし、常に周りがごちゃごちゃとしており、もしかしたら移転できないのではないかという落ち着かない雰囲気の中でこうした議論ができるとは思えない。そもそも豊洲に市場が移った後に築地の街がどうなるのかというビジョンもない。

この政治の落ち着きのなさの原因は政治基盤がなくつねにふらふらと思いつきのアイディアを掲げて延命を図っている小池百都政の結果といえる。多分、再来年東京オリンピックの頃には大混乱しているはずで、築地の再生は今後もこの落ち着きのなさの影響を受け続けることになるだろう。

政治問題化した築地ではついに訴訟も起きている。東洋経済は次のように伝える。

9月19日、築地市場の水産仲卸業者とその家族ら56人が都を相手取り、豊洲への移転差し止めを求める仮処分を東京地方裁判所に申請。同時に移転差し止めを求める訴訟も提起した。記者会見した原告弁護団団長の宇都宮健児弁護士は、「土壌汚染問題が解決されておらず、食の安全・安心が確保されていない」と述べ、原告団の1人で築地女将さん会の山口タイ会長は「築地市場の移転は今もって多くの関係者が納得していない」と語った。

東京都は土地で儲けるスキームをなんとか形にしようとしてかなり無理をしたようだ。このため土壌汚染の問題は解決されていない。これが訴訟の原因になっている。ここに東京都知事選挙候補だった宇都宮健児弁護士が参戦している。周囲が落ち着きのない動きを見せる中、冒頭見た業者さんだけではなく多くの人が「一旦立ち止まって考え直したい」と言っているが、それも当然のことだろう。

築地女将さん会が今年3~4月に水産仲卸業者の全535社を対象に行ったアンケート調査では、回答した261社の約7割が豊洲への移転中止・凍結を求めていたという。近年、豊洲への市場移転を前に廃業する仲卸業者も増えており、「仲卸の目利き力」を核とする築地ブランドの価値低下を嘆く声も聞かれる。

錦市場の事例を見ていると、実際に築地がどうなるべきなのかを考えるのは当事者であって政治ではないのかもしれない。ただ、政治は少なくとも落ち着いて議論ができる環境を整備することはできるはずである。しかし、実際の政治は築地が今度どうなって行けば良いのかという助言を与えることもなく、いたずらに混乱を加えようとしている。小池都知事はプライドが高く「わからない」と言えないので、思いつきでアイディアを出してはそれを放置して混乱を生み出している。これは政治のあり方としてはやはり正しくない。

小池さんが東京都政を通じて何をやりたいのかはわからないのだが、履歴書の一ページを飾るためにやっているなら今すぐ辞任すべきだ。仮に何か実現したい正義があったとしても、それは真面目に働いている人たちを泣かせてまで実現すべきことなのか、もう一度立ち止まって考えるべきなのではないだろうか。

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