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障害者雇用の水増しについて考える

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障害者雇用の水増しについて考える。当初は社会が余裕をなくした結果切断処理が横行した結果「障害者雇用を水増ししていた」というお話を考えて記事を読み始めた。

だが、思い込みで記事を書くのはよくないなと感じた。最初に「ああ、思い込みだな」と思ったのは慣行は義務化当初の42年前から続いており、最近の世相を反映したものではないということがわかった時だった。もともとの全員の社会参加という理想を忘れ「単に数をあわせておけばいいんでしょ」と捉えられていたということである。1970年代には障害者の社会参加は今よりも遅れており「とても通勤して仕事をさせることなどできない」と最初から切り離していた省庁が多かったのだろう。そしてそれが現在でも続いているということになる。そうなると「切断」は昔から行われており、最近は「切り離された人」が声をあげられるようになったことでそれが表面化しているということになる。

この慣行が明るみに出たのは財務省が厚生労働省に問い合わせをしたからだそうだ。つまり、意図的に隠蔽したものがリークされたという類のものではない。財務省が5月に問い合わせをしたということなのだが、当時財務省は国有地の払い下げやそれに続くセクハラ問題などで揺れていた。これ以上隠蔽を疑われたら何を言われるかわからないという不安な気持ちと「麻生大臣は何もしてくれないだろう」という諦めから問題を早々に放出したのだろう。ところが蓋を開けてみるとこれは財務省だけの問題ではなく、どの省庁もやっていたことだった。そしてそれに対して官庁を所管しているはずの政治家たちは何もするつもりがなく何もできないのである。

一部の新聞はこれを政権批判に絡めようとしている。森友加計学園問題で「隠蔽」が話題になっているので、それをほのめかすことで「隠蔽している」という印象を与えることは可能なのだろう。東京新聞は「調査が10月に先送りになる」と言っている。総裁選挙への影響を避けた判断なのだろう。

実際に自浄作用が期待できるかどうかはわからないのだが、拙速に調査して「なかったこと」にするよりも、じっくりと調査したほうが良いのではないかと思う。いずれにせよ、一連の文書改竄問題とこの問題はリンクさせないほうがよさそうだ。

菅官房長官は年内に数合わせをするか雇用計画を出せと言っているようだが、これも問題があると思う。とにかく批判されたくない官庁は今度は拙速な数合わせに走ることになる。つまり「障害者手帳を持っているなら誰でもいいから動員しろ」ということになりかねない。いっけん良いことのように思えるかもしれないが「障害者」でひとくくりにして、戦力としてはみなさず単に統計上の数字としてしか見ていないというのがそもそも差別的である。麻生大臣は「障害者手帳の取り合いになりかねない」と発言しているそうである。

麻生太郎財務相は28日の記者会見で、「障害者の数は限られているので、(各省庁で)取り合いみたいになると別の弊害が出る」と指摘。(毎日新聞

毎日新聞はこの辺りを丁寧に書いている。実際の雇用現場では限られた予算で目標を達成しなければならないので、一人ひとりの適性をみて苦労しながらリクルーティングをしているという。数合わせ的な制度が問題だとしているが、これは当事者たちにとっては当たり前の指摘だろう。生まれながらにして、あるいは病気や事故にあった人が障害者という「箱」に入れられて一律で「処理」される制度がまともなはずはないのだが、これがおおっぴらに行われているのが現代の日本なのである。

真の問題は多分障害者雇用とは関係がないところにあるのだろう。毎日新聞の別に記事では、健常の責任者が数字を合わせるために「自分も数に入れておけ」と指示したという話が出てくる。このことから査察という「村の外から」の目がなければ何をやっても良いという文化が42年間も温存されているということだ。辻褄合わせの文化が政治によい影響を与えるはずはない。

日経新聞は故意かそうでないかを問題にしている。日経らしい無神経さだ。故意の人もいただろうし、無関心だったという人もいただろう。だが問題は本人たちが自発的に「このままではいけないから状況を改善しよう」と思わなかったという点だろう。これまで調べようともせず、制度の目的も理解しなかったことのほうが問題である。故意にやったと言い出す人はいないはずで、10月の調査でも「知らなかった」とまとまる可能性が高いのではないかと思う。

問題は多い一方で、この問題には評価できる点もある。財務省が「まずい」と気がついたところだ。世間の苛烈な非難にさらされたからこそ「隠し事はためにならないな」と感じたのだろう。さらに、問題が起きても首相は官僚を「切断」するだけで責任は取ってくれないということが身にしみてわかったのではないだろうか。今後財務省が身を挺して政治家をかばうことは減ってゆくのかもしれない。

そうなると今後も官庁から様々な問題が放出されることになる。すると大臣たちは「なぜそんなことになったのかわからない」と首をかしげるばかりで、いままでお任せ政治が横行したことがじわじわと露見することになる。さらに政治家のライバルを封じ込めることしか頭にない首相はそもそも表にすら出てこない。誰がどう見ても「全くガバナンスが効いていない」ということがわかるわけで、多分これは安倍首相が交代するまで変わらないのではないだろう。

つまり、こうした状態だらだらとが3年続く可能性がきわめて高いわけだが、この状況に有権者国民がどれだけ耐えられるかは疑問である。自民党政権が今回この問題を軟着陸させることができたとしても空いた穴はふさがらないのではないだろうか。

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