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南北首脳会談の生中継に思うこと

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南北首脳会談が始まった。北朝鮮の金朝鮮労働党委員長が韓国の文大統領と固い握手を交わした様子が全世界に生中継された。金委員長が文大統領を北に招き入れていたのが印象的だった。ちょっとしたやり取りなのだが金委員長が世界の目を意識して「画を撮らせていた」ことがわかると同時にこの人が最高権力者なのが実感できる。誰にも相談しないで敵国の元首を自国内に招き入れることができるのはこの人だけなのだ。

これまで日本のマスコミは北朝鮮を悪の帝国のように扱ってきた。金委員長の肉声があまりないことを利用して得体のしれないバカな指導者として印象付けてきたのである。これは安倍政権がそう仕向けているというわけではなく、日本の願望が込められているといえるだろう。夕方のニュースではその様子が繰り返し流された。

国際的な変化に無関心で内輪の諍いを好む日本人は世界情勢は変わらないでいて欲しいと思っていたはずだ。それは日本と西洋諸国の間に共通の敵がいるという固定的な世界である。この固定的な世界では西側の価値観に沿って振る舞まってさえいれば「日本はアジアの中で特別にいい子である」と褒めてもらえたのだった。

だがこの構造は崩れてしまうことが明確になった。北朝鮮の非核化と拉致への言及がなかったことばかりが注目されているようだが、実際には中国とアメリカを交えた多国間の枠組みが地域にできることに大きな意味がある。これが軍事的な安全保障体制になる可能性があるということになるがそこに日本が参加できる見込みはそれほど大きくない。すると日本抜きで東アジアの平和を維持する枠組みができてしまうのである。日本はお情けで招待してもらえるかもしれないが、その役割は限定的なものになるだろう。

アメリカ、中国、ロシアはすでに前向きなコメントを出している。もしかすると事前に連絡を受けていた可能性もある。だが日本はこれから情報を集める段階なのではないだろうか。事前に北朝鮮は韓国に対して「日本には連絡するな」と言っていたという話がある。賠償問題をはっきりさせるまで蚊帳の外に置くという意味のようだ。その意味するところは東アジアの安全保障体制に組み込んで欲しいならそれ相当の誠意を見せて金も払えということになる。核兵器保有国として日本にこうした要求を突きつけている。

面白いことに左翼系の人たちは「朝鮮半島の戦争が集結し、この世の中から戦争がなくなる」とか「涙がでた」と言って感動しているようだ。核兵器保有国として堂々と振る舞う北朝鮮に対する好評価は皮肉としか言いようがないが、核兵器を持って初めて国際社会に相手にしてもらえるというのも現実である。

安倍政権は散々北朝鮮の悪口を触れ回ってきたのだが、これは今にして思えば「現状を認めたくない」ことの表れだったのだろう。安倍政権もその支持者たちもこれが何を意味するのかということがよくわかっていたのかもしれない。これが本格的な北朝鮮の非核化や統一につながるかどうかはわからないが、いずれにせよ東西冷戦が終われば、世界情勢を理解しようと努力してこなかった人たちは今後の外交をどうすればいいかがわからなくなる。この不安さが安倍官邸の頑なな姿勢に表れている。「まだわからない」という人たちが多いようだが、わからないのは朝鮮半島の行く末ではなく自分たちの進路であるのは明白だ。

私たち日本人は民主主義を理解していないしありがたがってもいないという様子をこのブログでは観察してきた。しかしそれは必ずしも安倍政権が独裁を狙っているからではないようだ。相撲協会を例に挙げた時には、彼らが近代的なスポーツと経営を理解していないことを学んだし、セクハラ問題について観察した時には官僚や政治家が人を人として扱うという人権のもっとも基礎的なことを理解していないことを学んだ。

戦後日本人は「いい子にしていれば西洋社会という先生に褒めてもらえる」ということは学んだが、それが何を意味するのか全く学んでこなかったということがいえる。こうした人たちにとっては、冷戦構造が溶けてなくなるということは恐怖以外の何者でもないだろう。形が変われば彼らの正解は吹き飛んでしまう。

北朝鮮と韓国の対話がどのような成果をもたらすのか、あるいはもたらさないかというのはまだわからない。だが、それは彼らの問題である。むしろ私たちが問題にしなければならないのは我々がどうしたいかということとどうすればいいかということである。70年以上かけて何も学べなかったという事実を目の前にするといささかくらい気持ちになる。

最後の東西冷戦構造がなくなることで私たちが戦後70年間当たり前だと思っていた構造は崩れつつある。もし本当に東西冷戦が終わってしまえば在韓米軍には駐留の理由がなくなり、後背地である日本の駐留も一定の役割を終えることになる。すると日米同盟の意味は大きく変わるだろう。突然来るかもしれない状況にパニックにならないためには、これから日本人がどうしたいのかということを真剣に話あう必要がある。

だが、国会にはそのつもりはないようだ。野党側は分裂したまま国会審議を欠席し続けている。その原因は安倍政権が民主主義を理解せず文書をごまかしたり隠したりしたことにある。目の前で大きな変化が起きていることを考えるとその有り様は実に情けない。

蚊帳の外にいるといって不安になるのは世界情勢がどう動くかわからないからなのだが、そもそも自分以外の国はコントロールできない。不安を解消したいなら、今後どのように国際社会に貢献できるかを自分たちで提案して決めなければならない。

確かに北朝鮮のやっていることはメチャクチャだ。核兵器を開発しておいて「国際社会に復帰したい」などと言っている。ただしそれでも自分たちで考えて提案しているだけ日本よりマシだと言える。

自民党に具体的な提案ができない理由もまた明白である。彼らは決まった構造にフリーライドしようとしているだけの集団だからだ。具体的にはアメリカに擦寄ることでその権威を背景に「北朝鮮や中国に威張りたい」と思っている。機嫌を損ねないようにお金や土地を差し出してきたがそれもよく考えれば国民の税金であって彼らのお金ではない。自分たちには意思がないのだから提案ができるわけがなかった。これからも彼らを選び続ける限り日本人は不安な数十年を過ごすことになるのではないかと思われる。

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