ざっくり解説 時々深掘り

多様な働き方というのは企業と安倍首相の嘘なのか

さて、国会審議は依然紛糾している。実質的には経団連と連合の代理戦争であり、経団連の主張が潰せれば野党の勝利となる。だから、多様な働き方とか裁量が何かということが議論されることはないだろうと思われる。

こうした議論は一般の労働者や消費者には不毛であり、日本の生産性議論にとっては悪いことだ。だが、なぜ悪いことなのかと問われると説明はなかなか難しい。問題になっているのは「相互不信」ではないかと思う。労働組合と経営者の対立はそれを示している。表立って対立はしないのだが、裏で蹴り合いをしているという意味では冷戦構造と同じなのだと言えるだろう。

しかしながら、経営者と労働者は違うのだからそもそも妥協など出来るはずはないのではないかという疑問も浮かぶ。そこで、今回は本当に「多様な働き方」が単に企業と安倍首相の嘘なのかということを考えて行きたい。

企業は労働者が自主的に働き方を決めてほしいと考えて「多様な働き方」を推奨している。裁量労働制も労働者から見ると「企業が都合よく人材を使い捨てられる制度」と思われがちだが、経営者はもっと労働者に自立してほしいと考えているだけなのかもしれない。特に高度経済成長期を記憶している人は正社員が「将来の経営者だ」という意識を持って一致協力していた時代を懐かしんでいるかもしれない。今では信じられないことだが、かつての新入社員はそう考えていたのである。

かつての終身雇用は成り立たなくなり、企業は従業員の一生をまる抱えすることができなくなった。だから、経営者は労働者が企業にべったり張り付くのではなく「オーナーシップを持って仕事に取り組んでほしい」と思っているはずである。誰でも自分のことだと一生懸命になるが、言われたことをいやいややっているだけでは単に時間を潰して終わりになってしまう。つまり、企業がこの制度を通じて持ち込みたいのは「従業員の自主性」だと言えるだろう。

経営者は「労働者がだらだらと働くだけ」の状態を苦々しく思いつつ何をどうしていいかわからない。そこで政治への期待が高まる。そこで、「主体的な労働者の多様な働き方」というメッセージが生まれたのではないだろうか。

ところが大企業の考える理想の働き方という姿はすでに成り立たなくなっている。大企業ではかろうじて成り立つかもしれないのだが、中小企業に広がっているのはいつ終わるともしれない低成長に対する疲弊感だ。毎日新聞に有期雇用の無期雇用転換を迫られた苛立ちに関する記事が紹介されていた。この記事を読むと人件費を抑制して生き残るしかないと考える追い詰められた企業経営者と有期雇用で下に見ていた人たちに自分たちの福利厚生や特権が侵食されてしまうのではないかと恐れる正社員の赤裸々な姿がわかる。

これに輪をかけて「支援者のいうことを聞いてやるから票をよこせ」というこれまた主体性のない政治家が加わり、泥沼のような共依存関係が生まれていると言えるだろう。経営者は社会が変わってくれることを望んでおり、労働者は今まで通り会社にしがみつきたいと感じている。そしてビジョンを失った政治家は、なんでもいうことを聞いてやるから票をよこせと言っているのだ。

この議論のさらに厄介なところは、やる気だけあっても主体的な態度は生まれないという点にある。つ日本の企業は現場教育は得意だが経営者になるための教育を行って来なかった。これまでの延長から新しい提案が生まれることはない。経営者は現場を離れて経営教育を受ける期間を設ける必要があったのだが、そんなことをしているうちにポジションがなくなってしまうという恐れから現場を離れることができなかった。

多くの企業は、とにかく目の前の状況に合わせて明日の売上をあげなければならない。負け続けている状況に長時間耐えられるほど人は強くない。彼らにとっては意識の高い労働者が経営者と団結して自らの活路を切り開くたというのはおとぎ話にしか聞こえないだろう。

このように追い詰められた状況のもと、議論は楽な方に転がり始める。それは自分以外の誰かの安定性を犠牲にして明日を生き残ろうという議論だ。

例えば、派遣労働は専門職向けに例外的に作られた制度だがなし崩し的に広がってしまった。この前例があるので「残業代0法案」もいったん例外を許してしまえばなし崩し的に拡大するだろうという見込みがたつ。だから「何も触らせない」という議論担ってしまうのだろう。

政府に当事者意識があれば労働者と経営者の間にある意識の乖離を埋めて調停するようなことが起こっても良い。しかし、現在の政府は「経営者の言う通りに法律を変えてあげるからあとは現場でなんとかやってください」という態度に終始している。問題を収拾する意欲がないばかりか問題の認識すら面倒な様子である。

今度は介護現場で人が足りないから外国から調達するなどと言っている。これも現場の声なのだろうが、一方で「移民は嫌だ」という支援者の人たちがいるので、家族は呼び寄せられず、福祉対応はせず、一定期間で帰ってもらう制度が提案されつつある。制度としては完成するだろうが、海外からの人材を引きつけることはできないだろう。優秀な人ほど移民政策がしっかりした国に移りすみたがるだろうし、そうでない人たちも帰国して一から生活を立てなおさざるをえない出稼ぎ労働に出かけるとは考えにくいからである。

今回の議論は安倍首相の国会運営のまずさと稚拙さにばかり目が向いているのだが、実際に怒っているのは、労働者と経営者の間にある冷たい対立である。これがわからないで政局を見ていても単に混乱しているようにしか見えない。しかし、これがわかってからこの騒ぎをみるとどちらも日本の将来に責任を持とうとしているわけではなく、支援者に向けて歌舞伎芝居をしているということが見えてしまう。

この騒ぎの後ろにあるのは主体的に国が運営できるという自信と見込みが持てなくなった人たちの惨めさなのかもしれない。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です