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裁量労働制議論でサンドバッグ状態の安倍首相

生産性革命とか働き方改革と銘打った労働法正義論がどこか怪しい方向に向かっている。いろいろな情報が錯綜してわかりにくいので、自分のために整理してみることにした。

今の状況

アメリカのいうことを聞いて平和安全法制を通した安倍首相だが、今度は経団連のいうことを聞いて労働者をいろいろな形で使い倒せる法案を準備している。しかしそれでは受けが悪いので「生産性に革命が起こりますよ」とか「多様な働き方を選べるようになりますよ」と説明した。このうち残業代なしで労働者が使えるようになるのが裁量労働制だ。労働者と企業の間の関係は平等ではないので労働者は法律でかなり慎重に守られている。これを岩盤規制と位置付けて取り払ってしまおうというのがもともとも目論見である。背景には国際競争力を失いつつある現在の日本の状況がある。
法規制を撤廃すれば矛盾が噴出することは明らかだ。その対策を迫られるのは政府である。しかし、現在の政府は自分たちが支援者の言いなりになって問題が起きるということを全く想定していないようだ。答弁からは何の問題意識も感じられない。
そこで政府は「裁量労働になると勤務時間は短くなりますよ」という謎の統計データを調査方法を明らかにしないままで提示して2015年から使い続けてきた。しかし、数字のつじつまが合わないので野党が精査したところ、そもそもそんなデータはないということがわかった。そして厚生労働省も社会から非難されることを恐れたのか、野党の事情聴取に応じて情報を流し始めている。財務省が安倍首相を守ってバッシングされたことが聞いているのではないかと思われる。
しかし、安倍首相は「調査は根拠がなかったが、法案自体は良い法案だ」と開き直り、加藤厚生労働大臣は「裁量労働制をうまく使いこなしている企業もあるから、調査なんかしなくても大丈夫」という説明を繰り返している。確かに政府は長時間労働の是正を目的にした仕組みも準備するようだが、そもそも間違ったデータで説明をしていたほど不誠実な政府がこうした対策をまともにとってくれる保障はどこにもない。
一方、国民からの支持が得られない野党もここぞとばかりに過労死の被害者を国会に呼び涙ながらに「私たちは命を守ろうとしているのです」という歌舞伎風の質問をした。野党は連合の支援を受けているのでもともとこの法案には反対だし、手元には過労死した遺族の情報がかなり入っているのだろう。しかし、狙いは「経団連に失望させる」ことなのではないかと思う。人件費の抑制は経団連にとって大きな要望なので、これが安倍首相の稚拙な運営で潰れてしまえば、経団連は別の人を首相に据えようとするだろうからだ。安倍首相もそのことがわかっているから「調査をします」とは言わないのだろう。
ニュースではきれいに編集されていると思うのだが、これが現在の国会である。どちらもそれなりに必死なのだろうが、見ているとある種の絶望感さえ感じられてしまう。

そもそもなぜ裁量労働制なのか

まずは議論の動機から見て行きたい。自民党は残業代0法案を推進したがっているのだが、これは経団連が長い間推進している政策であり、今急に安倍首相が思いついたものではない。
裁量労働制の提案者は経団連だろう。あまり表立って報道はされないが経団連はこれを隠しているわけではなく、インターネットでも公開されている。規制改革の今後の進め方に関する意見(2015年)安倍首相の「多様な働き方」という説明そのものが経団連の意図に従っているのだろう。

意欲ある若者や女性、高齢者を含む国民誰もが、活き活きと働くことができる環境を整備することは、喫緊の課題である。高度プロフェッショナル制度の創設や裁量労働制、フレックスタイム、短時間勤務、地域・職種限定正社員、テレワーク、在宅勤務等、多様な働き方を可能とするための柔軟な雇用・労働基盤を確立すべきである。先の通常国会に提出された労働基準法の改正案を早期に成立させるとともに、労働者派遣法についても、労働政策審議会の建議のとおり、労働契約申込みみなし制度やグループ企業内派遣規制など、2012年改正の内容について見直す必要がある#10

もちろん企業側が自分たちに有利な主張をするのは間違ったことではない。だからといって全て企業の言いなりになってしまえば労働環境はめちゃくちゃになってしまうだろうし、高齢化が進み労働者調達が難しくなった社会では却って企業にも害があることになる。さらに、連合を支持基盤とする民主党系の政党が反対するのは当たり前の話である。
長妻議員は「営業などのチームプレイでは裁量労働は成り立たない」と言っている。これについては過去に書いたように、必ずしもそうなるとは言い切れない。チームが明確なジョブディスクリプションを元に業務を分担すればこの限りではないからだ。日本のようにチームの役割と責任が曖昧になりやすい企業文化では長妻さんが言っていることの方が正しい。急民主党は労働組合が支持基盤なので現在の労働者の状況が集約されているのではないかと思われる。
本来なら、裁量労働制やその他の多様な働き方を正しく機能させるためには企業が変わってゆく必要があり、政府は企業を導いてゆく責任があるはずだ。

資料は捏造されたのか

野党は「政府は野党を騙そうとした」と言っているが、これは「歌舞伎的な」芝居も入っているものと思われる。実際の経緯はもう少し複雑だ。安倍首相が嫌っている朝日新聞が経緯を書いている。これに今回の国会答弁を重ねると次のようになる。

  1. 第一次安倍政権が裁量労働制の対象拡大を画策した。記事には書かれていないが経団連の要望を叶えようとしたものと思われる。
  2. 厚生労働省に適当な資料がなかった。そこで監督時に聴取したデータなどをもとに、一般労働者と裁量労働にについて別個の資料を作成した。担当者がでっち上げたという類のものではなく、当時の部長と課長が決済した。記事には書かれていないが、今回の答弁で加藤厚生労働大臣は「塩崎大臣には報告が上がらなかった」と主張している。もともとは資料によるとなどと言っていたのだが、間違いがわかったので「役所が勝手にやった」と言い出したのだ。
  3. 内容は労働時間を比較したものではなく、それぞれの長時間労働の是正について議論をするための個別の資料だった。目的も違っているし、資料の関係性も今の使われ方とは違っていた。
  4. 野党が「残業代0」だと騒いだために、議論は2年たなざらしされた。こちらも記事には書かれていないが連合が反対したのではないかと思われる。つまり法案を精査して修正したのちに提出しようなどという機運はなかった。
  5. 与党は今回は「多様な働き方」と表書きを変えて、経団連の主張通りに残業代を支払わずに労働者を使役できる法案を紛れ込ませようとし、予想通りに野党から反発された。
  6. 今回はなぜか別個の資料が「労働時間を比較したもの」という文脈で安倍首相の答弁に引用された。安倍首相がどのようなつもりで答弁したかわからないが、今回の国会答弁では「報告通りに読んだだけで、いちいち細かいところまで理解できるはずはない」と開き直っている。
  7. 記事には書かれていないが、加藤厚生労働大臣はこの資料の根拠が薄弱だということを知ってから資料を引き合いに出さなくなった。その間も安倍首相はこれを使い続けた。つまり、資料が違っていて虚偽の答弁になっているということを数日の間知っていたことになる。
  8. この後「隠蔽するつもりはなかった」とか「だますつもりだったんだろう」という議論になり、収集がつかなくなりつつある。対立する理由のない維新もさすがに「調査をしなおしては」と提案しているが、安倍首相は応じるつもりがなさそうだ。
  9. 自民党は当時のデータを厚生労働省がそのまま持ってきたと説明し、厚生労働省のミスであるとの印象を与えようとしている。一方、厚生労働省はそもそもの資料の目的と今の使われ方は違っていると野党やマスコミに抗弁し始めている。

もちろん政権側の運営はデタラメなのだが、一方で政権が「騙そうと考えて」資料を準備していたという説も成り立ちにくい。そもそも当時の厚生労働省は裁量労働制の優位点を強調するために調査をしたわけではなかったのだが、当時の数字を「うっすらと覚えていた」安倍首相が「自分勝手な解釈をして」答弁した可能性が高い。いずれにせよ、安倍首相は支援者のいうことは何としても聞かなければならないと思い込んでおり、議会は単なる儀式として取り扱われているのだが、野党もこれに慣れてしまい型通りの歌舞伎芝居を続けている。
しかし、こうした議会を軽視したやり方はついにここまでひどい国会運営に成り下がったのである。

日本人は議論の際に何を重要視しているのか

このセクションは蛇足だが、与野党の姿勢には面白い特徴がある。働き方の議論ではなく、どっちが信頼できる人なのかという議論が延々と行われているのだ。もちろん与党は信頼してくれというだろうし、野党は信頼できないという。議論が決して交わらないのはこのためである。そしてそれが日本で二大政党制が根付かない理由になっている。政権交代が可能な状態ではどちらも政局に夢中になってしまうのである。
この件が「炎上」することを恐れた自民党は冒頭で申しひらきの時間を作った。これはとてもおざなりなものだった。質問に立ったあべ俊子氏は多分このことに興味がなかったのだろう。型通りに状況を聞いてから「だますつもりはなかったのだから良いではないか」と言って切り上げようとした。も自分の利益団体(看護)のための質問時間が「くだらないことで」削られるのが嫌だったのだろう。その後「地方の病院には国費をつぎ込むべき」という自説を述べて質問を終えた。多分、自民党の議員は選挙のことで頭がいっぱいで「自分には関係がない」政府が何をやろうとしているかには興味がないようである。「結論は決まっているのだから私が何かしてもしかたがない」と感じているのかもしれない。これはとても恐ろしいことのように思えるが、与野党が派手に対立している現在、こうした無気力さを気にする人はほとんどいないようだ。
一方、野党側は’首相が逃げているという印象を作りたがっている。安倍首相は「厚生労働省が間違ったデータを報告してきたのだ」という形を作ろうとしており説明を全て加藤厚生労働大臣に押し付けている。これがわかっている長妻さんら野党は大げさに「総理に聞いているんだよ」と歌舞伎のように言って審議を度々中断させようとした。多分テレビ向けの演技なので、安倍首相は早くこのスキームに気がついた方が良いと思う。
いずれにせよ、自民党は「自民党は良い政党なのだから、悪いようには取り扱わないだろう」と考えており、野党は「自民党は悪い政党なのだから、全て嘘である」と言っている。議論の参加者も見ている方も、対象物ではなく関係性と人間性に強い関心があるのである。
 
 


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