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日本人はイデオロギーには興味がない・だったらどんな選挙制度がいいのか

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政党のラベリングについて見ている。これまで観察したのは政党のラベリングというのは実に適当であり、まったく当てにならないということだ。にもかかわらず言葉には「良い・悪い」などの色がついており、さらに世代によって変わったりする。

もともとは英語由来の外来概念が理解されないのだろうと考えていたのだが、実際には立憲主義という漢語由来でもりかいされないことがあるらしい。ということは、概念自体に興味がないことになる。

では何が選挙の指標になっているのかと考えた。どうやら「キャラ」が重要なのではないかと思う。小池百合子氏の場合「女性の救世主」というキャラを演じていた。これがおじさんたちにいたぶられることで「この人を応援してあげないと」という気持ちになり、実際に都知事選挙に大勝した。ところが今回はどうやら「上から目線の独裁者」という印象がつきつつあるらしい。さらに討論番組に当事者と出てこないので、若狭さんなどの「さえないおじさん」キャラや細野さんのように「かつて不倫していた卑怯者キャラ」が表に出てしまい希望の党がいまひとつ浮揚しない原因になっている。

こうした印象を作っているのは間違いなくテレビだろう。ツイッターでは「小池さんはどこか変である」という風評は以前から流れていた。豊洲・築地問題での対応がとても乱暴だったからだ。この一連の風評をみる限りは小池さんは豊洲・築地問題にはさして興味がなく、自民党議員をあげつらうためにこの騒ぎを利用していたことがわかる。

こうした動きは表面化することはなかったのだが、国政での混乱(主に民進党の混乱である)が伝わるにつれて状況が変わってきた。試しに「小池さんとサイコパス」という記事をアップしてみたのだが当初はあまりヒットがなかった。だが、テレビで小池さんが「排除の理論」を持ち出したというニュースが伝わると検索が増えて今や人気コンテンツである。

一方で、リベラルとか全体主義に関する記事も出しているのだが、こちらは一段低いアクセス数である。多分ツイッター経由で政治に興味がある人が流れてくるか、定期的に見に来てくれる人に読んでいただいているようだ。

少なくとも「政治に興味がある人」と「政治家のキャラに興味がある人」がいることがわかるのだが、大多数は政治家のキャラにしか興味がないのではないか。さらに、ツイッターの人たちの方はテレビの人たちより「一拍早い」印象がある。能動的に情報を取りに行く人はいるにはいるが、多数派は情報を受動的に受け取っているのではないかということが類推される。

もちろん、政治は内容を理解した上で政策選択をした方が良いとは言えるのだが、多数の人たちのマインドセットを変えるのは難しい。なぜならば当事者たちは「自分が間違った情報受容をしている」という感覚などないからである。

繰り返しになるが、リベラルとかリフォームといった言葉は全くと言っていいほど理解されていない。実はこの傾向は政治玄人の方が顕著だ。例えばリベラルというのは新自由クラブ(1976年に自民党の一派が政治倫理の確立を訴えて作った政党である)のような政党をいうのであって、左派がリベラルを名乗るのはおこがましいなどという主張がある。知っているからといって正しい理解をしているとは言えないのだ。

日本人はバカだから政治的なラベリングがわからないと断罪するのは簡単なのだが、実はそうではない。知っているからこそいろいろな文脈を勝手に付け加えてしまい、情報が混乱するのである。さらに、そもそも政治的なラベリングに興味がない人がいてそれが加速される。

なぜ、日本人が政治的ラベリングに興味がないのかはよくわからない。可能性として考えられるのは、村落的な共同体で出てくるアイディアはどれも似たり寄ったり担ってしまうという点だ。政策コンペには意味がないので、人格本位になってしまうのかもしれない。

とすると、日本では政策選択選挙は成り立たないことになる。であると政党やイデオロギーは全く無効ということになる。すると、衆議院選挙は、安倍晋三と頼れる仲間たちと・小池百合子と愉快な仲間たち・枝野幸男と草の根の仲間たちの間の人気投票であるということになる。

加えて政党に入っていると二票がもらえる(小選挙区で負けても比例で救済されうる)というとても不公平な制度なので、小選挙区そのものの正当性はあまりなくなる。

これを普通の民主主義社会に戻すためには、マニフェストベースの政治を徹底して、マニフェスト違反があればマスコミで徹底的に追求するようにした方が良いのだろう。だが、そもそも村落的な体質が身についているので、これはかなり道のりが遠いように思える。

だったら、グループが首班指名してから名簿で争うような制度の方が良いのではないかと思う。例えば「枝野さんを首班にする人たちのリスト」や「安倍さんを首班にする人たちのリスト」を作って全国比例で争うという方法だ。首相一人の名前で判断するとよくわからないということであれば、あらかじめ内閣を組織して選んでもらえばいいのではないだろうか。

つまり、政党には意味がないから解散してしまった方がよいという結論になる。

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