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手塚治虫と狭い窓

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QUORAに「なぜ日本ではアニメがそんなに盛んなのですか」という質問が上がっていた。いくつかの原因が考えられるのだが、長い英文を書く根気と実力がないので結局答えは書かなかった。
日本で漫画が受け入れられているのはなぜかを考察した人は多いだろう。いろいろな説があるのだが、漢字仮名交じり文化圏だからだという説がある。もともと文字体系が複雑なので、漫画のような複雑な媒体が受け入れられる素地があるというのだ。普通に漫画を読んでいる人には信じられないかもしれないが、長い間漫画を読まないと読むのがとても面倒になる。あれはとても複雑なメディアだ。また、日本の漫画はアメコミと違ってリアルさがない。抽象化が進んでいるので、映画の偽物だと考えられなかったという可能性があるのだ。
が、中国も漢字文化圏なので漫画が流行しアニメが盛んなっていた可能性はある。が、中国で漫画やアニメが盛んにならなかったのは、知的財産に関する価値が高くないからであると仮置きすることができる。知的財産へのお金の流れがないとクリエイターが育たないのだ。何かが流行したらそれをコピーしてしまうようでは海外に売れるようなオリジナリティのある作品は作れないだろう。
アニメが流行した理由は需要者と供給者のそれぞれの側面から考える必要があるということがわかる。日本のアニメクリエイターの貢献は大きいが、それを辿って行くと手塚治虫に行き着く。手塚治虫はまず漫画で成功して、その印税を使って虫プロダクションを設立した。虫プロは大勢のクリエイター(アニメーター、監督、プロデューサー)を輩出することになる。この人たちが他のプロダクションに移籍したり、原作者になったりして日本のアニメは子供だけでなく大人にも受け入れられるようになった。
それではなぜ手塚プロは人材を輩出することができたのだろうか。それは手塚治虫が自らもクリエイターだったからだろう。もし、彼が単純な資本家だったら「とにかくディズニーの真似をしろ」ということもできたはずだ。が、映画を研究して漫画を作っていたので、アニメに対する基本的な理解があったのだろう。
だが、制約条件も見逃せない。アニメを作っても特に儲かるということはなく、最初は手塚の漫画の印税などをつぎ込んでいたようだ。それでもアニメプロダクションを維持したのは単純にアニメ制作が好きだったからなのだろう。いずれにせよ予算制約のためにディズニーの手法をそのまま取り入れることはできず、様々な工夫をして制作費を浮かせる努力をした。こうした経験と自給自足的な体験がのちに幅広い才能に受け継がれて、日本でアニメ文化が根付いて行くことになるわけだ。
つまり、印税が入ってくる程度には潤沢な予算があり、なおかつみんなが市場を荒らしたくなるほどの規模でもなかったという絶妙な環境が日本のアニメ産業を支えたのだと言える。
もちろん手塚治虫という才能がないと日本のアニメ業界が今のようになっていたとは思えないのだが、産業が起こる程度の窓が開いていた時期は実はそれほど長くなかったのではないかと思える。
アニメクリエイターにお金が流れていた時期もほんのわずかだった。権利ビジネスが儲かるということが理解されるようになると、権利だけを抑えて下請け的にアニメ制作会社にアニメを作らせるという手法が蔓延することになる。DVDの出版印税や周辺グッズの売り上げは制作委員会で総取りし、アニメーターは生活保護が必要になる程度のお金をもらう個人事業主として搾取されるという構造だ。
手塚はクリエイターだったが、権利関係をバックアップしてくれるビジネスマンがいなかったのだろう。この視点でウォルト・ディズニーの項目をwikipediaで読むと、同じような話が出てくる。もともとクリエイターだったウォルト・ディズニーは一旦アニメ制作会社を設立して成功するが資金管理がずさんなために失敗してしまう。また、のちにはユニバーサル社から不利な契約を突きつけられてしまう。ウォルト・ディズニーは仲間や兄と協力してそれらの危機を乗り越え、のちにテーマパーク事業などに進出するのだ。
このことから、一人の才能だけで産業を支えることはできず、協力体制の大切さがわかる。日本人は意外と協力が苦手なのかもしれない。
つまりコンテンツビジネスが成立するためには、オリジナルなコンテンツが作れる人と彼らに利益を還元する仕組みが必要なのだということになる。そもそもオリジナルなコンテンツが作れないと、それを海外に売り出すこともできないのだが、利益の還元を怠ると健全な環境が維持できないのではないだろうか。


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