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立憲民主党も改憲案を出すべきではないのか?

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さて先日来「立憲民主党の行く末」について考えている。比例票について分析したところ閲覧数が上がったのでおそらく左から真ん中あたりのリベラルの人たちがブログを見てくれているのではないかと思った。

だが積極的にレスポンスを取ってこなかったので実際にはどんな人が読んでいるのかがよくわからない。そこで「いいね」ボタンを設置してみた。

今回のテーマは立憲民主党も護憲を捨てて改憲案を準備すべきでは?というものだ。護憲の人は「とんでもない」と思うかもしれない。

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国民民主党が維新との連携を表明したそうだ。フジテレビの日曜日の番組での発言である。国民民主党はリベラルを見限り日曜日の朝からフジテレビを見るような「現実的な層」にアプローチしようとしている。

議員の中には「誰かを代表して国会議員になりたい」という現実志向の官僚出身者も多く支持母体の連合も実際には大企業に所属する組合員が多い。つまりこれまで仕方なくリベラルに付き合っていたが期待できる支持は得られそうもないとしてリベラルを見限ったのだろう。

「民主党右派」が最初に接近したのは小池百合子都知事だった。民進党から人を受け入れたが「リベラルすぎる」として排除された人たちがいた。彼らが追い出される形で結成したのが今の立憲民主党の始まりである。

小池百合子都知事はおそらく「このメンツでは勝てない」と思ったのだろう。希望の党を見捨ててしまった。小選挙区から立候補したのはのちに自民党に入党することになる細野豪志だけだったそうだ。

つまり、当時の希望の党は利用するつもりが利用されて捨てられてしまったのである。

ここまでが2017年の動きである。

希望の党はのちに解体されて国民党・希望の党という新しい党が作られた。国民党は民進党に合流し民進党が国民民主党になるという手続きを踏んだ。これが2018年の話だ。つまり民進党が存続政党になっている。

なぜこんな複雑な経緯をたどったのか? 

おそらく民主党政権時代の政党助成金を狙ったのだろう。実際には名前でも分かる通りに国民民主党が存続政党なのだが形式的に民進党を継続政党扱いすることで政党助成金を受け取ったわけだ。

この政党助成金の内訳は発表されてこなかったのだが立憲民主党と国民民主党が合弁するときに「40億円ほどあるのではないか?」と報道された。遺産は分割されたようだがどのような分割をされたのかはよくわかっていない。

2020年の毎日新聞では浅尾慶一郎さんの推計では立憲民主・国民民主合わせて100億ほど持っているのではないか?ということになっている。国民民主党だけで50億円くらいあるのではと指摘されていることからわかるように40億だか50億だかよくわからないという状態である。

浅尾さんは政党助成金全体の300億円のうち半分の150億円が得票によって按分されると指摘している。

つまり我々の投票はそのまま政党の既得権になるということだ。我々の票は政党助成金という値札がついた紙幣なのだ。ただしそれを換金できるのは「政党」だけである。知らないうちに投票そのものがお金集めになっている。この仕組みを逆手に取るとN国のような政党も作れる。

今回2021年の選挙結果を見ると30代・40代を中心に維新の支持が高かったようである。政治のスペースでの実感を見るとこの人たちは関東では河野太郎を応援していた。共通するのは「どこをどう変えていいかはわからないがとにかく何かを変えて欲しい」という願望である。

この改革願望を換金して懐に入れるためにはどうすればいいのか?

この世代は高度経済成長を前提とした終身雇用に守られていたという実感がなく福祉にもあまり期待をしていないので「公助」に敵意を持っている。彼らにとってみれば立憲民主党などが掲げるリベラルな政策というのは「弱者に資金を盗まれる」以外の何物でもない。まずはこれを否定すればいい。

未来応援給付にも同様の反応が見られる。自分たちから消費税を奪っておいてそれを自分たちがいい格好をするためにばらまくのかという指摘を見た。彼らは他人への善意を見ると「自分のもちもの盗まれる」という感覚を持つ。優しいリベラルな政策を敵視するのは相対的剥奪感の現れなのだ。

日本の選挙は構造的にその後の政党助成金がどれだけぶんどれるのかという競争なのだから、他人への善意を否定し改革願望を煽ればそれだけ将来の政党助成金が得られるというゲームが形成されつつある。改憲運動も実はこの文脈に乗ってしまった。

これを素直に読み取ると「とにかく何か変えたいから変える」という憲法改正議論になりかねない。これは大阪で維新がやった「都構想」と同じである。実際に効果が出るかどうかはわからないがとにかく大阪市を解体すれば大阪は東京と同じ「都」になるというのが理屈だ。これをインテリ批判やリベラル批判と抱き合わせにしたのが維新ムーブメントという風の正体だ。

冷静に考えると名前が「都」になったからといって大阪が東京になれるはずもないのだが「とにかく何か変えたい」という人たちはそれを気にしない。維新はおそらくそういう人たちをターゲットにしている。

ただ、漠然とした改革期待が盛り上がっているのは確かである。そんな中で、社会変革を訴えつつこと憲法第9条については絶対に触らせないいう主張にはかなり無理がある。おそらく男女同権の推進や多様化推進など憲法を変えることで実現できることも多いはずなのだが「こと第九条だけはゴリゴリの守旧派」というのはとてもわかりにくい。

立憲民主党も改革政党に転じて環境権や新しい人権などを盛り込んだ憲法改正案を出すべきなのではないかと考えたのだが、おそらくこの提案には反対が多そうだ。敵の提案に乗って交渉すれば妥協を強いられるはずであると考える人が意外と多いのではないかと思う。長年続いた政府の無策の結果とはいえ「他人に優しく」が非主流派になった現在において憲法改正議論の席はかなり居心地の悪いものになるだろう。

このブログの読者たちは「他人に優しくなどとんでもない」というアンチ・リベラルの風潮と憲法改正の空気をどう感じているのだろうか。とても気になる。

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