あまり考えたくないことだが9月には休校する学校が増えるのではないかと思う。このままでは補償なき休校になるのではないかと思った。保障なき休校で困るのはパートなど働いた分だけしか稼げない家庭だろう。だが調べてゆくとどうもそうではないらしい。少し調べてみた。
先日千葉県が緊急事態宣言入りした直後に千葉市の担当者や市議会議員などに話を聞いた。千葉市の担当者はおそらく大した切迫感は持っていないようで「休校などしたら大変なことになる」と言っていた。市民団体選出の市議会議員も自分たちの行事が行えなくなることだけを心配していて「学校を閉めたら子供達がかわいそうだ」というようなことを言っていた。彼らは国が何か言ってきたら対応しようという受け身の姿勢だった。おそらく緊急事態宣言の意味を噛み締めてはいないのだろう。千葉県でコロナ対策をしているのは保健所、千葉県の調整機能、千葉市・千葉県の消防、一部の医療機関である。その人たち以外は政治関係者であっても所詮は他人事なのである。
そんななか、なし崩し的に影響は広がってゆく。例えば川崎市は8月中の一斉休校を決めた。教育委員会の決定だそうだ。とりあえず8月の対応は決めたが9月になったからといって状況が改善するという見込みはない。京都府の教育委員会もとりあえず8月末までの一斉休校を決めたようである。これもとりあえず8月までである。だがおそらく場当たり的な対応でなし崩しに休校措置が拡大するだろう。我慢できないところで学校を再開してまた再拡大。この繰り返しである。
国の側は一斉の休校要請は行わないという。文部科学大臣が早々とそう宣言した。要するに自分たちは責任を取らないが教育委員会が決定したらそれは邪魔しないと言うことだ。ここでまず「国が要請したら国が補償しなければならなくなるから」なんだろうなと思った。要するに国がお願いしたら金を払わなければならなくなる。ちなみに休校の休暇支援の支払い実績は590億円程度だったそうである。この程度の金を渋るのか?と感じた。
ところがこれは事実ではないようである。
調べて見たのだが今でも休業補償の制度はあるようだ。不明点のある人は最寄りの市町村役場に確認して見てもいいかもしれない。そうなると単に出費を出し惜しみ責任を取りたくないだけということになる。裏には大した陰謀はない。「なんだそんなことか」というレベルの話だ。つまり言い出した人が損をするというゲームになっている。
文部科学大臣の言い方は「地方自治体にきちんと配慮するように」だ。つまり言い出した側がお願いをし、言い出さなかった人が注文をつけて聞いてあげるという不毛なゲームだ。もちろん地方自治他の側もゲームのルールがわかっている。だからロックダウンを検討しろと注文をつけている。つまり無理目の球を投げておいて一方的に指導監督される側ではありませんよと言っている。無意識に相手を牽制しあっている。こうすれば勝者はいなくなる。ムラでは有効な手法だ。
災害級と言われる状況下で、こうしたやり方は不毛であるだけでなく経済損出も大きい。結果的に人流は抑制されず人出が増えている。愛知県と北海道も緊急事態宣言入りの要望を出しているそうだ。総裁選をにらんで9月12日に宣言を解除したいようだがおそらく誰もいうことを聞いてくれない状態でデルタ株を抑え込むのは無理だろう。
消防署に複数のチームがあり、慌てて火を消しに走った方が命令され責任を取らされる側になる。だから誰も火を消さない。そういうゲームが展開されている。
地方政治出身の菅総理の政治手法は、秘書を使った非公式な働きかけ、ライバルに決して特典を取らせない政治手法、スケジュールありきの強引なアジェンダ設定など、すべてムラ政治に基づいた地方政治文化からきている。
地方には自治裁量権も予算もないのでこうした「裏の手法」であっても大枠として地方行政を逸脱させることはなかったのだろう。これを中央政治に持ち込んだのが安倍政権だ。結果生まれたのが「憲法を破壊した」とまで言わしめたアベ政治だった。皮肉なことに安倍晋三という看板を失い地金がむき出しになったことで地方のムラ政治の弊害が噴出している。要するに官僚も国民も誰もいうことを聞かなくなってしまうのである。