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天皇陛下が思い起こさせる言葉の重みと行事を積み重ねる意味

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菅総理が総理大臣の権威を失墜させ続けている。今度は広島で大切な文章を読み間違えるという大失態を犯した。「興味はないが支持率のために興味があるふりをする」という最低限の嘘もつけなくなっているようで「彼の心はそこにはなかったのだろう」という指摘も出たそうだ。その後で官僚にきつく当たったのだろう。ノリがついていて読めなかったという説明がなされた。

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前市長の指摘でわかるように広島の人たちは明らかに国からないがしろにされることに傷ついている。「日本人は言葉を大切にしなくなった」と思った。だがそうではない事例も伝えられている。

天皇がオリンピックの開会宣言をするにあたって「祝う」という言葉を使わなかったということはすでに伝わっている。だが英文和訳についても指摘をしていたという。天皇の仕事は単に読むことだけなのだから特に政治責任を問われることはない。言われたまま読んでもよかった。だがあらかじめ吟味を重ねられ関係者と折衝までしているのである。おそらく言葉を大切にするという意味ではこれが本来のあり方なのだろう。AERA.dotは「間違いを指摘した」といっているが「疑問に思ったから聞いて見た」ということなのかもしれない。わからなかったら聞いてみるというのも大切なことだ。

菅総理にはリーダーの器はないから「元首の器」を比べるというのは恐れ多い。この器のなさは休む・任せるという行為にも現れている。

菅総理の判断力の低下は官僚の暴走を生む。判断力が低下すると「あとはうまくやっておきます」と言って重要な方針転換をさせた上に実は何もやらないというようなことが起こる。官僚は総理大臣を傀儡(お人形)としか思っていない。最初から尊敬はないのだが恫喝は怖い。

西村大臣のと間に「酒屋恫喝事件」があった。明らかに総理大臣と西村大臣の間には意思の疎通ができていなかった。総理大臣は「そんなつもりとは思わなかった」というようなことを言っている。

さらに8月2日に始まった「自宅療養中心にする」という方針転換も「きちんと対策を立てて指示をするから」という前提があったのだろう。総理は知事会でそのような説明をしていた。だがおそらく厚生労働官僚と田村厚生労働大臣は自分たちの失敗を追及されないように自宅療養中心に方針転換した上で意思決定と対策を都道府県に丸投げしようとしていた。つまりあれは厚生労働省の責任逃れだった。

責任を総理に押し付けて自分たちは好き勝手なことをするというのが官僚の基本的な姿勢である。それを抑えるにはどうしたらいいかということになる。総理大臣が取った手法は脅かすことだった。脅かすことでしか秩序は維持できないのだから、総理大臣は休みが取れない。おそらく24時間部下たちを監視し続け必要によっては強い言葉で恫喝し続けなければ体制が維持できないからだろう。だが、未知の出来事が立て続けに起こり気が抜けない状態になると意思決定能力はどんどん落ちてくる。

この緩みは直接我々国民生活に悪影響を及ぼす。休めないリーダー、任せられないリーダーが組織を率いてはいけない。任せられる行政組織を育てられなかったのなら菅総理は今すぐ退陣すべきだ。

任された部下は倫理観をもって仕事に臨むようになるだろう。だが脅されてきた部下は上司の目を盗んで楽をして成果を上げようとする。緊張感は積み上がり判断力が落ちてゆく。ついには目の前にある文章すら読めなくなってしまったわけだ。最初は「かわいそうだ」と思ったのだがTwitterには批判があふれていた。

「直前まで糊がついていたことに気がつかなかった」としたら、それはそもそも文章に事前に目を通していないということだろうと厳しく総理大臣を糾弾する声が多い。まともな政治家なら自分で文章を推敲して言葉を選ぶであろうからそもそも官僚が書いたものをそのまま読むことなどないだろうと言う人もいた。心のこもっていない挨拶は広島の当事者たちを苦しめる。

第二次世界大戦は日本が現在の体制に生まれ変わった原点のような存在だ。まともな総理大臣なら広島をないがしろにすることなどないはずである。だが、おそらく利益分配にしか興味のない現在の自民党に正しい歴史認識を持とうなどという政治家が生き残る余地はないのだろう。

ただ、よく考えてみればこれは安倍政権を支えてきたマインドセットそのものである。つまり有権者も利益分配にしか興味を持たなくなっている。だから自民党のようなみっともない政党が現在も政権を握り続けている。他人に関心を持たなくなった社会の鑑なのである。

そう考えると菅総理を変えたところで同じような政治家しかでてこないのかもしれない。自民党が下野して野党が政権を握れば状況が良くなるとも思えないところにこの国の政治の行き詰まりがある。

8月15日の終戦までまだ一連の行事は続くわけだが一つひとつの行事と言葉の重みについてもう一度考え直す夏にしてもいいのかもしれない。

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