中国の独裁体制についての質問があった。そもそも「中国は独裁体制が成立しない」ということから説明しなければならないのでなかなか面倒な質問である。独裁とはは権力者がなにかの手段を使って議会を停止させることを意味する。つまりそもそも民主主義でない中国には独裁が成立しない。これを考えているうちに「中国はいつ頃崩壊するのか?」という疑問について考え始めた。
まず最初に目についた記事は世界中で体制不安が起こっているというロイターの記事だ。新型コロナウイルスの蔓延で「多数派が抑圧されている」と考える国が増えているのだそうだ。かれら多数派をなだめるためには政府援助が欠かせない。政府援助が増えると財政が圧迫される。一方援助を打ち切ると暴動が起こる。民主主義の国であっても多数派を怒らせると体制が崩壊してしまうのである。
中国は共産党専制であって民主主義ではないので独裁体制になれない。ここで普通の日本人は一般国民には選挙権が一切ないと想像するようだ。だから中国人は抑圧されているでしょう?と語りかけてしまうのだ。
だが中国の人民専制は農民などの労働者階級が企業家などを排除するという体制になっている。つまりマジョリティがマイノリティを支配するという体制になっていてマジョリティには政治へのアクセスがある。ただし誰がマジョリティであるかは共産党が決めている。だから民主主義国のような社会不安が却って起こりにくいのである。
このため中国は新疆ウイグル自治区に住んでいるウイグル人、民主化を求める香港人などを排除する。彼らは多数派に弾圧されていることになる。反体制派も外国勢力と結託しているという理由で弾圧される。つまり中国はマジョリティがマイノリティを大っぴらに排除しても構わないという国だ。マジョリティは当然弾圧を正当化する。
普通に考えるとこんな体制が永続するはずはない。「弾圧がいけない」というのは確かにそうなのだがそもそも「大多数が支配者である」と体制が成り立つはずはないからである。
中国のやり方は独特に見えるのだが、同じような幻想を作り出していた国がある。それが古代ローマだ。
ノーマン・デイヴィスは「ヨーロッパ・古代」で「パトリキとプレブス」について書いている。ローマは小さな共同体から始まり、周辺からの捕虜をプレブスという平民階層にした。ここまでは少数者だった共産党が漢人とその他の周辺民族を支配したのに似ている。
だが、ローマの王セルウィウス・トゥッリウスはプレブスに政治的権限を与えなければならなくなった。特権階級の間にも権力闘争がありプレブスを取り込むことで権力基盤を維持しようとしたのだろう。ウィキペディアによるとセルウィウス・トゥッリウスはエトルリア系奴隷出身でプレブスの承認なしに初めて王になった人物だという。ウィキペディアの王政ローマという項目を読むと、古代ローマは封建王政ではなく市民の承認が必要な大統領制のような仕組みだったようだ。このためローマは帝国になっても皇帝は世襲ではなかった。
中国も世襲王朝ではない。これも実はローマと似ているのだ。
こうした複雑な最初の政治システムは、ローマ(ラテン)人、サビニ人、エトルリア人という複雑な人種構成からなる多民族国家的な背景が基礎になっている。権力基盤が脆弱であればあるほど多数派を取り込む必要が出てくる。王様選びのゴタゴタに疲れた市民は二人の執政官を置き「共和政ローマ」を作った。共和政ローマでは次第にプレブスの声が大きくなり護民官が設置され法律が明文化された。こうしてプレブスの政治的権利は拡大してゆく。やがてローマは強い国家を要求するようになる。こうしてローマは皇帝を頂く帝国になった。
マジョリティが満足している間、マジョリティは強い国家を求める。だから軍事的に競争しても体制を崩壊させるのは難しい。日米同盟を強固にして軍事的に中国を抑圧したい人がいるがこれは強い国家という幻想を与えるには有効だが中国を打倒するにはあまり意味のないアプローチである。
ローマ帝国ではプレブスとパトリキの間の境界が曖昧になりどちらも既得権益化する。属州をどんどん増やして搾取する階層を増やすことで既得権益者を維持する必要がある。だから、ローマ帝国は軍事化が進みどんどんと外に拡大した。
このようにローマ帝国は成長なしには持続可能性の低い国家だった。ヨーロッパの民主主義という仕組みは周囲に拡張することなしに成長をするために新しく発明された社会制度だと言える。だから成長を放棄するとやがて内部から多数派の不満によって崩壊する。それが冒頭に紹介したロイターの記事が示唆するところである。
中央の既得権益層を守るためには絶えず周辺に領地を拡大しなければならない。領地が拡大すればするほど反乱鎮圧のコストが増える。ノーマン・デイヴィスの「ヨーロッパ・古代」によると最初の頃は属州支配がうまく行っていた。だが次第に拡大が難しくなる。中央では士気の低下が起こり周辺部では崩壊が始まる。三世紀になると皇帝が頻繁に交代するようになりついにはビザンティウムに遷都された。王政ローマから始まって1813年間ののちにローマの繁栄は終わりを迎えたという。
ローマは支配した地域の住民にローマ市民権・半市民権(キウィタス・シネ・スフラギオ=参政権なし)・ローマの同盟市の格を与えたそうだ。さらに兵士に土地を与えて働きに報いた。逆らえば徹底的に潰されるのだが従えばそれなりに報いてもらえるという政治形態だ。プレブスとパトレスの他に従属民がいて従属民も自由民とそうでない人たちがいたという。こうして柔軟に変化に対応していたのである。
中国について同じことを聞いてみた。全人代という仕組みがあり共産党の意向に沿った人たちが一般市民から選抜される仕組みになっている。これをもって中国人は「人民に政治的なチャンスが与えられている」と考える。共産党の意向は柔軟に変えられるので誰を選抜するかによって共産党は人民を懐柔することができる。
中国は「パンの補給(経済成長)」「選抜式の政治参加」「少数者の抑圧」という手段を通じて人民にマジョリティ意識を与えなおかつ支配することができるという意味でローマ帝国の最初の頃に似ているといえそうだ。逆に言えば経済成長が止まった時点でこの公式が成り立たなくなる。
中国のような体制が成り立つためには中国は成長し続けていなければならない。中国とローマ帝国が決定的に違っているのは経済の独立性である。ローマ帝国は一つの独立した経済系を作っていた。だが中国の経済はアメリカを中心とする世界経済に従属しているだけだし彼らがアメリカから得ている富は「通貨という記号」に過ぎない。これは域内では魔法のように威力を発揮するのだが外に持ち出した瞬間に無価値になる。
おそらく中国が永続するためにはアメリカ経済の元で経済を成長させる必要がある。だがアメリカの山道なしにはこれはほぼ不可能とみていいだろう。ローマ帝国は東に遷都することで生き延びた。成長が止まってしばらくすると共産党は中国のどこかの地方に引きこもる地方勢力になるのかもしれない。アメリカ合衆国は中国への投資を抑制する策に出ているようだ。人権が表向きの理由になっているがおそらくは成長を阻害することで内部からの崩壊を誘発しようとしているのではないかと思われる。