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菅総理の恐怖政治(フォビアクラシー)

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作家の佐藤優さんが菅総理の政治手法はフォビアクラシーだと言っている。忖度を求める恫喝型の政治だという印象はあったが改めて「フォビアクラシー」だと言われるとかなりのインパクトがある。だがフォビアクラシーという言葉には違和感がある。違和感の意味を考えて見た。

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菅総理の政治手法が恐怖・強権型でありコロナ対策に失敗しているということはこれまでも述べてきた。おそらく改めて証明するまでもないくらい自明のことだろうと思う。だがそれをロシアに見られるような恐怖政治だと言われると、あれ?そうなのかなとも思う。

フォビアクラシーという言葉は『ウラジーミル・プーチンの大戦略』の作者の造語のようだ。恐怖政治の訳語を調べると「テラー」が出てくる。ロシアでは民主主義が機能しなくなり代わりに恐怖による政治が横行した。このロシアの事情を特別に表すためにフォビアクラシーという用語を作ったようだ。状況が曖昧になれば権力者の顔色を伺う必要が出てくる。「忖度政治」が横行するという意味では日本の状況に近いのかなと思う。

だが日本全体がフォビアに包まれているという印象はない。

佐藤さんは「菅総理は良かれと思って恐怖政治を選択している」といっている。自分たちが権力を手放せば国が混乱する。だから安定のためには恐怖政治をやるしかないと思っているというのである。話はそのあと中国に流れてゆくので菅政権の恐怖政治に関する分析はこれ以上読むことができない。この佐藤さんがこう感じるのは同じ「実務派」であるプーチン大統領とすが総理を重ねているからなのだろう。

ではロシアと日本では何が違うのか。

ロシアで民主主義が機能しない理由についての文章を読んでみた。朝日新聞の記事ではロシアで長年動かなかった「ゴミ問題」がプーチン大統領の鶴の一声によって動き出したという話が枕になっている。人々が強いロシアを求めているからプーチン大統領はそれを国民に与えようとしているという筋だ。プーチン大統領は極めて「プラグマティック(実務的)な」大統領なのだという。

まずこれが日本と違っているところだ。日本の国家制度はある程度出来上がっていて総理大臣の強い号令なしにスムーズに動いている。逆にいえば官邸が指導力を発揮しようとしても空回りするだけで何も改革ができないとも言える。表向きは極めて集団主義的な文化だが同時によその組織からあれこれ指図されたくないと思っている人が多いという特殊な社会背景が日本にはある。

別の記事には権威主義が好まれる政治風土について語られている。ロシアに限らず旧ソ連圏で長期政権が続くのは強い指導力によって国を動かしているうちに「権力か死か」という状況に陥りやすいからだという分析である。つまり、国民が強くて強引な政権を望んでいるということになるだろう。

これも強い権威にはすがりたいがあれこれ指図されるのは嫌だという日本とは全く状況が異なっている。

おそらく日本の民主主義はそれほどうまく機能していない。コロナの失敗は政権担当能力があると証明しようとして失敗した民主党の失敗に極めてよく似ている。スタンドプレーに走る政治家たちが空回りして消えてゆくというパターンが共通しているのである。

一方で、小さな集団の中の統治は比較的うまくいっている。日本では小さな集団が重層的に重なり合って「日本型統治機構」というものが作られている。極めて安定していて改革も変革も難しい。

確かに日本では恐怖政治に怯え耐えきれなくなった大臣たちが不規則発言を繰り返すようになった。今になって思えば国会答弁で自滅してゆく佐川元国税庁長官などの官僚はその前触れだったと言って良いだろう。将来の首相候補だった彼らは空回りして消えてゆく。一方でふわっとしたことしか言っていない小池百合子東京都知事に期待が集まる。彼女はまだ何もしていないからである。

だが、一部の政治家と官僚が自滅しても地方自治体は比較的冷静だ。河野行革大臣の一人ワクチンパニックに振り回されたものの地方自治体は自力で接種体制を回復させつつある。おそらく一ヶ月くらいで「それなりの」復帰するものと思われる。彼らは容易に改革を受け入れない。だが上から無茶苦茶な指令が降ってきてもそれなりに抵抗して安定を取り戻す。

ロシアでは恐怖が前提になった政治が定着したのだが日本はそうならない。国民がゆきすぎた官僚主義を打破しようとしても、エージェント(政治家)があまりにも無能なのでそれが叶わないが、めちゃくちゃな指示が降りてきてもそれなりに対応する。おそらくメリットもデメリットもあるのだろうなと感じるが、なんとなく徒労感もある。「結局は選挙に行ってもそれほど意味はない」ということになってしまうからである。

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