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独善的で独断的な菅総理は日本の指揮者としては失格である

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五輪への看護師派遣は可能 菅首相「医療に支障来さず」という時事通信の記事を読んだ。菅総理のメンタリティがよくわかる記事だった。影の存在として安倍総理と一緒に退場した方が良かった人なのだろう。

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記事の内容は短い。大会期間中の看護師500人派遣に反対する人が大勢いるが「批判は当たらない」と言って退けている。総理大臣という仕事の意味がまだわかっていないんだと思ったし、わかることもないんだろうなと思った。

機能不全を起こす菅内閣を見て「総理大臣に求められるリーダーシップは執行者に求められる資質とは違っているらしい」ということに多くの人が気がついている。だがそれが言語化できない。どこかモヤモヤする。

現在医療従事者たちは先が見えない新型コロナウイルスとの戦いに疲弊している。市民たちは「自分たちが感染しなければ関係ない」と考えて遊びまわっている。政治家は会食を繰り返し、感染症に関係のない医師たちは「お気の毒様」とばかりに自分たちのベッドにコロナ患者が回ってこないかだけ気にしている。遊びまわる人たちを見て心が折れそうだと感じている人も少なくないだろう。中には自粛せずに感染する患者が憎いと思いつつ葛藤している医師もいるかもしれない。

この国には調和が足りない。

総理大臣に求めらえるのはこうしたバラバラな心を一つにまとめ上げることである。そのためには想像力を働かせた上で何が足りないのかを自省して自らの言動を変えて行く必要がある。

そんなことを考えていたら「総理大臣はオーケストラの指揮者なのだ」と気がついた。指揮者は楽器を演奏しない。楽団を見渡して、楽団員の個性にも配慮しつつ、必要な指示を必要なときに与える。みんなが総理大臣の一挙手一投足に注目するが指揮者が自分で歌い出したり楽器を演奏したりすることはない。指揮者の仕事は調和の醸成と総合調整だ。

これをオーケストレーションという。日本はオーケストレーションしていない。日本語でいうと調和していないのだ。

安倍政権で「官房長官」という執行者だった菅総理はそのことが理解できない。47ニュースには独断的だと言う批判が出た。安倍総理時代には政策が批判されることはあったが「やり方」が拙いと批判されることはなかった。いずれにせよ菅総理は(あくまでも裏方としてではあるが)優秀なソリストだったのかもしれないが指揮者になる教育を受けていないし心構えもできていない。おそらくその資質もないのだろう。

47ニュースの記事は「結論だけが降りてくる」と書かれている。オーケストラでいうと楽団員のアーティスト性を無視して「とにかくこの通りに弾けばいいから」と譜面だけ渡すようなものだ。楽団員は本来周りの音を聞きながら音楽を一つにして行くのだが、菅楽団ではとにかく菅総理がタクトを振りあげるたびに「ビクっ」と身を縮ませて音を奏でるしかない。周囲と音が合わなくても当然なのである。

菅総理はそもそも他人が奏でる音が聞けないと言う時点で指揮者失格である。人の話が理解できない人が指揮者になることなどできない。

時事通信の記事では「たくさん休んでいる人がいるのだからその人たちを使えばいいだろう」と言っている。おそらく読みかじった新聞記事や人生相談をもとに彼の頭の中ではそう言う結論が出ているのだろう。まさに思い込みによる独断である。この独断を元にタクトを振り回し楽団を混乱に陥れている。

指揮者としての菅総理は解任されるべきであろう。だが、問題は代わりの指揮者が出てこないことだ。注目株は全てをぶち壊してくれそうな小池百合子東京都知事くらいである。

日本人はリーダーシップを体系的に学ばない。楽器の演奏法を学ぶ人はたくさんいるが指揮者を育てるプログラムはないのだ。優秀な指揮者のいない国はまとまらない。ただ破壊と混乱が繰り返されるだけである。

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