欧米でも日本でもジェンダーが揺れている。欧米では多様性が進み過ぎており却って「あるべき性のあり方」がわからなくなっている。一方で、日本では古い制度にしがみつきたいあまり実用性が損なわれている。状況は全く違っているのだが「揺れている」という意味では共通点があるように思う。
先日、ミスターポテトヘッド・ミセスポテトヘッドという伝統的なキャラクターがミスターを使わなくなったという記事を読んだ。ミスターは時代にそぐわない、ただの「ポテトヘッド」に 米人気玩具というタイトルで記事になっている。「ミセスポテトヘッドは実はトランスジェンダーである」という設定も加えられたのだそうだ。
ここ数年来、アメリカを中心にジェンダーはホットトピックになっている。ハリウッドでは黒人の権利向上運動がありそれがジェンダーに飛び火した。ハーヴェイ・ワインスタインという大物プロデューサのスキャンダル事件もあり男女同権やLGBTの権利向上などが絶対的正義になりつつある。差別は絶対に認められないという人が増えているのである。
その行き着いた先がミスター・ミセスポテトヘッドから伝統的な性的役割を取り除こうという動きだ。しかしミセスポテトヘッドをトランスジェンダーにすることに悪ふざけ以上の価値があるとは思えない。単なる話題作りにしか見えないのだ。
同じような運動がバービー人形を作るマテル社にもあるそうだ。マテル社は多様な性意識を持ったジェダーフリーの人形を売り出しているという。人形ですら性的決めつけはダメなのである。
では比較的ジェンダーが社会的に定義されている日本の方がマシということになるだろうか。日本には日本なりの事情がある。
Japan gender equality minister opposes change on separate spouse surnamesという記事があり日本語でも日本の男女共同参画担当大臣、選択的夫婦別姓に反対と翻訳されている。
記事の内容はほとんど同じなのだが英語版には大井真理子さんの日本の紹介ビデオがある。このビデオ自体は割と冷静に日本の女性の状況について語っている。男性は専業主婦を求めるが収入が低いため専業主婦を養えなくなっている。女性は再び働きに出るが、女性の労働者(宅配ドライバーの例が出てくる)は歓迎されることもあるが収入は低く男性の扶養の範囲を超える給料を得るのは難しいという紹介になっている。
丸川さんの記事は「男女機会均等担当大臣なのに選択的夫婦別姓には反対である。にも関わらず自分は結婚前の名前で仕事をしている」というものだ。男性中心で変化を拒む旧弊な政治が男女機会均等の推進に後ろ向きであるというように受け取れる。女性政治家すら例外ではないということになる。まるで女性が被支配者のように見えてしまう。
実際には企業が低賃金労働に依存するようになっていて一度家庭に入った女性がそのターゲットになっているという点が問題なのだがビデオと記事が並べられると「男性に支配されるかわいそうな女性」が住む国日本という像が勝手に作られてしまう。
扶養控除枠は日本が終身雇用制度を維持できていたからこそ成り立つ制度であって今の時代には合わない。本来は政治的に再検討されるべきだが、日本人はまだありもしない終身雇用制度にこだわっている。そこがまず問題である。
だが、それ以上の問題もあrる。
家父長制度は日本では廃止されている。大臣さえ通名を使う現代においては社会の実運用とずれた「戸籍名称」はもはや政府が管理するためだけに存在する不便な記号にすぎない。政府が個人を管理する道具に過ぎないのだから、社会が便利になるように道具の使い勝手を向上させるべきだ。
おそらく、選択的夫婦別姓に反対する人たちが恐れているのはすでに起きている変化を追認させられることなのだろう。
最初のミスター・ミセスポテトヘッドの事例は「当たり前のある男女の区別」を一旦疑いだすとキリがないということを示す事例になっている。いくら性的自認にあった多様なバービー人形のようなものを作ったからといって全ての人を満足させることはできない。一方で日本のようにありもしない既得権益にこだわり変化を拒んでも問題を生み出すだけだということがわかる。
欧米のジェンダーをめぐる混乱は知恵の実を食べてしまった人類故の苦悩ということが言えそうである。智恵があり過ぎてついつい面倒なことを考え出してしまうのだが。実際に大切なのはありのままを素直な心で受け入れる勇気と智恵だろう。探し求めるのは悪いことではないが、理想ばかりを追求しても終わりは見えない。
一方、戸籍制度に関しては「あれは単なる道具であり精神性を求めてはいけない」という意識を徹底するべきだろう。変化を恐る人たちは戸籍に過大な意味づけをしている。あれは単なる政府の国民管理簿に過ぎない。家族観を示した道徳規範ではないという単純なことがわからない人が日本には多過ぎるように思える。