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新型コロナがもたらす本当の戦後

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今日の話は「新型コロナがもたらす本当の戦後」というタイトルになっている。新型コロナで経済が壊滅するという話を期待する人もいるかもしれない。だがむしろ新しい秩序ができるために必要な破壊が起こっていると捉えるべきなのではないかと思う。恐れるばかりでは何も始められない。

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先日、Quoraのある質問で憲法が「労働の権利」から「労働の義務と権利」に変わった経緯を聞いた。この時に社会党と一緒にこれを推進したのが日本協同党という政党なのだだそうだ。実質的には岸信介が活動の中心になっていた政党である。ゴリゴリの右派だと思われている安倍晋三元総理の祖父の岸信介元総理はある時期は左派だったのである。

また聞きであり細かい情報がわからない。推測する限り「労働者中心の国になるべきだ」という左派の意気込みがあったのかもしれないと思った。国から勤労の権利をあてがってもらうのではなく自ら誇りを持って労働者の国になるべきだと言う理想が感じられる。ただ、岸信介らと社会党ではおそらく「労働者」の意味合いが違っているかもしれないとも感じた。

日本は敗戦の結果、少なくとも言論的にはソ連型の社会主義・共産主義を目指すことができるようになった。だがそれとは全く違った社会主義として国家社会主義が存在する。岸信介らは満州国で官僚主導の国をつくり「銃後の備え」として国家総動員体制を作った。例えば健康保険、年金、終身雇用などの体制はその時に作られたと考えられていて、1940年体制などと呼ばれる。

戦後の歴史においてソ連型の社会主義は「異物」として扱われることが多い。左翼は今では蔑称として用いられる。ところが岸信介らが作った社会主義体制は社会主義とすら呼ばれないほど日本の社会に定着している。日本はアメリカと比べると社会主義色の強い自由主義経済国家といえる。

岸信介はその後日本の総理大臣になる。憲法改正を前に退陣してしまったので彼がどの程度「社会主義的だったのか」はよくわからない。ここで憲法議論が始まっていたとしたら今とは全く違う形の改憲議論が行われていたのかもしれないと思う。この岸の憲法観はおそらく孫には引き継がれておらず、したがって安倍元総理は憲法議論をうまくモデレートできなかった。

この日本型の社会主義観は奇妙な形で我々の生活に陰を落としつづけている。女性の社会活躍が問題になることがある。社会主義では女性も労働者の一人として尊重されるべきだ。ところが実際には終身雇用時代を生きた専業主婦たちが嫁世代に対して「女性が社会に出て仕事をするのはみっともない」という。終身雇用制度という官民が作り出したシステムの中で与えられた役割を果たすべきだという感情が高齢者ほど根強く残っているのである。

ではその官民が作り出したシステムはどの程度有効に機能しているのだろうか?

経済評論家の加谷 珪一さんが面白い話を書いている。タイトルこそ「過去最大の赤字よりマズい」電通が五輪中止より恐れている”最悪のシナリオ”と煽り気味だが、実際に書かれているのは戦後体制の崩壊だ。

官僚主導の国家がありその宣伝戦略の一環としてテレビや新聞などの中央集権的な宣伝体制がある。その宣伝体制を一挙にになってきた電通が危ないという。

電通が潰れることはないだろうが、これまでのような巨大企業ではいられないだろうと加谷さんは分析する。背景にあるのはデジタル広告の台頭なのだが、新型コロナによって東京中心の仕事形態も崩れつつある。新型コロナが変化を加速しているのだ。

電通だけでなく通信や金融も官民で作り出したシステムの崩壊の例として上がっている

高齢の消費者が大手の銀行や携帯キャリアを好むのは「大きい方が安心だ」と思っているからだ。実際に大手三大キャリアは最終的には一つのプランに収斂してゆくが、ユーザーはそれでも大手の方が安心だと思っている。自由競争よりも安定を好む高齢消費者が日本の経済を支えている限りこの状態は続くだろう。だが、その先はなさそうだ。

また菅総理大臣の長男が総務官僚と会食するのも総務省が衛星の許認可権限を担っているからだ。だがよく考えてみれば「ネット配信」が中心になってしまえばそもそも総務省の出番はなくなり接待もされなくなる。高齢者はテレビを見るかもしれないが若者はYouTubeやサブスクに頼っている。おそらく総務省放送貴族の優位は崩れてゆくだろう。

別の側面から見ると、最近では政治観発言がSNSで簡単に炎上することが増えた。NHKで国民向けに取り繕えばそれが国民世論として浸透するということはおそらくもうないのだろう。現役世代はSNSでニュースを仕入れているのだが高齢政治家がそれにキャッチアップできていない。NHKの地位も相対的に下がってゆくだろう。

オリンピック・パラリンピックを誘致して国民の心を一つにするというのはいかにも社会主義的なやり方だ。それが「多様性」という言葉によって押し流されようとしている。

いつもはかなり細かなことを書いているので意識が難しいのだが、実は毎日の細かいニュースの裏でかなり大きなストーリーが進行中であるということがわかる。

もともと戦争という大きな国家事業がありそれがやがて経済戦争へと変わった。経済成長が終結すると国家総動員体制は必要なくなるのだが人々の意識は変わらない。だから制度だけはなんとなく残っていた。

新型コロナとデジタル化という目に見えない力が形骸化したシステムに最後の一撃を加えようとしているのがわかる。これがおそらくポストコロナの本当の意味だろう。こうして我々はついに本当の戦後を手に入れようとしているのである。

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