橋本聖子元五輪担当大臣が組織委員会会長に収まった。これを伝える読売新聞のタイトルがよく理解できなかった。「「橋本新体制」に冷や水、自民側「離党は不要」から一転…野党の反発見誤る」とある。マスコミは東京オリンピックが政治的に中立であるべきという世論がどこかにあると本当に考えているのだろうか?と思ったのだ。
これまでも安倍政権・菅政権は野党が反発するようなことをたくさんやってきた。だが、それで政策を変えることはなかった。ではなぜ今回は与党が折れたのか。それはオリンピック・パラリンピックが広報活動だからだろう。つまり、オリンピック・パラリンピックは政治利用されている。
ここまではわかる。
世論がオリンピック・パラリンピックに政治的中立性を求めているという話は聞いたことがない。Twitterを見ていたが橋本聖子さんが自民党を離党すべきだなどと言っているつぶやきは全く見なかったし世論調査をやったという話も聞かない。どちらかといえば世間はこれを気にしていない。気にしても仕方ないからだ。
野党が反発していたというのはなんとなくわかる。これを政治問題として取り上げようとしているのだろう。連日これが面白おかしく取り上げられれば菅総理の長男の問題と一緒に大騒ぎになるのかもしれない。だがこれで野党の支持率が上がることはないだろう。まあこれは勝手にやっていただければいいと思う。
そもそも野党が反対して見せることも「組織委員会の政治利用ではないか?」と思う。
橋本聖子さんは自民党の比例区の代表だ。2019年に当選していて6年の任期があるので2025年まで議員でいられる。これまでもおそらく客寄せの役割を背負ってきた。つまりこの人の名前で他の人も当選させているのである。これをなかったことにはできない。
2025年の選挙はどうするのだろう。ここであっさり復党ということになれば「なんのための離党なのか」という話になる。逆に復党させないと次の当選はできない。2019年には22.5万人に指名されている。ちなみに20万以上の都市は中核市と呼ばれる。この中核市を構成するくらいの人が橋本聖子さんに票を入れているのだ。
誰の目からみても政治案件だ。これはおそらく森会長の時代からそうだった。しかし国民は大して関心を持たなかった。にも関わらず、今回橋本聖子さんを離党させて「何もなかったふり」をするのはどうしてなんだろうか?と思う。
おそらく橋本聖子さんが会長になったのは彼女が森本会長の愛弟子だからだろう。橋本聖子議員が誕生した1995年、当時の森幹事長が「橋本聖子さんは娘のようだ」と言ったという逸話がある。会長人事が密室だったのは当たり前だ。おそらく中枢部の人たちは「政権に覚えがめでたく」「森喜朗元会長の機嫌を損ねない」人選をすると橋本さんになってしまったのだと思う。
日本の体育会系は上下関係を大切にすると言われているが、実際には目上の者に対する恐怖心が強いのかもしれない。相互信頼に基づく関係性ではない。ここで透明な選挙などやってしまえば後から国に恨まれると考えても当然である。
それでも橋本聖子さんがやりたいというなら話を聞いてもよかったと思う。だが、当人は周囲に「やりたくない」と漏らしていたようだ。つまり本人の意思でもない。
今回の騒ぎは元はと言えば森さんが起こしたものだが、その森さんの機嫌を損ねないように「嫌がる人を無理やり連れてきた」ことになる。女性全般の人権は重要だが、橋本聖子さんの意思や人権はどうなるんだ?という気分になってくる。
結局のところ、読売新聞社としては「野党がうるさく言っているから離党せざるを得なかった」という説明が一番丸く収まると考えたのだろう。あとのことはあとで考えればいいやという場当たり感がある。
最終的になぜか橋本聖子さんがお詫びをして終わりになっている。橋本さんがお詫びをした理由は「騒ぎになったから」だそうだ。誰も細かいことを考えず、どちらかといえば騒ぎに巻き込まれた当事者が侘びを入れて上役たちにへつらうというのはいかにも日本的なあり方である。
本当にこんなことを繰り返していて良いのだろうか?