アルメニアとアゼルバイジャンの間で大規模な衝突が起き、拡大しつづけている。その背景にあるのがこの地域の複雑な成り立ちである。ハンティントンの「文明の衝突」にあるフォルトラインであり紛争の根本原因は当地の地形だ。
まず7月中旬に国境近くで衝突が起きた。どちらも相手型を非難していてどちらが先に手を出したのかはわかっていないようだ。数日で15名の死者が出る事態に発展する。8月には大国の介入で沈静化するかに見えたのだが衝突は収まらず9月月末までに民間人を含む95名が亡くなっているそうである。背景にあるのは新型コロナや自国政治に忙殺される欧米と積極的な関与を深めるトルコの存在だそうである。トルコと結んだアゼルバイジャンはナゴルノ=カラバフの奪還を試みておりこれに反発したアルメニアが27日にアゼルバイジャン側のヘリコプターなどを撃ち落としたことで対立が激化した。事態が沈静化する兆しはない。
アルメニアはローマ帝国の影響を受けて早くからキリスト教国になったが、地域としてはパルティア(現在のイラン)との間の緩衝地域であった。インド・ヨーロッパ語族のなかで独自のアルメニア語派を形成している。一方でアゼルバイジャンはイスラム教国である。言語はトルコに似ていてしばしば兄弟国と呼ばれる。このアゼルバイジャンの領域にアルメニア人が多く住むナゴルノ=カラバフという地域があり、これが係争の原因になっている。コーカサスにはこの他にインド・ヨーロッパ語族ではないグルジア語などのカフカス語族がいる。日本から見ると同じように見えるが、アルメニア・アゼルバイジャン・ジョージア(グルジア)は言語的に全く異なっている。
歴史を調べてみるとかなり複雑で一筋縄ではいかない。アルメニアは古くからアルメニア人という自意識を持っている。アルメニアに住んでいるのは300万人程度だがディアスポラと呼ばれる800万人以上の海外同胞がいるそうだ。もともとは海外華僑のようにビジネスの広がりだったそうだがトルコの虐殺から逃れて海外移民した人たちもいる。虐殺された経緯はユダヤ人が恨まれるのとよく似ている。アルメニア人は商人として活躍しており近隣のイスラム教徒と軋轢を引き起こすようになった。アルメニア人は故郷に対する思いが強く仕送りを通じてこの貧しい山国が近隣に飲み込まれないように支援しているようである。
アゼルバイジャン人の成り立ちはもっと複雑である。アゼルバイジャン人はアゼルバイジャンとイランに別れて住んでいる。イラン人のうち20%はアゼリ系だそうである。彼らはアナトリア高原に行かずコーカサスとペルシャに残ったチュルク(トルコ)系だ。
遺伝的な情報を調べるとアゼルバイジャン人は周辺の諸民族と同じようにペルシャ人に近いそうである。この地域にはアルメニア語とは別に北コーカサス系の諸言語を話す人たちがいる。このうちジョージア(元のグルジア)だけが独立しているのだがロシアの領域にも様々な北コーカサス系の民族が住んでいる。アゼリ人ももともとこうした諸言語を話す人たちだったのかもしれないが、まずイランからやってきた人たちに支配されて血統的にはペルシャ人と同一になった。
ところがそのあとでオグズ・チュルクと呼ばれる人たちが東からやってきた。このオグズ・チュルクのうちアナトリアに行った人たちが今のトルコ人だがトルキスタンにも残っている。トルコ化したペルシャ人がペルシャ帝国領域に残ったのが現在のアゼルバイジャン人である。このあとロシアが南下してきた。コーカサス山脈でロシア世界とは区切られていたのだがこの山脈を越えてきたのである。北部は最終的にソ連邦の一部になる。こうしてグルジア・アルメニア・アゼルバイジャンはソ連の衛星国になった。
グルジア・アゼルバイジャン・アルメニアはペルシャ・トルコ・ロシアの結節点にあり様々な帝国に飲み込まれてきた地域なのである。だが、民族の独自性はなくならなかった。
これだけでも複雑なのだが、アゼルバイジャン沖のカスピ海には油田やガス田がある。この豊富な石油収入が軍事費に当てられる。アゼルバイジャンはトルコと同系なのでトルコに石油を売りたいのだがアルメニアかジョージアを通過しないとパイプラインが引けない。トルコもエネルギーが欲しいうえにロシア依存から脱却したい。だが、アルメニアは虐殺の件でトルコを恨んでいる。結局アゼルバイジャンはジョージアを経由してトルコにパイプラインを通したそうである。
一方でトルコ系に囲まれ迫害された経験もあるアルメニアはロシアに接近している。ロシアと集団的安全保障条約を結んでいるのでアルメニアへの攻撃はロシアへの攻撃とみなされるそうだ。この地域の衝突は容易に大国間の争いに発展してしまうのである。
今回はチュルク系陣営がナゴルノ=カラバフを取り戻すとしたことが衝突の原因になったようである。トルコとしてはヨーロッパやアメリカが自国の問題にかかりきりになっている今がチャンスなのだろう。トルコは最近になって様々な国に介入をしている。シリア問題は泥沼化しギリシャとの間には領海紛争を抱える。エネルギー問題や長年の民族感情などが複雑に絡み合い単純な和平は期待できそうにない。
山がちなコーカサス地域は山がちな地域であり少数民族が逃げ込みやすい。ローマから見てもペルシャから見てもトルコから見てもロシアからみても辺境にある。一方でトルキスタンからトルコに東進するにもロシアから南下するにしてもイランから北上するにもこの地域を抑えなければ先に進めない。逆の見方をするといつ敵が襲ってくるのかはわからない要衝なのである。
具体的には、トルコ系、北コーカサス諸語、インド・ヨーロッパ系の三つ(ロシアとペルシャ)の結節点にあり、キリスト教とイスラム教の結節点になる。北コーカサスには谷ごとに異なった言語を話す民族が住んでいてとても民族ごとにきれいに別れて民族国家を作るようなことはできそうにない。