菅官房長官が消費税増税を容認する発言をしたそうだ。自民党総裁に当確が決まっているうえに野党が支持を集めないこともわかったのでこの時期だと考えて発言したのだろうと思った。だが翌日になって安倍総理と同じ考えで10年は必要ないと思っていると軌道修正した。謝りはしなかったが失言だったのだ。このニュースを見てなぜ日本人は怒らないのだろうかと思った。
最初の発言を聞いた時点では「菅総理はしばらく選挙はしないのかもしれない」と思った。自民党には野党が弱いうちに総選挙をやっておくべきだという人がいるそうだが菅官房長官はコロナ対策を優先したいと言っている。ただ打ち消し発言が出たのでまたわからなくなった。今度は逆のことが起こる。つまり菅政権では消費税増税が封じられてしまうことになる。おそらく、安倍政権と同じように菅政権下ではこういうことが度々起こるだろう。だが、これまで道化を引き受けていた総理はいない。自分で始末するしかないのだ。
ただ、この発言への反対意見は多く聞かれなかった。高齢者はもらっているものが多いので「消費税で自分たちの既得権を守ってほしい」という気持ちでいるのかもしれない。
一方で若年層の間では自民党が正解だという認識が広がっている。自民党がいうのだからきっとそうなのだろうという認識があるのだろう。自民党は日本という大きなものを肯定してくれていて立憲民主党は日本を否定する反日勢力だという単純化された認識があるようだ。だから自民党の主張は概ね認められてしまうのである。
面白いことに消費税の代わりに余剰資金を溜め込んでいる企業に支出をさせるべきだという議論は否定されることが多い。反主流派が言っていることだからおそらく不正解の一種だという認識があるのだろう。
錦の御旗とはよく言ったもので、日本人は議論の中身ではなく誰が言ったかということを重要だと考えるのだ。
だがおそらくこのニュースの肝は消費税ではないのだろう。一番驚いたのは菅官房長官が「少子高齢化は既定路線だ」と認めてしまった点である。これはこれまでの政府が頑なに認めてこなかった点である。少子高齢化の克服と成長戦略の発見はセットになっている。おそらく菅官房長官発言は有権者が持っている「もうこの国は成長しないであろうがとりあえず今は大丈夫」という漠然とした諦念と自分たちは逃げ切れるのではないかという漠然とした楽観主義をうまく拾ったのだろうと思う。
一方で岸田政調会長の「出産費用無償化」も期待を集めている。これは少子化対策である。ところが議論は「少子高齢化を受け入れるのか」それとも「少子化を克服するべきなのか」ということにはならなかった。岸田政調会長の発言はJ-Castニュースによれば細かい点が批判の対象になってしまった。主権者意識の低い日本人は大枠の議論には興味がなく細かいところばかりが気になってしまう。
いずれにせよ「この国はもう衰退基調だが俺が政治家をやっている間はきっと大丈夫だろう(知らんけど)」という総理が期待され「少子化対策についてできることはやるべきだ」という人を批判するという奇妙な流れになっている。日本人は成長や改革を諦めてしまっている。国から「あなたたちは変わらなければならない」という継続的なメッセージを聞かされ続けるのがたまらなく嫌で、だったら将来世代が落ちぶれても構わないと思っているのだ。
この流れは民主党の「このままでは日本はダメになる」というメッセージから始まっている。だが結局民主党はこの流れを変えられなかった。おそらく国民はこの時点で改革を諦めた。その後に出てきた安倍政権は「あれは悪夢の民主党のたわごとである」とし「問題など何もなかったのだから我々に任せてほしい」と言った。もちろん国民はこれは嘘だとわかっている。だが自分たちはダメなのだと言われるより嘘でもいいから肯定してもらいたかったのだろう。そして今度は自分が総理の間はまあなんとかなるがそのあとは知りませんよという人を選ぼうとしている。
菅官房長官は「少子化が進行しているのは国民のせいだ」とはいわなかった。ただそれを受け入れるように我々を誘導しているのである。時々オリンピックや万博のような昔の祭りを再現してうさを晴らし徐々に黄昏てゆきたい。それが多くの日本人が今聴きたい歌なのである。