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民主主義 – 形を変えた戦争

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最近、Quoraでイギリスについて調べたことを書いている。その中でナイジェル・ファラージという名前が出てくる。この人がなかなか曲者でイギリスの無責任男という論評(登録しないと途中までしか読めない)や「また逃走」というような論評ばかりが検索にかかってくる。ポピュリストという表現がされることが多いが、ポピュリストというより愉快犯に近い。

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ちょうど国政で山本太郎現象が起きていることもあり「ポピュリスト研究」が面白いテーマだと感じ始めている。ポピュリストは感情や感覚で大衆を扇動する政治家のことだが大衆との立ち位置でその中身は大きく違ってくる。ファラージさんは上流階級の出身ではないようだが、保守党のEU加盟路線に失望し「愉快犯的に」イギリス政治に関わるようになってしまったようだ。救済ではなく移民への差別感情を脱EUの動きに置き換えたという意味で「右派ポピュリスト」と言える。

保守党で主流になれなかった男が政党を立ち上げEUからの離脱を訴える。そこに票が流れそうになったのでキャメロン首相は2013年にEU離脱の是非を問う国民投票を約束した。しかし、2015年の選挙ギリギリまで連立相手が止めてくれるだろうという見込みがあったようだ。1997年から2007年までイギリスは労働党のブレア政権だったので、左派から右派ポピュリズムという流れができつつあったのかもしれない。キャメロンさんはこの流れをせき止めて保守党に人々を惹きつけておく必要があったのだ。

しかし2015年に100万人もの難民が流れ込み危機意識が高まる。党派対立に勝とうとしていたボリス・ジョンソンも「多額の援助をしているが見返りがない」と煽り(のちにこれは嘘だとわかった)結局住民投票では離脱派が勝ってしまう。つまり、キャメロンさんは右派ポピュリズムを飲み込もうとして逆に飲まれてしまった。

ここから国民投票の恐ろしさがよくわかる。有権者は長期的な視野に立って状況判断をすることはない。せいぜい数ヶ月の間の常識をもとに状況を判断しあとのことは考えない。そもそも有権者にそんな責任も権限もない。イギリス政治にはときどき「勢いと嘘」がつきまとう。労働党のブレア政権の時も「大量破壊兵器があった」といってイランを攻撃しのちに「あれは嘘だった」という報告書が作られた。

EU離脱が決まってしまうと今度は誰も責任を取らないと言いだした。ファラージは「自分の時間が欲しい」といって政界から逃げ出し、キャメロンも「これから自分が何をしなければならないか」を悟ってさっさと辞めてしまった。ボリス・ジョンソンも次期首相にはならないと行って責任を取ろうとはしなかった。

その後で首相になったのはテリーザ・メイだったが彼女は議会をまとめられず泣きながら辞任した。そのあと首相になったのは国民投票時に逃げたジョンソン首相である。が、この人も交渉がまとまらなければ逃げてしまえばいい。それが二大政党制とイギリス型民主主義のいいところなのかもしれない。イギリスにおいて政治はスポーツなのだ。

最初にこのは話を調べた時「イギリスの政治も劣化してきたのでは?」などと思ったのだがどうもそれは違うのではないかと思った。

別の話題を見つけようと中米の経済移民について調べたからである。メキシコから分離する形で独立した中米諸国は小さな国に分かれている。どの国も国内に貧困層を抱え少数のお金持ちが国の富を独占しているような状態である。

こうした国々の政治が一つにまとまることはなく、小規模国家が独立すると今度は内戦が始まった。中米の国にはいまでもこの時に戦闘に加わっていた人たちが残っておりギャング団を形成しているそうだ。中米に大衆の思いを汲み取るポピュリズムはないので人々は改革を諦めて北を目指す。政治が仮想化されないと今度は実際の戦争が起き人々は政治を諦めて国を捨てる。ポピュリズムには国民を政治に引き止めておくという効果もあるということになる。

お隣の韓国では血みどろの戦いは起こらないが、大統領になった人が軒並み不幸な結末を迎えている。イギリスのような「有限責任制」が徹底していないから起こるのだろう。韓国では政治・経済・司法が分けられていないために大統領が悲惨な目にあってしまうのだ。

そう考えると「イギリスの民主主義」というのは最も古い形の民主主義なのだなあと思う。つまり、第一に民主主義は人々を政治に惹きつけておく幻想であり、第二に血みどろの戦いを防ぐスポーツだ。これらはともに政治のいい加減さとして現れるが、同時に無駄な消耗を防いでくれているのである。

このことは日本の政治を見る上でも役に立ちそうだ。現在の与野党は既得権同士のじゃれあいであり憲法議論は単なるゲームに過ぎない。つまり憲法第9条論争は動かないからこそ政治的トロフィーとして意味がある。しかし、現実にこれを動かそうとするとじゃれあいではすまなくなるかもしれない。

またれいわ新選組のように「ガチのポピュリズム」の芽も出てきている。これは田中角栄に顕著に見られたように中選挙区制で行われていたマイルドなポピュリズムが崩壊したから起きている現象なのだろう。れいわ新選組はSNSがなければ生まれなかった政治的ムーブメントだがこれは中米の人たちがSNSで連絡を取り合い北を目指し始めたのに似ている。

いろいろな政治状況をつまみ食い的に観察すると「見えなかったもの」が見えてくる。単に韓国は政治途上国だとかイギリスはいい加減だなどというのは実はちょっともったいない政治の見方なのかもしれない。

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