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左翼・右翼に代わる新しい指標とは?

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最近、「資本主義とはなんです」か「社会主義とはなんですか」という質問をよく見る。さらに右翼・左翼という言い方もある。今となっては意味がなさそうな区分けだが、こういう対立構造は日本だけではなく欧米にもあるようだ。

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ところが、このラベリングはあまりにも恣意的に使われすぎており、単に悪口になっている。これに代わる別の指標はないのかと思っていたところ、朝日新聞に面白い記事が載っていた。これをA/Bと言い換えているのである。最初はA/Bとは何か?と考えたのだが、実はA/Bが良いらしい。つまり、無標にして言葉から意味をなくしていることになる。

このA/Bは統計的に割り出されているのだが、元になっているのはやはり左右対立だ。そしてこの中には「議論が別れるテーマ」と「それほどでもないテーマ」がある。

朝日新聞の議論を見てゆく。まず国民は政策には興味がなくなだらかに山を形成している。これがノーマルディストリビューションなのだろう。つまり自然によるとこれくらいのばらつきが出るのだ。そしてこの山は15年間動いていないことからもこれが標準的なばらつきであることがうかがえる。

逆に政党はこの中で有権者を掴もうと「あの手この手」でアプローチするのでばらつきが不自然になる。これは前回見たアメリカの事例とあまり変わりがない。アメリカは共和党が右側で動かず、民主党は徐々に左旋回してヨーロッパの左の中心に近づいている。

ところが日本には別のダイナミズムがある。自民党は純化し民主党は分極するのである。

自民党はコアの支持層がいてA(旧来で言えば右側)に偏った政治姿勢を持っている。その代表者が安倍首相である。議員は首相に阿って地位を得ようとするので政治的には安倍首相よりになる。調査はこれを「純化」と言っている。

ところがこのA/Bの広がりは有権者とはずれている。多分、地方組織の実感ともずれているのだろう。ゆえにこの純化は有権者獲得とは関係がない。だが有権者は「現状維持」だけを重要視しておりこの政策的ずれを気にしない。ここから先はレポートには書いていないが「安倍さんは口だけで、行動にまでは結びつかないだろう」という妙な安心感があるのかもしれない。つまり、日本の選挙はそもそも思想や政策では動いていないのである。

Quoraでマニフェスト選挙が成り立たなかった理由を聞いてみたが回答がなかった。このことから政治に関心がある日本人でも政策や組織のダイナミズムにはあまり興味がないことがわかる。日本人は政治をネタに自分を大きく見せることには関心がある。つまり、結果を利用したいのであってプロセスに関与しようとは考えていない。実は日本には民主主義のようなものはあっても民主主義政治はないといえる。天皇の権威を利用して自分を大きく見せたい人と民主主義の権威を使って自分を正しく見せたい人がいるだけなのかもしれない。

一方、民主党は過去の失敗で有権者からは離反されている。この失敗が何だったのかはわからないし書かれてもいない。民主党は結果的に失敗した政党なので近寄りたくないのだろうと考えるとわかりやすい。ここでも日本人の結果主義が見て取れる。民主党を応援しても自分を大きく見せることはできないし、民主主義が持っている正しさを証明して安倍政権の鼻を明かすこともできない。

民主党は政策に関わりなく支持が得られないので、新しい支持者を求めて自民党のカウンターとしてB側にシフトする。ところが面白いことにその中で分極化してしまったようだ。民主党は猟官運動がないので議員が党本部に従う理由がない。逆に本部を収奪して意思決定権を握りたいという動機が働くのではないかと思う。このため、立憲民主党・国民民主党・その他というようにB側の細かな違いが先鋭化してしまった。

つまり、自民党はフォロワーばかりの政党になり純化が進み、民主党はリーダーワナビーばかりなので分極化したことになるのだが、どちらも国民とは全く関係がない話である。そして政策は「意思疎通の通貨」とはみなされていない。日本人は政策を信頼していないか、あるいは別の通貨を持っているのだろう。

「マニフェスト選挙」が失敗した当時、このブログでは盛んになぜ個人の考えによるマニフェスト選挙が成り立たないのかというような考察をしたがこれといった答えが出なかった。sもそも日本では個人の考えを社会的な政策に落とし込むという考え方がないからだ。人々が政治に期待するのは現状打破か現状維持でありおそらく有権者は「自分たちが変わらずに相手が変わることで現状がよくなる」という相対的なシナリオを持っているのであろう。ゆえに現状打破と現状維持が希望として両立するのだ。

共和党が右傾化すると民主党が左傾化するという傾向はアメリカでも見られる。アメリカのマニフェストをプロットした調査では共和党はヨーロッパと比べてもかなり右寄りで、それに対抗する形で民主党が左に動いてきているのだという。しかし、アメリカの調査は政策を追っていればだいたいの説明はできる。

ところが日本は「集団内の相対的な関係性」という別の要素が加わるために、政策だけをフォローしても投票行動が分析できず、集団内での立ち位置と位置関係をモデルに組み込む必要があるということのようだ。さらに政策は左翼や右翼といった悪口に使われることが多いラベルになってしまい用をなさなくなる。

単にAとかBというラベルをつけてこれまでの議論と切り離さないと、政治言論が分析できなくなっているのである。その上で考えると右・Aというのは自己の正当化であり、左・Bというのは自己の可能性の追求であると言える。指標をなくしたほうが実はそれが何を意味するのかがよく見えてくるのだ。

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