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日本の戦中はもう始まっているのかもしれない

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普通選挙が始まってから政党内閣が崩壊するまでの過程を調べている。基本的に言いたいことは一つだけだ。「日本人には民主主義は無理」なのである。これを調べていて日本は今戦中と呼べる時期に入っているのかもしれないと思った。終戦しなければインパール作戦が延々と続くことになる。

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明治維新が始まって第二次世界大戦が終戦するまで77年だった。現在、第二次世界大戦終戦後75年である。新旧年表を比べてみた。こうすると「明治・大正・昭和・平成」というフレームから自由になれるということがわかって面白い。

明治憲法が制定されたのは明治維新から23年目にあたる。明治維新を旧年表元年とすると旧年表23年だ。新年表23年は1967年という高度経済成長期にあたる。旧年表27年目に日清戦争が起こったが、この時期の内閣が田中角栄内閣だ。この辺りまでは国の成長期と言って良い。

数年前後するのだが日露戦争が起こった時とプラザ合意が並ぶ。プラザ合意が重要なのはここから円高が加速して交易条件が悪化したからである。資金はその後土地などの資産に向かい資産バブルが起きた。つまり過熱した夏が破裂に向けて膨張を始める時期なのだ。アメリカでは「日本に学べ」という風潮もあり日本人は無邪気にそれを信じていた。季節でいうと夏が終わり秋が始まる時期だが、日本人は「いつまでも夏休みが続くだろう」と思っていたのである。

47年目に第一次世界大戦が始まる。一応この戦争は日本が列強としての存在感を示していた頃の戦争であり日本は勝ったことになっている。だが現代年表ではこの年にバブルが崩壊する。じつはこの辺りには秋になっていて衰退が始まっていたということがわかるのだが実は秋口というのは過ごしやすい時期だったりする。ここからいつまでたっても暖かくならないと人々は不安になるのである。

よく「失われた20年」などというのだが、実はこの日が傾いて行く時期が結構長い。村山内閣の横に原敬内閣が並んでいる。旧体制が終わり政党政治が始まった頃である。日本では自民党政権が終わりを迎えていた。つまり旧年表で国民が政治に「動員される」というのは衰退の始まりなのだ。戦前の政治には戦争という国家プロジェクトへの協力体制という側面があった。具体的には納税が戦争を支えていたのだ。

大正が終わり昭和になった時期は天皇を補弼する人たちの内部調整力が失われ西園寺公望が一人で組閣の最終調整をする「最後の元老時代」のはじまりだ。実際には議会が「軍部が膨張したら国がつぶれてしまうから財政を削減させてくれ」と言っていた時期に当たる。これが、森・小泉内閣の時代と重なっている。こちらは官僚中心の保守本流が政権維持能力を失い「自民党がぶっ潰された」時代である。

「新自由主義的な小泉竹中路線」とは既存勢力が力を奪われ、無党派層にも優しくない政治が始まった時期である。この辺りから非正規労働がなし崩し的に解禁されてゆく。無党派層は旧来の会社の保護も受けられず、地縁共同体もなく、国家もあまり力を貸してくれないという時代を生きることになった。この人たちが何に動員されているのかと考えると答えはすぐに出てくる。企業という戦争に駆り出されているのである。かつては国を支えていた軍隊が今度は国を喰らい始めるのだ。

古い年表では金融恐慌が起こる頃に第一回普通選挙が実施される。議会政治が劇場政治を繰り広げる裏では軍部との緊張関係が生まれていた。この緊張関係は軍部の勝利で終わる。現代年表では第一次安倍内閣、福田内閣、麻生内閣のゴタゴタが続き、リーマンショックを経て民主党政権ができたころである。

古い年表は「拳銃」が決着をつける。ここで犬飼首相が殺されてしまうのだ。議会は軍隊に抗議せず逆に萎縮してしまう。二・二六事件と二回目の安倍政権がほぼ並んでいる。軍人に萎縮した内閣が軍部の暴走を許しているのとほぼ同時期なのだ。今の日本には軍人はいないのだが、官邸がその代わりになっている。その拳銃は「地位」である。官邸の取り巻きたちは青年将校よろしく言論恫喝を行うのだが、対立する勢力は一枚岩になれない。配置が違うはずなのに起きていることが恐ろしいほど似ている。

官邸の取り巻きたちは経産省の官僚だというのが一般的な見立てになっている。「官邸で一番の嫌われ者は…」4人の現役官僚が本音トークという記事では安倍内閣は経産省内閣だと書かれている。これが国民の一部から熱烈に支持を受けているのは、彼らはかつて企業と組んで日本の産業を引っ張ってきた「立派な軍人さん」だからである。だから日本人は安倍内閣を支持し続けている。つまりは日本を敗戦させるのも彼らだということになるだろう。

この後、古い年表では2014年に盧溝橋事件が起き、2016年に第二次世界大戦がヨーロッパで開戦する。2017年には大政翼賛会ができ、2018年には真珠湾攻撃が起きた。今暴走しているのは何かと考えるのはなかなか面白いが、実は我々が知っている自民党政権と安倍官邸は別のものかもしれないと思えるし、もう「戦争は始まっているからこのまま破綻するのを待つしかない」とも思える。

この年表によると1944年は2021年にあたる。だが、古い年表のように官邸が敗戦の宣言を行うかどうかはわからない。その場合我々の国は長い長いインパール作戦を戦うことになる。兵隊が使い捨てられ補給されず、大本営の延命だけが優先されるという悪夢のような社会である。

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Comments

“日本の戦中はもう始まっているのかもしれない” への1件のコメント

  1. […] 前回、日本は自らがGHQになって終戦宣言をするかあるいは永遠のインパール作戦を戦う以外にないだろうと書いた。「ではどちらを選ぶのか」ということになるのだが、今回のお話から […]

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