これまで、小西参議院議員の質問を例にとって、国会が劇場政治化しているということを見てきた。多くの人は呆れているかそもそも関心を失っているのだが、当事者だけは気がついていない。だが、そろそろ笑っていられる時期は終わりを迎えそうだ。もっと大きな大波が襲ってきそうだからである。
小西さんの政治ショーはちょっと難しすぎる。民主主義などという題目に興味のある日本人はそれほど多くない。有権者が好むのはもっとわかりやすいメッセージである。それを発信して勝ったのが東京と大阪だ。どちらも政治的な実力はなく政権運営そのものは行き詰っているのだが、大阪の劇場型政治はまだ一定の人気があるようだ。
維新は「府知事・市長のダブル選挙に追い込まれた」とする観測が複数あった。大阪都構想の実現が見込めなくなってしまったので「世論を味方につけよう」という劇場型の動機が働いたことが背景にある。確かに「何のために大阪市を廃止するのかよくわからない」という周囲の戸惑いはあるようだ。
なぜ維新が都構想にこだわるのは「既得権益打破」というルサンチマンに維新が乗っているからだろう。村に住んでいる日本人は「誰かがこっそり得をしている」のを絶対に許さない。民主主義はわからなくても「こっそり得をしている」人を許さないというのは肌感覚でわかるのである。さらに「話し合いよりも一発逆転を狙いたい」という願望もあるようだ。藤井聡の文章にそれが現れている。藤井によると「なんかおもろいやんけ」という気分が大阪には蔓延しているのだという。Quoraでも聞いてみたが「大阪の人は権力と距離をとるので、そもそもこれくらいの劇場化は当たり前なのだ」という声が聞かれた。
大阪は米で蓄積してきた金を南部の繊維工業と北部の家電産業につぎ込むことで裾野の広い産業を維持してきた。ところが南部の繊維工業は、生地・縫製・最終製品のうちの中間工程が抜けてしまったことで衰退し家電も中国や韓国などの安価な製品に負けてしまう。つまり、繊維と家電に代わる後継産業を育てることが大阪の再発展には不可欠である。
だが、大阪の人たちはそのような話し合いはしたがらないし、よそから指摘されると「いやうちは楽しんでいるので心配してもらわなくても構わない」とか「まだまだ大丈夫なのだ」と強がってしまう。だが、決して語られない東京への屈折した対抗意識や被害者感情もある。だから「自民党が守ってきた府市の既得権益構造を壊して、東京のように変われば再び発展する」というような、外から見ると無茶苦茶な理論が政治課題として通用してしまうのだろう。
大阪都構想には理屈がないので実現すると「実際には都構想で大阪が変わることはなかった」となってしまう。都構想が実現しても大阪の家電産業も繊維産業も蘇らない。だから闘争過程だけがショーになるのである。だから維新にとっては「会議をだらだら続ける」より選挙に打って出た方が得なのだ。
ただ、日本人は大阪を笑えない。日本に関連するこれより大きな規模の二つの劇場型政治がある。どちらも無意味であり政治を混乱させる。一つは安倍憲法改正議論である。東京と大阪の自民党はどちらも野党である。これは、松井・小池両知事にとって自民党が既得権益として攻撃しやすかったからだろう。小泉政権は「自民党をぶっ壊す」といって選挙に大勝したが、結局自民党は壊れなかった。安倍政権は「自衛隊を軍隊にして中国をやっつける」という実現する見込みのない戦いを続けている。が、この滅茶苦茶なメッセージがなければ全国政党としての自民党は都市部で存続できなかったかもしれない。東京と大阪の自民党政治家たちは有権者を「手なづけるのに」失敗している。
日本村の人々にとって「強いものの側に立って劣っているものをやっつけたい」というのは肌感覚である。Quoraで「自衛隊を韓国に派遣すればいいのでは?」という議論を見かけた。検索すると2つ同じ質問が出されている。もう一つは竹島と北方領土を奪還したいのだという。「国際紛争を武力で解決することは国連が禁止している」などと書き込んでみたのだがなしのつぶてだった。
この質問の背景には、自衛隊が憲法で軍隊を持つことを禁止しているのだったら憲法を変えてしまえばいいのではないかという気持ちがあるのだろう。今、日本はアメリカという世界で一番強い軍隊に守られている。だったら中国に勝てないはずはないし、韓国くらいなら一ひねりであるという肌感覚もあるのかもしれない。いくら「現在の国際世論では」などと言ってみたところで日本人が持っている素朴な「勢いに乗って一発逆転してやりたい」という気持ちを動かすことはできない。日本人には正解の側にいると考えると気が大きくなる「大船感覚」がある。
実際にこんなことは起こりようがないのだが、安倍政権はこれを政権浮揚に使っている。保守の希望の星である安倍首相が憲法改正を成し遂げてくれれば自衛隊は米軍に守られた世界の軍隊になり「法の支配」の名の下で結束し「人の支配」に溺れる中国軍を一発逆転してくれるだろうという、実現可能性のないストーリーがある。これが統計偽装や景気偽装を「大したことのない問題」としているのだから笑い事では済まないのだが、劇場型政治というのは元来そういうものなのだ。
ところが、この淡い期待はもう一つの劇場型政治に揺れている。アメリカでは「日本などの同盟国に軍隊を高く売り込もう」というキャンペーンが始まろうとしている。ビジネスを美徳と考えるアメリカ人にとって「自分のものを高く売りつけてお金を儲ける」というのは肌感覚にあった美徳なのである。まずは駐留費の1.5倍からふっかけて、儲けを得ようというのは実にアメリカ人らしい感覚である。
背景にはトランプ政権の行き詰まりがあるようだ。下院は民主党に握られ、雇用の増加傾向も鈍化してきた。北朝鮮との交渉にも失敗し、様々なスキャンダルで追い込まれている。トランプ大統領自身に非難が向かわないように矛先が必要なのだろう。
日本のマスコミがトランプ大統領の要求をどうとらえるのかはわからないのだが、富の分配機能が破綻した経済ではまともな民主主義は機能しない。我々は大きな劇場の中にいて、外から楽しんでいたつもりでもいつの間にか当事者になっているのである。話し合いができる文化を自分たちで作らない限り、この状況が続くことになるだろう。