人を操るためにはいろいろなやり方がある。手っ取り早いのは危機を煽り立てて合理的な思考力を奪うことである。トランプ大統領はついにこの手法に手を染めたようだ。
非常事態を宣言してメキシコから押し寄せてくる移民を防ごうと言い出したのである。民主党などの議会はこれに反発しており法廷闘争も辞さないと言っているのだが、もし民主党が邪魔をすれば今度は民主党を指差して「この人たちが邪魔している」というつもりなのではないだろうか。こうしたやり方をポピュリズムと呼ぶ。これがもっと強くなり全体を通じて他者を抑圧し始めると全体主義などと呼ばれる。オバマ大統領の改革幻想からの揺り戻しでアメリカの民主主義はかなり危険な状態にある。
先日は、時代から遅れた人たちが支配権を維持するために政権に擦り寄って行き、政権の権限が増してゆくという仕組みについて見た。日本は明確なリーダーを作らず集団思考的に極限状態に追い込まれてゆくという特徴があるようだ。現在の状態を第二次世界大戦前に例える人たちがいるがこれは被害妄想ではない。第二次世界大戦当時の日本は集団思考的に解決策を持っていそうな軍部に頼り、そして破綻した。このように社会の中枢からなんとなくおかしくなってゆくのが日本型である。構造が単純なので「ウィルス」が浸透しやすいのだろう。
ところが欧米はリーダーが主導的に極限状態を作り出してゆくという特徴がある。では、この「危機を煽るリーダー」は誰にメッセージを送っているのだろうか。トランプ大統領の支持者の特徴についての心理学的研究では5つの要素を抜き出している。
- 権威主義的性格
- ソーシャル・ドミナンス・オリエンテーション
- 偏見
- インターグループコンタクト
- 相対的剥奪
馴染みのない言葉がたくさん出てくる。まずソーシャルドミナンスオリエンテーションは「社会が階層的であることを好む」というような意味であり、権威主義とは異なっているが「関係がある」そうである。インターグループコンタクトは偏見と関係している。国境沿いの町に住んでいたり移民が多い地域に住んでいる人たちよりも内陸にいて移民と接触したことがない人の方が人種偏見を持ちやすいのだという。ここまでは前回見た「複雑性を扱えないし知らない保守」と同じような傾向である。ただ、一点大きな違いがある。それが喪失感だ。
最後の「相対的剥奪」は「自分たちがかつて得られていたものが得られなくなっている」ということから生じる怒りなのだそうである。つまり、彼らは失われたという感覚を持っているということである。
ここが日本と異なっている。日本人は既得権を抱えながら(あるいは抱えているがゆえに)時代について行けなくなった人たちが集団で政権や軍部といった大きなものにしがみつくことで、特定の核を作らないまま機能停止に陥ってゆく。彼らの動機は怒りではなく「このままの状態で村を保とう」という同一性保持の傾向だ。一方、アメリカではエリートたちは時代とシンクロできているが、ここから取り残された人たちが扇動者によって動かされてゆくという特徴があるようだ。均質性の高い日本と、多様性があるがゆえに格差が生まれやすいアメリカの違いと言えるだろう。
トランプ大統領が煽っているのはありもしない移民戦争なのだが、まだそのシステムには幾つかの防御壁が残っている。議会が独立して機能しているので民主党は法廷闘争をやりたいようだ。また各州が独立して動いておりここからも提訴の動きが出ているという。これが、単純な階層しかない日本と違っている。多様性がある程度アメリカを救う可能性がある。ウィルスが浸透しにくいのだろう。
一方、その陰で北朝鮮などの現実の危機は単にディールの材料とされ忘れられてゆく。トランプ大統領はどうやら文在寅と安倍晋三の区別がついていないらしい。「安倍首相が自分をノーベル平和賞に推薦した」としており、これが文在寅である可能性があるそうだ。安倍首相とトランプ大統領との強固な個人的信頼というのは、その程度のものなのかもしれない。もはやアメリカと一体的に動くことはリスク要因なのである。
日米ともに政府に権限が増すのと同時に現実の把握能力が失われて行く。その過程で起こるのが「議会と話し合いの軽視」である。民主主義はこういう状態にはとても脆い。どちらも背景にあるのは、複雑さに対応できる人たちとできない人たちの間にできる「格差」である。民主主義は共通の基盤とある程度の見通しを必要とするので分断した状態には耐えられないのだろうということがよくわかる。そして、一旦分断が表面化してしまえば我々一人ひとりにできることはとても少ない。