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日本人には民主主義はとても理解できない

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今日は日本人には民主主義はとても理解できないというステートメントについて考える。

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まずこれを聞いて腹をたてる人は「日本はそれほど劣っている国ではない」と考えて怒るのだと思う。高度経済成長期にはそういう人が多かったように思う。だが、この「日本人」は、ポジティブだと自分は含まれるがネガティブだと自分は含まれないという二重性がある便利な言葉なのでそもそも「自分が民主主義が理解できない」と考える人は少ないかもしれない。昔からポリティカルアパシーという言葉があったがこれは有権者について分析するための言葉であり当事者としての無力感ではなかった。

しかし、日本人が本質的に民主主義を理解していないのではないかという兆候はある。民主主義は政治参加は平等であるべきだというイデオロギーだが、このイデオロギーというワードがネガティブな含みで語られることが多い。イデオロギーというと「共産党やナチスなどの極端な人たちが個人に押し付ける極端な考え」のように理解されてしまうことが多い。多分言っている人たちも気がついていないと思うのだが、個人は「極端な考えを持たず中庸であるべき」とする東洋的な伝統に基づいているのだろう。

このため日本人は個人や集団が自分の考えを述べようとすると自動的にそれを拒否しようとする。「自分の利得のために言っているのだ」「誰かに言わされているのだ」「私は構わないと思うが、仕事に差し障ることもあるのではないか」とその反応は様々なのだが、背景には「個人が意見をいうなどとんでもない」という前提がある。まっとうな人は社会の原則に従っており、偏った意見など持つべきものではないという考え方がある。

民主主義は現代では正解と見なされているので「偏った考え方」ではない。だから民主主義はイデオロギーとはみなされない。このため日本人は自分たちが西洋型の民主主義に基づいて国を運営していないということに気がつきにくい。

正確に言えば日本に民主主義がないわけではないと思う。日本には「集団が利益確保のために根回しと談合する」というボトムアップ型の民主主義はある。だが、不思議とこの日本型民主主義の研究は行われない。

面白いことに保守の人たちもこうした集団型の民主主義について研究していないし、そもそも真面目に考えてもいないようだ。そのために日本では「日本は民主主義で17条憲法が日本の民主主義だ」などと言い出す人がいる。彼らに政治の話を聞くと「中国の脅威が危険で」「天皇を中心とした長い歴史が誇らしい」という話になるのだが、政治的な諸問題は「どれも取るに足らない」くだらないものと片付けられてしまう。問題解決手段としての政治には興味がないのだろうということだけはわかる。さらにリベラルの人たちも村落型の民主主義を嫌う。リベラルはそもそも集団や村に拒否反応があるので個人が集団を形成して一致協力するという考え方をとらない。お互いに話を聞かないのでまとまらない。

集団型の民主主義を再興するためには家族的で終身雇用的な雇用環境を復活し、排除が少ない中選挙区制度を再導入すべきだろう。しかし、政治はどういうわけかここから脱却したがった。「強いリーダーシップと理念による政治」という日本にはないものを追求してきた。一方で個人のイデオロギーが主導する民主主義を導入するならば、一年かけて政策コンペを行うアメリカ大統領選挙のような仕組みを導入するか、完全比例代表制で多様な意見を集め、その政党が政権を模索するという制度を導入すべきだろうが、集団型の民主主義を脱却して個人のアイデアをベースにした政治に転換すべきだという人もいない

日本人は西洋型の民主主義が理解できないわけではなく、そもそも問題を解決「する手段」としての政治に興味がないのかもしれない。放置しておけば何らかの問題は起こるだろうが「なったらなったでそのとき対処しよう」と考えているのかもしれない。

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