半徹夜状態で入管法の改正が可決されたらしい。結局こういう決め方しかできないのかと思った。また牛歩も行われたようだ。
今日は有名な詩から始めたい。訳文はWikipediaを参照させていただいた。この「詩」ができあがる経緯についてはWikipediaの記事で読んでいただきたい。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
これを今の日本に当てはめるとこんな感じになる。
政府が最初難民申請者を放置した時、私たちは声をあげなかった。私は難民ではなかったから。
技能実習生が殺されたとき、私たちは声をあげなかった。私は技能実習生ではなかったから。
そして、政府が私たちを放置した時、私のために声をあげるものは、誰一人残っていなかった。
今、日本にくる外国人たちが大変な目にあっているようだ。制度ができてから69名が亡くなっているという。入管局長はこれを把握していなかったそうだ。安倍首相も国会の答弁で「知らなかったのだからあれこれ言われても困る」というようなことを言っていたという。そして、そのことについての反省も議論もしないままで技能実習生の制度を事実上の移民政策として追認し拡大する道を選んだ。
「これをどう改善するべきなのか」と考えるといささか絶望的な気持ちになる。有権者は「自分たちに関係がない外国人のことだから」として関心は持たないだろうし、我々一人ひとりが声をあげようにもできることはそれほど多くなさそうだ。さらに最低賃金以下で人を雇わないとやってゆけない地方の企業というのもそれほど珍しくないようである。彼らを救うためには外国人を犠牲にする必要があるのでは?と言われると「それも一理あるな」などと思ってしまうのである。
技能実習生のことは知らなかったのだが、実は政府が外国人に冷たいということは知っていた。知ってはいたが、これまで取り上げてこなかった。どうせみんな興味がないだろうと思っていたからである。改めて調べてみると2007年以降13件の死亡「事故」が起きているという。(弁護士ドットコム)政府は本音としては第3国に行ってもらうか祖国に帰って欲しいのだろうが、受け入れ国もないし、送り返すと祖国で迫害されることが想定される。だから入管施設に入れたままで放置してしまうのかもしれない。絶望して命を断つ人もいるが、治療が必要なのに放置される人もいるという。文字通り日本を頼ってきた人たちを見殺しにしている。
冒頭あげたナチスの例は歴史の教訓として知られている。つまり、誰かを悪者にして権力を拡大しようとしている人たちを放置していると、最終的にはあなたの権利も奪われて大変な目にあいますよという教訓である。しかし、当時ナチスを支援していた人たちはそのことを知らなかった。共産主義者やユダヤ人を取り除けば自分たちの家族が助かると考えていた人はたくさんいたはずである。彼らは合理的に説得されてナチスを支持した。決して騙されていたわけではなかった。多分、アウシュビツでなにが起きていたのかを知らされている人も多くはなかったのだろう。隠されていたのかもしれないし見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。
同じように我々も合理的な理由をつけて難民を入管施設に閉じ込めている。ヨーロッパが難民によって混乱しているニュースなどを見ているので、日本も同じようになるのではという懸念があるからだ。彼らの命が奪われているのは多くの日本人にとって「合理的な」判断なのだ。
だから、合理的に「他人の命を大切にしない人は自分の命も大切にしないはずなので、今に大変なことが起こる」と証明したくなる。
海外技能実習生でも同じようなことが起こっていることがわかったからこの類推はより確かなものになった。Twitterで見たもっとも心ない反応は「母数を言わないのはずるい」というものだった。27万人も入ってきているのだから69人くらい亡くなっても「どうってことないだろう」というわけである。日本人はこういう感覚になっている。命ではなく統計データとして他人の人生を扱うわけである。だから、同じような気持ちで長時間残業を強いられた人を「自己責任だ」などと言って切ってしまうわけだ。私たち一人ひとりにその残忍さの矛先が向くまで「これは統計ではなく人生の話だったのだ」とは気がつかない。
確かに外国人は有権者でもないし憲法上政府に擁護義務はないのだろう。だから何もしませんでしたと言われてもそれを司法的に糾弾することはできない。そして重要なのは今政府を責めている人たちも実はこの問題に関心を寄せてこなかった。入管法の改正が政局に使えるということがわかって初めて熱心に個票を書き写してアピールをはじめたのだ。12月4日発売のNewsweekは「移民の歌」という特集で技能実習生や永住資格者たちの取材をしている。すでに宗教関係者や弁護士などの支援者組織があるそうだ。野党もこうした人たちの声に耳を傾けてこなかった。
このように他人の命を大切にしない政府が我々の命を大切にしなくなる道筋を予測することはできないし、実際にそうなるのだと合理的に説明することもできない。
本当は他人の命も自分の命のように大切にすべきだという主張をするのに、いちいち言い訳を考えるようなことがそもそもおかしい。だが、「なんらかの合理的な説明をしないと世の中を説得できないなどとどうしても思ってしまうのである。本当に嫌な社会になったし、嫌な大人になってしまったと思う。
この問題を眺めていると、政府を非難するより前にどうしても「ダメなものをダメ」と素直に言えなくなってしまった自分のことが嫌いになりそうになる。