ざっくり解説 時々深掘り

官僚主導と政治主導のどちらが優れているのかという議論を研究する

Quoraで面白い質問を二つ見つけた。一つは日本の官僚政治の弊害を問うものであり、もう一つは桜田大臣がいじめられているのはかわいそうなので官僚に全てを任せるべきなのではないかというものだった。なぜ、これが面白いのか「わかる人にはわかる」のではないかと思う。全く逆の要望なのである。

一方、新聞などでは何の前置きもなしに「政治主導を進めるべきだ」とか「行き過ぎた官邸主導(つまり政治主導)はよくない」などと書かれていて、マスコミでさえ何がどうあるべきなのかわかっていないように見える。

なぜ、このような状況が生まれたのだろうかということを考えると、また歴史のおもちゃ箱をひっくり返すことになる。日本の政治状況は文脈がわからないと全く理解できないことが多く、これが国民的な議論を難しくしている。

戦後政治は官僚政治から始まったといってよい。もともとは吉田茂が吉田学校が作り官僚出身者を議員にしたのがきっかけとされているようである。この傾向はしばらく続き、官僚と政治家は半ば一体化していた。例えばオイルショックの時には中曽根康弘のもとで通産省の官僚が手計算で国中の石油配分をしたことが知られている。中曽根が何冊か回顧録を出しているし、ネットでは杉山和男という人の回顧録を見つけた(PDF)。この回顧録を読むと石油が足りなくなるという報告を受けてから配分や行政指導や法律作成までがスピーディーに行われたと書かれている。つまり、この時代には政治家と官僚が協力しながら柔軟に国中を動かすことができており、一体化していたのである。

ところが、バブルが崩壊した頃には全く様子が変わっていた。例えば、小泉政権下の塩川財務大臣の「母屋でおかゆ、離れですき焼き」発言などが有名である。特別会計を作って官僚が贅沢をしているというイメージが作られた。すでに消費税が導入されており「財政破綻を防ぐためにはこれからも消費税は上がり続けるのでは」という懸念があり、それが現代にも引き継がれている。

執行調査で削れる予算の規模はわずかだが、歳出総額が一般会計の5倍に上る特別会計のずさんさが目をひいた。道路整備や国民年金など30以上あり、監視が届きにくく省庁や族議員の既得権益の温床になり無駄が多いとの見方を強めた。(日経新聞

劇場型で選挙を有利に戦おうとした小泉政権は積極的に「官僚はけしからん」というイメージを作ってゆく。そこから生まれた用語が政治主導というキーワード(コトバンク)である。選挙でみなさんが納得できる政治を選んでくださいというわけである。

ただ、これは小泉政権が勝手に作った流れではない。まず自民党で国会議員が官僚をしっかり「管理すべきだ」という議論が起こる。そこで計画されたのが副大臣制度である。偉い人を送り込めば官僚もいうことを聞くだろうと考えた(コトバンク)わけだ。小泉政権下でようやく副大臣制度ができた。

ところが、自民党では官僚主導政治は打破できないからということで、民主党が「民主党流の」政治主導を言い出した。彼らが政治主導にどのようなイメージを持っていたのかはわからないのだが、有権者は政治主導になればこれ以上消費税をあげられずに済むというような意味でこの発言を受け取ったものと思われる。

ところが民主党は政権を取ると政治主導とはこれだと言わんばかりに八ッ場ダムの建設を中止してしまう。コンセンサスなしに突然プロジェクトが中止されて現場が騒ぎになると(八ッ場あしたの会)それを引っ込めて「現場を混乱させた」と非難されることになった。さらに野田政権は「財務省に取り込まれて」消費税増税を約束してしまい、国民から大きな反発を受けた。多分、国民は民主党を嘘つきだと思っているはずで、今後も民主党後継の政党が政権を取ることはないだろう。

その怒りを利用したのが安倍政権で、今度は官邸主導を言い出した。内閣でもうまく行かなかったのだから「首相の強いリーダーシップ」で国を引っ張るというのである。ところがこれも実態はNSSという一部の人たちによる集団指導体制であり、ほとんどのメンバーが官僚出身である。安倍首相が官僚を書いた答弁しか読まないところから、首相自身は政策についてはあまり理解をしていないことがわかる。東京新聞はこれが忖度を生む悪しき土壌になったのだと言っている。

このように「政治主導」というキーワードは政局に利用されてきた歴史があるのだ。

桜田大臣がパソコンを触ったことがないことを非難されるのはこの流れに反しているからである。つまり、政治家が官僚をグリップすると言っているのに、何をやっているのかさえ理解できないではないかという非難をされているわけである。ところがQuoraの質問からわかるように有権者の中にもこれを理解していない人がでてきており「なぜ、優秀な人たちに任せていてはいけないのだろうか?」という疑問が出てくる。

ところが、中高年の年齢域の人たちはなんとなくこれまでの動きを理解しており「あれ、政治家が官僚を管理すると言っていたのでは?」と思う。さらに新聞の政治部の記者たちは明確にこの流れを知っている。だから前提の説明なしに非難され、それを知らない人たちが置いて行かれてしまうわけである。

実際には安倍政権の官邸主導は「官僚の中のアベトモ主導」であり、つまり官僚政治の延長である。これまでは官僚が「離れですき焼き」を食べていたのだが、結局は官邸とそのお友達が「官僚からすき焼きを横取りした」形になっている。一方で、主導するために集められた大臣や副大臣はこの経緯の中で「いてもいなくてもどうでもいい」存在に変質し、単に失言発生装置になっているわけだ。大臣担って政府に入るとマスコミも叩きやすい。週刊誌あたりは政治家のスキャンダルをストックしていて彼らがポストを得るのを待っているのではないかとすら思う。

いずれにせいても、相変わらず福祉や子育てサービスの入った母屋ではおかゆをすすっている。そしてそれが足りないが消費税は30%も取れないので20%くらいにしては(2018年11月19日自民党野田税調会長の日本記者クラブでの発言)という話すらでてきているのだ。さらに、自民党でも不満がくすぶっており「官邸主導を見直すべきである」という話が出るようになった。

例えば、この2018年初頭のNHKのこの記事を読むと、今書いたような経緯がわかる。

徐々に政府と与党の力関係が変化し、「党高政低」から、政府=首相官邸が主導する「政高党低」になったと言われるようになりました。

経緯で全てが変質してしまう日本では、政治の話とは別にこうした背景記事を読まないと政治記事の意味が読めないという状況になっている。政高党低というキーワードがわからないとこのNHKの記事すら探せない。

欧米の政治はある程度イデオロギーで動くために何がどうなっているのかがわかりやすい。しかし日本の政治は経緯で動いてしまううえに、本心を隠して口当たりの良いラベリングをする癖がある。だから、後から見ると「何がなんだかわからない」ということになりかねない。このことが日本の政治議論をますます難しいものにしているように思えてならない。

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