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無駄に戦わない技術と心構え

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サマータイムの話が面白い方向に進んでいる。最初は「早起きはいいことだ」と考える高齢者には受け入れられ、システムを改築するのが大変だと考えていた勤労世帯が反対している様な印象だった。高齢者が多そうな朝日新聞の調査では51%の人が賛成だと言っているそうだ。

状況が変わったのは睡眠学会がサマータイムに反対していることがわかってからだった。実は体に悪いという科学的な研究がいくつも出ているそうだ。普段から健康情報を血眼になって集めている高齢者にとって「科学的な知見で病気が増える」というのはほぼ殺文句になるだろう。

この件で面白いと思うのは、安倍首相の話の「受け止め方」である。安倍首相は森元総理大臣に言われた話を「丸投げ」したわけだが、森元首相もどこまで本気でサマータイムを検討していたのかはわからない。多分アメリカに合わせてテレビの放映時間を決めた方が高い放映権料が支払われるという目論見があり、さらに「俺はそれを首相に掛け合って実現させたんだ」と威張りたかったのではないかと思う。お金儲けと政治力の誇示が目的だったわけで、やっていることは日本ボクシング連盟の山根会長と変わらない。が、通らなかったとしても別にそれでオリンピックができなくなるわけではない。安倍首相も自ら巻き込まれるのは嫌だったので議員立法でやってくれということにしたのだろう。細かいアイディアが議員から出れば自分は責任を取らなくて済むからだ。つまり、どちらも「どれくらい本気」なのかがよくわからないのだ。

政治家というのは偉くなればなるほど「自分がいったことややったことがどれくらい社会に影響を与えるのか」ということがわからなくなってしまうらしい。裏側から見るとそういう無責任な人ほど偉くなりやすいなんらかの土壌があるということになる。安倍首相に「政治家を辞めろ」という人がいるが、政治家を辞めてしまうと説明責任すらなくなってしまうので、森元首相のような完全な害悪が出来上がってしまう。

ここから延長して考えると、これまでのいろいろな法案や特区も実は安倍首相側から見ればそれほど思い入れがなかったのかもしれない。単に支持者が言っていることを「右から左」二受け流しただけなのかもしれない。あの国会での無責任な対応も納得ができる。彼が気にしているのは自分の体面だけなので嘘つき呼ばわりされると怒るし、法案が成立しないこと自体は嫌がる。そこで周りに嘘をつかせたり情報を隠させたりしてなんとかして法案を強行しようとしているということになる。

さて、そう考えるとこれまで怒り狂ってきたことに対して別の感覚が芽生えてくる。相手としては特にこれといった感情もなく法案を右から左に処理しているのに、反対する側は随分と感情的なエネルギーを使って反対運動を展開してきているのはあまり効果がなかったのではないかと思えるのだ。法案そのものは次々と通ってしまうので、世の中が終了する様な気分になり、声を荒らげることとなる。最終的には疲れてしまい「ああ、俺は無力だ」と落ち込むことになる。

今回の場合にはまだ審議が始まっていないので「サマータイムは健康に悪いのではないだろうか」という懸念が出ると「あれはどうなのだろうか」という懸念の声が広がる。日本人はいったん変化が起きてしまえば割と簡単に適応ができるが「不確実な」状態が長く続くことに耐えられない。「あれが起こるのではないか」「こういう悪いことがあるのではないか」と不安になってゆく。公式見解がでないと不安が不満に変わる。日本人は分析的に物事を捉えることはできないので、その不安が「自民党そのもの」への不快感に変わるわけである。つまり、この話はたなざらしになっていた方が良いのである。

ここで野党が出てきてやみくもに法案に反対すると「ああ、誰かが反対してくれている」という気分になる。政府・自民党もなんとなく反論するので「答えが出た」様な気分も生まれる。さらに正常化バイアスも働くので「野党はいらぬ心配ばかりしている」ということになり「やっぱり自民党は正しかった」ということになりかねない。

そう考えると一番いいやり方は「反対ばかりして感情的に疲弊しない」ことではないかと思う。受け流してしまえばよい。ただ、それだとめちゃくちゃなことが通ってしまうので、普段から「政治屋が何かめちゃくちゃなことをいってきたらスルーするかみんなでやんわりと否定しよう」と周囲で取り決めておくべきなのではないかと思う。個人的には無視するのは得意だが、人間関係を構築するのが得意ではないので「団結してスルーする」という技術が身につけられなかった。大いに反省したいところだ。この類の「政治屋」という人はいろいろな組織にいくらでも存在する。いちいち怒っていたら身がもたない。

今回のサマータイムの件ではコメント欄に一つクレームが入っている。前回書いたのは、欧米でもやっているサマータイムなのだから日本でやってやれないことはないが、話の持ってき方がいい加減なので相手にすべきではないというものだ。つまり、総論としてはサマータイムに反対している。ところが、クレームを書いてきた人は「そもそもサマータイムというのは悪い制度なのだから、欧米でもやっていると引き合い煮出すこと自体がグローバルマチョイズムだ」と言っている。

コメント欄に否定的なことを書かれるとやはり少し落ち着いてしまうのだが「受け流し力」を発揮することにした。怒っている人も「単に怒っているだけでは相手には何も伝わらず却って単なる怒りっぽい人だと思われて終わりになる」ということを認識した方がいいとは思うが、それはコメントを書いた人の問題である。

とはいえ、個人的にもクレーマーになることは多々ある。細かいことが気になってしまうので割としょっちゅう「筋論」で怒っている。そこでいい加減な対応をされると声を荒らげることもあるので「全く怒るな」と言う資格はない。怒ってしまったら「この怒りは無駄になるだろうが、何かよい再利用の仕方はないだろうか」などと考えてみると良いのではないだろうか。なぜならば「話が通らなかった」ことで怒りが増幅するので「いつも怒っている人」になりかねないからである。

今回のサマータイムの件は「また安倍さんがいい加減なことを言っている」と怒るのではなく、なぜあんな人たちばかりが偉くなってしまうのかという考察にこそ役に立てたい。

こうした受け流し力を利用すると面白いことがわかる。実は政府が時計の針を2時間進めたとしても「それに従って時計を修正し、その通りに起きなければならない」という法律にはならないだろうということだ。会社や銀行は「夏の間だけ11時から始業します」といえばそれで済んでしまう話なのだ。私たちが怒っているのは実は「決まったら従わなければならない」と考えているからなのだが、時計警察がいるわけではないので従わなくても罰則はない。実際に「決まったことにのらりくらり従わない」という現象はこれから多く起きるのではないかと思うし、2000円札とか(法律ではないが)プレミアムフライデーのように最初から無視されている制度もある。世の中そんなものなのだ。

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