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令和の即位儀式はなぜ盛り上がらなかったのか

新しい天皇即位の儀式が淡々と進んでいるのだがあまり盛り上がりが感じられない。「なぜだろうか」と考えていたのだが安倍政権がいけないということになった。

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なんだか今回はパッとしないなあと思った。最初に考えついたのは背景の違いである。平成の即位儀式ははちょうどバブルで経済状況が良かったこと、かなり長い期間昭和天皇の体調が悪く自粛ムードがあったあとであったことなどそれなりの開放感があった。だが、Twitterを眺めていたのだが特に皇室関係の話題は飛び交っていないようだった。

お天気も悪かった。嵐が通過中であり10月にしては寒く感じられた。途中風も強まり「日本は前途多難なのか?」などと思ったのだが、即位礼正殿の儀で即位の宣誓をするために紫色の帳が開くと天からも光が差し込み人々を安心させた。

フジテレビを見ていたのだがアナウンサーたちのデタラメな敬語に少しうんざりした。普段使い慣れていない敬語が「駆り出されてここにきました」という場違い感を振りまいていた。

NHKは国民みんなで祝う天皇即位というような演出をしたかったらしく、災害被災地宮城県や沖縄県などと中継を結んでいたのだが、全く盛り上がった印象はなかった。集団ではなく個人にインタビューしているので国民がこぞってお祝いしているという映像になっていないのだ。

宮中三殿儀式の映像を見て「皇族の数も減ったなと思った」前回と違って成年皇族の中に男性は1名しかいないのである。ロイターは13歳の一人が皇室の未来を担っていると伝えている。これがうら寂しい感じを増幅させてしまうのである。

権威の徒花である「アンチ」も少なかった。前回の平成の議論では政教分離の観点から、皇室の私的儀式と国家行事との間の切り分けがかなり話し合われた。社会党が勢いを増していた時期だったという事情もあるのだろう。しかし今回はそのような話し合いはほとんど行われなかったようだ。共産党が一連の儀式に参加しないということが粛々と決まっただけだった。NHKはくどくどと宗教行事は告示行事から切り離されていると繰り返していた。前回は「政教分離原則違反」という裁判が多かったそうでそれを避けたいんだろうなあということは伝わってきた。日本にはアンチを遊ばせておく余裕はない。SNS炎上即失敗という社会である。

共産党が指摘するように、即位礼は国民代表を見下ろす形で行われる。また内閣総理大臣ら三権の長と大臣たちも皇族方に恭しく頭を下げる。天皇の即位を臣下がお迎えするという形式をとっているのは明白である。ところが出てくるのは内閣総理大臣だけである。見ている時にはよくわからなかったのだが後々考えると多分これが盛り上がりに欠ける理由だと思った。

もし安倍晋三という人が巷間言われているような支配者然とした人なら、天皇の筆頭家臣として皆を従わせるような映像を作ったはずだ。アリーナみたいな舞台を作って監修が居並ぶ中で万歳を叫んでもいいし部下を階位別に並ばせて自分だけがお側に近寄ればいい。イギリスでもウェストミンスター大聖堂には長い観客席とひな壇があるし、確か韓国の王宮もそんな感じになっていた。

また別の国では軍の意向を背景にした王様がわざわざ「国民がたくさんいる中」で即位することもあるだろう。これは逆に力による支配を感じさせない演出になっている。

つまり、こういう映像を作るためには他人から見て自分がどう映るかということを意識しなければならない。安倍首相にはそれができなかったのだろう。

だが招待客はガラス製の陳列ケースのようなところに入れられており「たくさんの人がお祝いに来ましたよね」ということを見せているだけだ。天皇と招待客の関係がわからないように巧みに映像が作られているのだ。

安倍首相が国民を巻き込んで権力誇示しなかった裏には宮内庁スタッフや皇室の方々の配慮もあるのかもしれないのだが、安倍晋三さんの「他人が見えずとりあえず自分だけお父さんとお母さんに褒めてもらいたい」という個人の資質が今回の盛り上がらなさを作ったと考えることができるだろう。安倍首相としては天皇の前に進み出て皇族が居並ぶ中で万歳することだけが念頭にあったのだろうと思える。

同じことは多分安全保障にも憲法議論にも言える。安倍晋三さんは多分トランプ大統領やオバマ政権時代のジャパンハンドラーが怖かったから安保関係で無理筋の法案を通したのだろうし、多分おじいさんの岸信介元首相に褒めてもらいたいから憲法改正をやりたいと考えているのだろう。その視線には国民は入っていない。だが、皮肉なことにそれが日本の平和を守っている。つまり独裁者として人を巻き込む才能がないゆえに日本人はそれぞれ好き勝手な話題にのみ注目していられる。だから今回の日本人は「国体」に大した関心を向けることはなかったのである。

翌日のニュースは「外国から偉い人がたくさんきたね」という話と「古くから伝わる伝統がすごいね」というような話になっていた。ちょうど世界遺産の番組を見ているような感じである。天皇権威が歴史領域の話題として扱われていることになる。まあ、健全といえば健全である。下手に国威発揚に使われるよりは盛り上がらなかった方が良かったのかもしれない。

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