日本政府は、国民の命が危険にさらされている局面で、責任ある判断を放棄した。NHKテヘラン支局長の拘束は外交上の重大危機である。しかし政府は沈黙を選び、問題の先送りに終始している。特に強さをアピールポイントにしてきた高市総理の責任は重い。
「これはおかしいぞ」と誰もが気がついている。しかし、誰もそれを指摘しない。将来、大きな問題が起きた時に「ああ、あの時にこんな兆候があった」「こうしておけばよかった」と振り返ることになる。今まさに、そんな事態が進行している。
日本政府は事態を明らかにし、方針を明確にすべきだが、これまで主体的な判断を避けてきた。そのため、急に主体的に動けと言われても、どうしていいかわからない状態に陥っている。
NHKテヘラン支局長がイラン当局に拘束されたと、ラジオ自由欧州・ラジオ自由が伝えている。しかし日本政府は「プライバシー」を理由に言及を避けた。有事に弱い高市政権の一端を垣間見ることができる。日本はアメリカとイランの間で身動きが取れなくなっている。
外交の基本姿勢が「主体的に行動しない」「誰からも恨まれたくない」であるため、結果的に邦人の身の安全が守られない。将来、日本に対して何らかの攻撃が行われた時、政府は日本人を守ってくれないのではないか、という不安すら生じる。
RFE/RLは次のように伝えている。
NHKワールドのイラン支局長・川島慎之助氏はイラン当局に逮捕された。容疑は不明だが、政治犯を収容するエヴィン刑務所に移送されたという。しかし日本政府もNHKも言及を避けている。また、RFE/RLは、ここ数週間でジャーナリストや人権活動家など数万人が逮捕されているとも報じている。
RFE/RLはトランプ大統領から資金を止められた時期もあったが、基本的にはアメリカ議会から資金供給を受けている。このため、アメリカ政府の方針に沿った報道を行う傾向がある。
トランプ大統領はイランに対する軍事的圧力を強めているが、「なぜ今イランを攻撃しなければならないのか」という根拠は明確にしていない。アメリカ政府が「自由と人権を抑圧する国イラン」というイメージを作ろうとしていると類推しても、不自然ではない。
むしろ、一貫しない説明を繰り返すトランプ大統領を支えるための、自己保身的な動機があると考えるべきかもしれない。説明責任を果たさない大統領のもとで、外交の矢面に立たされるのは国務省だからだ。
ポイントになるのはRFE/RLがさり気なく触れている「エヴィン刑務所」である。ノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディ氏など、国際的に著名な人権活動家も収監されており、アムネスティ・インターナショナルなどの国際人権機関が過酷な環境を問題視している。
つまり、「専制主義的な国家の人権弾圧が、ついに日本にも向かってきた」という印象を与える構成になっている。
しかし、時事通信の記事を読んでも、そのような文脈はあまり読み取れない。伝わってくるのは、「アメリカの動向も見通せない」「イランにも恨まれたくない」という板挟みの状況である。
日本政府の外交姿勢は、「表立ったイニシアティブは取らず」「誰からも恨まれたくない」というものだった。
高市総理は積極的な外交姿勢を示していると感じる人もいるだろう。しかし実際には、これまでの受動的な外交態度を「積極的フォロワーシップ」と言い換えているにすぎない。おそらく本人にその自覚はない。
西洋的スタンダードでは、「主体的意思がはっきりしない国や人物」は信頼されない。しかし日本政府はこれに気づかず、「制度整備が遅れているから情報がもらえないのだ」と錯誤している。そもそも「主体的に動く」という発想が欠けているのである。
仮に、NHKが自分たちの職員が拘束されたことに気づいていなかったとすれば大問題だが、おそらくそんなことはないだろう。つまりNHKは「拘束されたようだが、どう対応すべきか」と政府に報告している可能性が高い。
しかし発信源がアメリカ政府系メディアだったため、政府は「どのような意図があるのか」と警戒する。かといって、アメリカ陣営に全面的に乗れば、今度はイランから反感を買い、ホルムズ海峡などで報復を受けるかもしれない。
「決定的情報がない」「どうしていいかわからない」となると、「さらに情報を集めよう」として意思決定を先延ばしすることになる。
もともと政治的に水と油とされる高市総理と茂木外務大臣は、意思疎通に困難を抱えているとされる。高市総理の不用意な台湾有事発言はいまだ十分にリカバーできていない。
ここで高市総理が勇ましい発言をすれば、イランから恨まれかねない。そのおそれから日本政府は身動きが取れなくなっている。報道機関も事情を理解しており、騒ぎ立てることで事態を悪化させたくないと考えているのだろう。
こうして意思決定は硬直し、人命が最優先されない事態が生じている。
この構造は、将来、日本が攻撃対象になった場合にも繰り返される可能性が高い。その際には判断が遅れ、多くの日本人の命や財産が危険にさらされることになるだろう。
結局のところ、高市総理の勇ましさは表面的なものであり、体質は何も変わっていない。
この問題は、もはや外務省や官僚の判断ミスではない。首相自身の統治能力が問われている。高市早苗首相は、国民の安全よりも「波風を立てないこと」を優先した。その結果、日本は危機に直面しても決断できない国家であることを世界に示してしまった。
指導者とは、迷わない人間ではない。迷った末に、責任を引き受ける人間である。いまの政権に、その覚悟は見えない。結局、彼女の「強さ」は一部の支持者にアピールするための虚仮威しだったということになる。
しかし「強さをアピールし、結果的に問題が起きたときに責任を取れるのか」と考える人も多いかもしれない。台湾有事をめぐる議論は、まさにその問いを現実のものにしつつある。だとすれば、そもそも日本は最初からリーダーに「強さ」を求めるべきではなかったのではないか。強さに伴う結果を引き受ける覚悟を、社会として持ってこなかったからである。

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