9,100人と考えAIとも議論する、変化する国際情勢とあいも変わらずの日本の行方


ITエンジニア議員の安野貴博氏が永田町の政治文化について語る

11〜17分

イイネと思ったら、Xでこの投稿をシェアしてください

アメリカはクリスマス休暇に入りトランプ大統領の目立った暴言はない。日本の政治改革議論は案の定無限ループに入った。今週からは補正予算の審議が始まる。ベナンでクーデータ未遂があった意外は他に目立った動きもない。

そこでITと政治について整理することにした。ちょうど安野貴博氏がTBS CrossDigの番組「Future CARD」で永田町政治について語っている。アルゴリズム志向のエンジニアが入ると政治議論がこうもスムーズになるのかと驚いた。

この議論をきっかけに別のエントリーとしてテクノロジーを軸とすると政治流派はどう分けられるのかについても簡単に整理してみた。興味がある方は合わせてご覧いただきたい。

世の中には「アルゴリズム型」という考え方がある。問題を構造化すれば課題整理や解決がスムーズに進むであろうという合理性を重視した考え方だ。

グローバリズムの進展により現在の政治状況は複雑化が進んでおり、人間が管理可能な範囲に縮小させるというローカリズム回帰の考え方と、グローバリズムを維持するために効率化・透明化を図るべきだというグローバリズム派に分かれている。グローバリズム維持派は「複雑さは合理性で克服できる」と考える傾向が強い。

グローバル化を背景に欧州型の民主主義・資本主義には持続可能性を巡る疑念を持たれてきた。これが、再分配強化型(左派)、テクノロジーを使った効率化型(デジタル民主主義)、民主主義否定型に別れた。

安野貴博氏は「テクノロジー利用型」であり、なおかつ「ツール先行型」の思想を持っている。日本では例外的な政治家であることから日本の有権者にアルゴリズム型が少ないということがわかる。

安野氏は主に2つの取組みを行っている。それが実践と働きかけである。

実践例:政治資金の透明化

まず安野貴博氏はITエンジニアをチームに加えて自分たちの政治資金を透明化した。単に仕組みを作るだけでなく一般的な会計は「複式簿記(資産を管理する)」なのに政治は単式簿記であるという課題を抽出している。国家資産が今どの様になっているのかがわからなくなり、また民間の会計責任者を雇い民間の会計ソフトを使えないなどの弊害があるそうだ。

こうした考え方は「まずツールを導入することで結果的に社会問題を解決しよう」という思想に基づいている。つまり彼のテクノラティックな考え方が色濃く繁栄していると言えるだろう。

働きかけの例:オープンソース利用

更に国会では林芳正氏総務大臣に2つの要望を出した。行政サービスをプッシュ型にすることとAI学習データとしてNHKなどの過去資産を利用するという提案だ。

さらに地方自治体はオープンソースを利用してもいいんですよね?と言質を取っている。

おそらくオープンソースが何なのかがわからない人にはあまり意味が伝わらないだろうが重要な提案だ。

オープンソースは基盤になるシステムの複製が許されているため行政が作ったサービスのうち「使いやすいもの」があればそれをコピーして自分たちようにカスタマイズできる。このカスタマイズによって開発コストと費用を劇的に抑えることができるのである。

おそらくこれまでもシステムベンダーはオープンソースには懐疑的だったはずだ。「工数」でお金をもらっているのだから開発時間が削減されては困る。また社内でオープンソースを利用する文化もなく苦手意識もあるのかもしれない。霞が関官僚も単に提案を受けるだけのユーザーであって、政治家はさらに官僚からしか情報を得ていない。つまり伝言ゲームが起きている。

こうした伝言ゲームの結果マイナンバー(カード)問題は大混乱した。また維新はとにかく議員の数さえ減らせば行政削減はできるのかという単純化した議論を実行しようとして永田町無限ループと言える不毛な議論のボタンを押してしまった。日本の政治議論がいかに遅れているのかがわかるのだが「正解」を「具体的に」示してもらうまで不毛な議論から抜け出せない。

これは日本の戦後政治が欧米で作られた正解を受け入れるラガーディズムに陥っているからだろう。自らの頭で新しいソリューションを考えることができなくなっているのだ。

安野氏の提案が受け入れられないのはなぜか 我々が政治がわからないのはどうしてか?

一連の議論を見てまず分かるのは「言っているが極めてわかりやすい」という点だ。現役世代の司会者とスムーズに会話が進んでおり「フリクション(摩擦)」がほとんどない。しかしながらおそらくここに既存政治家を入れると途端に話が噛み合わなくなってしまうだろう。

意識が遅れた政治家にいちいち翻訳する手間がかかってしまう。例えば高市総理は最新型FAXを導入しましたと自慢げに宣伝したそうだが「なぜそれがズレているのか」を説明するのはかなり困難だ。現在の政治が実は「合理性追求」が進んだ現在の現役世代の感覚と全くズレてしまっていることがわかる。

また安野氏は「自分たちの取り組みは政治報道に乗りにくい」と言っている。つまり現在の政治報道も古びた政治文化の一部になり日本の硬直化に貢献していることになる。

ラガーディズムは日米でどう進化したか

今回別のエントリーでテクノロジーと政治を分類した。政治が最先端のテクノロジーにキャッチアップできていない事例は日本とアメリカに共通して見られる。日本はそもそも安野氏のテクノロジーやアルゴリズム型の合理性が理解できない。一方でアメリカ合衆国は複雑さを利用した情報撹乱に積極的に新しいツールを利用する方向に「進化」している。これを代表して大統領になったのがトランプ氏である。

安野氏のようなテクノラティックな政治家はアメリカでも珍しいそうだが議論自体はシリコンバレーで盛んに交わされている。一方で日本ではそもそも彼が何を言っているのかが理解されにくい。政治家だけでなく有権者も理解できない。

当ブログは常々「目的を持った議論ができる社会的文化がない」ため議論に無駄が多いと指摘している。これはテクノロジーとは関係がないが「アルゴリズム的合理主義」という意味では共通点がある。おそらくこうした考え方を持っている人も実は日本には多いのではないかと感じるのだが、なかなか政治的にはメインストリームになりにくいと感じる。

これらは単に技術や技能を覚えれば克服できる程度の問題であり、議論に疲弊するくらいなら技術を学べいいのにと考えてしまう。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

イイネと思ったら、Xでこの投稿をシェアしてください


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です