トランプ大統領にとって、「闘争」そのものが政治の目的であり、それはアメリカ合衆国における一つの日常でもある。それが「戦争」という形で外部に現れたため、世界からは異常に見えているに過ぎない。
仮にその目的がシステムの破壊であるならば、長期化する戦争は深刻な問題となる。しかし実際には、その動機は良くも悪くも個人的な性質を帯びている。結果としてアメリカ合衆国は、これまで蓄積してきた資産を消耗しながら、緩やかな自壊のプロセスに入りつつある。
したがって、トランプ大統領の引き起こした戦争が直ちに世界を破綻させることはない。しかし、崩壊過程にあること自体は否定できない以上、問題はそれをいかに封じ込めるか、あるいはどのように影響を受けるかに移る。
この状況は、損傷したビルや原子力発電所に喩えることができる。原子力発電所の事例であれば、最も重要なのは「放射性物質を外に漏らさないこと」である。すなわち、完全な修復が難しい状況においては、被害の拡散をいかに抑えるかが核心となる。
では、そもそもなぜアメリカ合衆国はこのような状態に至ったのか。
アメリカは、戦後に破壊されたヨーロッパの代替生産拠点として繁栄した。しかし1970年代以降、ヨーロッパや日本が復興すると、その役割は相対的に低下する。これに伴い、製造業に支えられていた中間所得層の地位は徐々に弱体化していった。
レーガン政権期にはITや金融といった新たな産業が成長し、経済全体は維持されたものの、中間層の再建にはつながらなかった。
本来、民主主義は厚みのある中間層によって支えられる。この基盤が弱まることで、議会は次第に機能不全に陥り、「議論による問題解決」は困難になっていった。アメリカ政治は市場原理によってこの機能不全を補おうとしてきたが、そのモデルも限界に近づいている。
この意味において、トランプ大統領は原因というよりも結果である。対話が機能しなくなった社会の中で、混乱に最適化された狂った存在として現れた。
同様に、ChatGPTのような生成AIもまた、この議論環境の産物である。対立を前提とした言説や、問題を先送りしながら正当化を積み重ねる構造を大量に学習しているため、「そもそも政治とは何のために行われるのか」という問いそのものを扱うことが難しい。
したがって、アメリカ合衆国がある日突然、対話中心の政治文化へと回帰する可能性は高くない。一方で、これまでのところ、議論の機能不全や政治的混乱が直ちに国家の崩壊を招いたわけでもない。
ここで言う「トランプの戦争は大事にはならない」とは、「世界が崩壊しない」という意味である。しかし同時に、この混乱が収束し、日本がかつてのようにアメリカに依存できる状態が戻ることも期待しにくい。
我々にできることは、狂ったものを狂ったと認識しつつ、混乱に対して決して疲弊しないようにそれぞれのみを守ることなのかもしれない。

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