トランプ大統領は、温室効果ガス規制の法的・科学的根拠を撤回する決定を行い、アメリカ社会に大きな波紋を広げている。これは単なる規制緩和ではなく、これまで積み重ねられてきた行政判断の基盤そのものを否定する動きである。
トランプ大統領は、環境政策をはじめとする科学的判断を、オバマ・バイデン時代の「壮大な詐欺の一環だ」と位置づけている。具体的には、環境保護局(EPA)が行ってきた危険性認定を「終了」させる方針を打ち出した。
歴史を知る者にとって、この構図は決して新しいものではない。1966年から1976年まで続いた中国の文化大革命もまた、政治指導者が過去の失敗を覆い隠すために、専門知と制度を否定した運動だった。毛沢東は、前任者たちの科学的・経済的路線を否定し、知識人や専門家を標的として国家の知的インフラを破壊した。
最終的に毛沢東の死をきっかけに四人組は失脚したが、中国の経済と知的基盤が回復するまでには長い時間を要した。現在のアメリカでも、同様の破壊が進行しつつあるように見える。
トランプ大統領は今回の声明で、法律そのものではなく、科学的に積み重ねられてきた行政府の判断基準を撤回した。彼はそれを「オバマ・バイデン時代の詐欺」と断じている。
トランプ大統領は「環境保護局(EPA)が完了したプロセスにより、われわれは正式に、いわゆる『危険性認定』を終了する」と表明。「米国史上最大の規制緩和措置」だとした上で、「(危険性認定は)オバマ政権時代の悲惨な政策で、米自動車産業に深刻な損害を与え、米消費者が支払う価格を押し上げた」と主張した。会見にはEPAのゼルディン長官と行政管理予算局(OMB)のボート局長も同席した。
トランプ政権、温室効果ガス規制の法的根拠撤回 車の排出基準も廃止(REUTERS)
この決定により、アメリカの大気環境は悪化し、環境性能に劣るアメリカ車は世界市場で競争力を失う可能性が高い。短期的な産業支援と引き換えに、長期的な負担が拡大する構図である。
しかしながら、おそらくこれは問題の本質ではない。
トランプ政権は、現在のインフレを「バイデン・インフレ」と説明し、相互関税も減税財源になると主張している。しかし実際には、その多くはアメリカ国民の負担となる。このように、科学的・統計的根拠に基づく経済政策は、次第に軽視されつつある。
さらに公衆衛生分野でも、ロバート・ケネディ・ジュニアのもとで、従来の科学的知見が次々と否定され、根拠の曖昧な「RFK流・MAHA科学」に置き換えられている。
民主主義において、有権者が合理的な判断を下すためには、合理的で信頼できる情報が不可欠である。しかしトランプ政権下では、この「合理的基準」というインフラが破壊され、「オルタナティブ・ファクト」に置き換えられつつある。つまり、国民全体が共有できる「事実」そのものが溶解しているのである。
意外なことに、現在アメリカで起きている現象は、1960年代の中国とよく似ている。大躍進政策の失敗で権威を失った毛沢東は、修正路線を抑え込むために文化大革命を利用した。劉少奇や鄧小平路線を排除・抑制するため、紅衛兵を動員し、技師や医師、教授といった専門職を「反動的権威」として攻撃した。
構造的には酷似しているが、現在のアメリカには「経済が好調である」という違いがある。しかし、その内実を見ると、K字型格差は急速に拡大している。ロイター通信は次のように報じている。
連邦政府統計に基づくムーディーズ・アナリティックスの分析によれば、現在、全米消費支出の約半分を所得上位10%の世帯が占めている。約30年前には、その割合は3分の1程度にとどまっていた。
アングル:「K字型経済」化が進む米国消費、米企業も明暗分かれる(REUTERS)
仮にアメリカが「文化大革命コース」をたどるとすれば、政権内のリエンジニアリング志向の強い人々は、やがて改革対象そのものを失うことになる。中国では、用済みとなった紅衛兵は地方に追放される「下放政策」の対象となり、その後、多くが政治的に切り捨てられた。
これをMAGA運動に当てはめれば、「ラディカルな勢力が、制度改革志向の勢力を圧倒する未来」が想定される。
もっとも、アメリカと中国には決定的な違いがある。
第一に、アメリカ人は憲法上、政府に従わない権利を有している。軍事力による統治が正当化された中国とは成り立ちが異なる。もし各集団がそれぞれ異なる「ファクト」を信奉すれば、社会は深刻な分断状態に陥るだろう。
第二に、中国は家父長的統治が強い国家であるのに対し、アメリカでは各機関が職業倫理に基づいて行動する傾向がある。そのため、中国型の急激な路線転換が完全に再現される可能性は低い。ただし、その結果として、統一された統治が失われた「慢性的混乱」に陥る恐れはある。
第三に、アメリカには強い司法の独立性が存在する。司法は行政の暴走を抑制できるが、政策全体を統合することはできない。そのため、制度的破綻は回避されても、国家としての統合力は徐々に低下していく可能性が高い。
一部の民主党州が連携して連邦の代替機能を担う可能性も否定できないが、統一市場としての優位性は次第に失われていくだろう。
トランプ大統領の「環境問題はオバマ・バイデン政権時代の詐欺である」という主張の背景には、アメリカ社会のK字型格差がある。彼は中間層の不満を票に変換することには成功した。
もちろんK字経済化は、「アメリカ合衆国の制度疲労」を構成する要因の一つにすぎない。しかし、その格差問題すら十分に修正できないようでは、アメリカは今後、「世界の富を引き寄せる豊かなアメリカ」と「取り残される貧しいアメリカ」という、見えない国境によって分断されていくことになるだろう。
そしてその分断こそが、アメリカ衰退の最大の要因となる可能性が高い。

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