9,100人と考えAIとも議論する、変化する国際情勢とあいも変わらずの日本の行方


総選挙で「何もしない・何も変えない」ことを選んだ日本の有権者

10〜14分

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2026年2月8日の総選挙は自民党が3分の2以上の議席を獲得し勝利した。この選挙結果を巡って「日本もトランプ・アメリカ合衆国のように変質する」と危惧する欧米の報道を見かける。しかしこの手の報道を読んでも日本の政治に何が起きているのかは全く理解できない。一方で日本社会は、自らの政治行動を理論化する努力をほとんどしてこなかった。だから外に対して何が起きていたのかが伝わらない。

今回、日本の有権者は「変化」を選択しながら「何もしない・何も変えない」道を選んだと言って良い。極めてわかりにくい日本人の投票行動をデコードする。ポイントは「改革」という言葉の定義。欧米では意識と行動の変革を意味するが日本人が重視するのは気分である。

CNNは高市総理のまわりに集まる群衆をレポート。Bloombergのリーディー氏は「懸念を深める」人々に対して「高市総理は右傾化しているわけではない」と反論した。どちらも極めて欧米的な選挙結果に対する見方である。このような見方が出るのは「刷新」に対する定義が欧米と日本では違っているからだ。欧米は状況を分析し、これまでのやり方では通用しないと考えると、まず何かを変えてみる。そしてフィードバックを得ながらやり方を調整する。これが改革・刷新だ。つまり西洋の改革で変えるのはマインドセットと行動である。

しかし高市総理のメッセージを注意深く見ると。状況の分析も具体的な改革提案もない事がわかる。

第一に高市総理のメッセージは「岸田・石破」路線の否定から始まっている。岸田・石破両氏は「国家が物語を提供できる時代は終わった」のだからこれからは一人ひとりが考えるべきだと主張していた。岸田総理は「新しい資本主義」を掲げ、石破総理は「楽しい資本主義」を掲げてた。高市総理の主張はこれを国家主導の計画経済に引き戻すことだったが、選挙前にその具体策を提示することはなかった。

次に消費税減税については否定はしなかったものの、金融市場に配慮して国債の新規発行はしないと選択肢としては排除している。そのうえで「検討を加速」という独特の言い回しをしている。これは永田町用語では「検討するがやらない」という言い換えである。具体的な検討は野党も参加する国民会議で行うとしている。つまり財源が見つけられなくても自民党の責任ではないと言っている。そもそも「なぜ国会という憲法で決まった枠組みがあるのにわざわざ新しい会議体を作るのか」が理解できない人も多いだろう。

この話法は憲法改正や安全保障にも及ぶ。おそらく中国と韓国を刺激するであろう靖国神社の参拝について「理解が得られるように状況を整備する」と言っている。これは「理解が得られないから靖国神社に行かない」の言い換えだが、支持者たちに「靖国神社参拝を諦めていない」と考える余地を残す。

つまりこの3つを総論すると「高市総理はなぜ変わらなくていいのか」という理由を説明するたに「変化」という言葉を使っていることが分かる。だが、この「変わらないために変わる」というメッセージは有権者にきちんと届いている。

BBCはこれを冷静に見ている。つまり大胆な政策の中身が全く議論されていないのに、高市総理は勝利を収めたのである。そもそも国民に変化を訴える機会であるNHKの党首討論の参加もキャンセルしている。週刊誌などでは2日ほど前から準備をし始めたという報道もある。

ただ、「大胆な政策」についての議論は深まらなかった。自民党と維新の連立政権発足直前に発表された連立合意書では、防衛力の抜本的強化、スパイ防止法の制定、憲法改正、国旗損壊罪の創設、外国人政策の厳格化などの政策が並んだ。だが選挙戦では、高市氏がこれらの政策を前面に出して有権者に訴えかける場面はほとんどなく、「責任ある積極財政」などに主張の力点を置いた。NHKの党首討論番組への参加も直前にキャンセルした。

おそらく今回の「変わらないために変える」というやり方は日本のためにならないだろう。文化的に理解可能だからといって合理的で持続可能だとは全く評価できない。

例えば、従来の中途半端な金融政策の継続は円安と中途半端な金利高をもたらし国民生活には大きな負担を残すだろう。また日米同盟への過度な依存はアメリカ合衆国の民主主義の崩れというリスクに対するプランBを持っていない。これはボラティリティが増す中で一つの銘柄にすべてを投資するような暴挙である。さらに即興に弱い高市総理は今後も失言を繰り返す可能性が高いが、有権者が白紙委任状を手渡してしまったのだから、金融市場以外は彼女を止められなくなる。

この変わらないために変えるという手法は日本の新年儀式に見られる。日本人は年末に大きな清掃作業を行うが、もともと大祓という神道の儀式から来ている。古い年に溜まった穢れを紙で作った人形に移して燃やす。これを流し清め「なかったこと」にするのだ。そして1月になると正月用のリースを飾るが、これも一定期間飾るとそのまま燃やしてしまう。そして去年と全く変わらない新しい年が再び始まることを願うのである。安定を極めて強く重視しているともいえるし、変化を恐れて先延ばしにしていると解釈することもできる。おそらく今回の「変革」は後者だろう。

ただ、変革の定義が西洋と日本で全く異なっていると理解しなければ日本の政治は読み解けない。改革で改めるのは気分であり行動やマインドセットではない。

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