プレスクール帰りにうさぎのお帽子を被ったままICEに拉致され囮に使われた(当局は否定)リアム・コネホ・ラモスくんが保釈されミネアポリスのおうちに帰った。裁判所の判事は聖書の一節を示して「子供がこんな目に合うべきではない」と主張している。
楽しいお友達との時間を過ごし青いうさぎの帽子とリュックを背負って帰ってきたリアム・コネホ・ラモスくんは突然ICEの怖いおじさんたちに連れ去られた。母親は止めようとしたようだが近所の人々から「家から出ると一緒に連れてゆかれる」と制止され子供を手放すしかなかったそうだ。
裁判所の見立てによると背景にあるのは厳しい強制捜査のノルマだった。
リアム君の件の発端となったのは、「1日あたりの強制送還ノルマを追求する政府の思慮に欠けた、ずさんな施策であり、子どもの心に傷を負わせることさえいとわないように見える」とビアリー判事は指摘。「人間の行動を見れば、歯止めなき権力を求める一部の者の不誠実な欲求や、その過程での残酷な仕打ちには限界がなく、人間的良心も欠けていることが分かる」と記し、「法の支配など顧みられていない」と断じた。
米裁判所、ICEに拘束された5歳児と父親の釈放を命令(CNN)
今回のICE捜索は「正義(=愛国心)と正義(=憲法秩序)のぶつかりあい」という側面がある。しかし一皮むけば選挙キャンペーンのために成果を強調したいトランプ大統領が無理なノルマを設定しこれが過激化していることが分かる。
つまり子供をイジメることが選挙キャンペーンになっている。政治家は効率よく苛立ちから票を搾り取ることができる一方で合理性は倫理観は「紙くず」のように扱われている。そしてその時に語られる言葉こそが「正義」なのだ。
今回の保釈決定の命令文には普段は見られない聖書のセクション番号が添えられていた。調べると次のような意味を持っているようである。
- マタイ福音書19章14節。
- イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。
- ヨハネ福音書11節35章。
- イエスは涙を流された。
この極めて異例な聖書の言及は「現在正義の名のもとに行われている行為は(これはICEだけでなく抗議運動も含まれているのかもしれないが)」道徳的に「どうかしている」と言う指摘である。合衆国では過去何度もこうした正義の衝突が起きている。
一方でこれは単に道徳的に心を痛めているという表現でもなさそうだ。つまり、今回の事件を振り返ったときのために「裁判所はきちんと役割を果たしていた」というログを残しておくという意味合いもあるのだろう。
キリスト教が子供を重要視するのは、様々な智慧を身につけたかにみえる大人が「実は神の道から遠ざかっている」と考えるからだ。常識的なキリスト教徒であれば、この警句を知らぬものはいない。
しかしながら現実のアメリカ合衆国の有権者は様々な諸問題を直視できていない。だからこそ隣人を指さして「問題が起きているのはすべてあいつらのせいだ」とお互いにに罵り合っている。
次の「涙を流された」という発言はそもそも議論によって相手を論破するのではなく「相手に共感し立ち止まって考えろ」ということなのであろう。正義を振りかざすのはやめなさいと言ってる。
しかし一旦暴走を始めた正義は容易に止まらないだろう。司法副長官は提訴を検討しているという。国境肯定のトム・ホーマン氏は撤収は降伏だと強い調子で作戦の維持を主張している。
なお何も知らないままで国家権力に拉致され(当局は否定)母親から引き離され2000キロも離れたテキサス送りになったリアム・コネホ・ラモスくんは保釈され、民主党議員に保護されて、ミネアポリスのおうちに戻ることができた。写真にはピカチュウの写真も写っている。おそらくラモスくんは自分の身に何が起きたのかは理解できていないのではないかと思う。彼はピカチュウが好きなどこにでもいる5歳の子供なのである。彼が温かいおうちで、大好きな家族に囲まれ、お友達と何の心配もなく遊べる日が再びやってくることを願わずにいられない。

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