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日本人ファーストを利用して自民党を救おうとする高市政権の底しれない罪深さ

14〜21分

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読売新聞によると高市総理と参政党が躍進しているという。若者の間で外国人排斥の機運が高まっているからというのがマスコミの説明だ。しかしなぜ外国人排斥の機運が高まっているのかがよくわからない。そこで自分の中にあるネガティブな感情を掘り下げてみることにした。

自分の疲労感を起点に論を広げてゆくとこれまで知られていなかった脳疲労型差別の輪郭が見えてくると同時に、これを集票に利用する底しれない罪深さが言語化できる。そしておそらくこうしたネガティブな感覚を持っているのは若者だけではないだろうと思う。都市部やネットを中心に局所的な選挙荒らしが増えているそうだ。

余裕の無さで脳に生じるタールボール

まずは自分の中のネガティブな感情を観察する

時間的・経済的にギリギリの生活をしていると、スローな人たちが許せない気持ちになることがある。これはかなり入り混じった複雑な気持ちだ。自分たちがギリギリでやっているのにペースを乱されたという気持ち、ギリギリでやっている周りの人たちとの一体感、なぜこの人だけ特別扱いしなければならないのかという苛立ち、にも関わらず自分のニーズを忖度してくれる人がいないという絶望感が、分解されないまま黒いタールボールのように固まっているのが分かる。

こうした感情は「返報性の法則」で説明できる。リソース不足で意志の力(=前頭前皮質)が疲弊する中で、期待すべき報酬が得られないといういらだちは自分への罰として機能する。そして自分に対して課せられた負債を他人にも与えたくなるのだ。更にこれまでの自分の我慢という負債という埋没費用に対する執着、予測不能なものに対する苛立ちなどが複雑に絡み合ってタールボールが形成されるものと考えることができる。

序列型の差別とは違うアレルギー性差別症候群

これを延長して考えると別の視点が見えてくる。日本の外国人排斥は中国人や韓国人などを自分たちより一等劣ったものと考える「序列を付けたい気持ち」が元になっていると考えられる。しかしそれ以外に余裕をなくした人々が「アレルジックに異物を排除したい」という気持ちもあるのではないか。

しかしそれを「外国人差別」と呼ぶのには少し違和感もある。またここで「外国人に優しくするべきだ」などと言われてもとても異物に優しくするような気持ちにはなれないだろう。さらにこれは厳密には序列の問題ではないのだから「日本人ファースト」が徹底されたとしても苛立ちは解消しないはずだ。

間違った回路の形成

報酬を得ようと間違った行動を繰り返しても喉の渇きは癒えない。これがさらなる苛立ちを生み日本人ファーストという運動はさらに苛立ちの連鎖を拡大させるだろう。

報復コストが低いSNSがもたらした報復依存症

QuoraなどのSNSでの経験では「個人」としてこのいらだちをぶつけると、言語化されないまでも得体のしれない孤独と疲弊感を感じ、活動をやめてしまう人が多いようだ。自分の主張が社会的な孤立=コストを生むと気がつくからだろう。しかし匿名化されたSNSや投票によって生じるコストは比較的小さい。高市早苗総理のメッセージに突き動かされ、参政党のような政党に一定の支持が集まる背景にはこんな事情もあるのかもしれない。

実はユニバーサルなアレルギー型差別

アメリカ合衆国においても、生活上の余裕の欠如に起因する「アレルギー型」と呼ぶべき差別的排除感情は、すでに複数の研究分野で観測・分析されている。ただしそれらは、従来の人種差別や排外主義の研究とは異なる文脈で扱われてきたため、単一のラベルとして統合されるには至っていない。

一方で、満たされない感情や慢性的な負荷がどのようにして怒りや排除衝動へと転化し、集団的な行動や政治的選好として表出するのかというメカニズムについては、分野横断的に一定の合意が形成されつつある。また、認知負荷の軽減や予測可能性の回復といった、限定的ではあるが有効性が確認された処方箋も提示されている。

しかし処方箋が出ているにも関わらずアメリカ合衆国の政治は過激化の一途だ。処方箋を示すより目の前にある怒りを票に変換するほうが簡単だからだ。

局所的な炎症から全身炎症へ

アレルギー性の排除反応は、社会の中に潜在的に存在し続け、通常は社会的規範や制度、対人関係によって抑制されてきたと考えられる。しかし、それが一定の規模や密度を持つと、怒りや不満が政治的動員のエネルギーへと変換され、実効性を持ち始める局面が生じる。これは、免疫反応が過剰に働き、かえって炎症を拡大させてしまう状態に近い。第二次世界大戦前のドイツを引き合いに出すまでもなく、これまでも繰り返し同じようなことは繰り返されてきたのだろう。

日本はアレルギー性慢性疾患の初期段階だが

日本社会が現在どの段階にあるのかを断定することは難しい。しかし、外国人差別を単に序列化欲求や特定の思想の問題としてのみ捉え続けるならば、社会的疲労を背景とした排除反応の蓄積を見誤り、結果としてアメリカで可視化されたのと同種の状況に近づいていく可能性は否定できない。

神戸ではアレルギー性の選挙運動が行われている

そんな中で見つけたのがこの記事だ。候補に罵声、演説「聞こえない」 おびえる聴衆、事前告知見送りによると神戸市で吉村洋文知事に対して「帰れ」コールが浴びせられた。維新が兵庫県政治をめちゃくちゃにしたという気持ちがあるのだろう。警察官と揉み合いになり「選挙演説が頭に入ってこない」騒ぎになったそうだ。立花孝志氏はすでに政治の表舞台に顔を見せなくなっているが免疫細胞たちはまだ活動を続けている。おそらく選挙が終了した時点でこうした騒ぎも可視化されどの程度の広がりを持っていたかが明らかになるだろう。

SNSでは自民党純化運動も

アレルギー性政治に着目するとXのトレンドまとめにも別の側面が見えてくる。一部の支持者たちが自民党の中にいる「高市派・反高市派」を勝手に識別し、反高市派とされる岩屋毅候補を攻撃している。これも異物排除と言う免疫機能の暴走だ。

裏金議員排除運動も「アレルギー性」なのではないか

ここまで考えると裏金議員排除も実はアレルギー性の側面があるということに気付かされる。日本には様々な過激化した免疫細胞があり、自分たちが勝手に異物認定したものの排除を求めている。旧統一教会問題を抱える高市総理もまた一部の人達から排除されるべき要素を持っている。

日本ファーストを集票に利用する高市総理の選択は間違っている

その意味では、本来炎症を鎮める役割を果たすべき高市政権が「働いて働いて働いて働いて働いて」と余裕を奪うマインドセットを維持し、日本人ファーストを利用して自民党を窮地から救い出すための転換装置に利用している現状は亡国の一手と言えるだろう。しかし高市総理が有権者から期待を集めれば集めるほどそれが実現しなかった時の反動は大きくなる。

この状況は、世論が一斉に高市支持から反高市へ転じるといった単純な反転では説明できない。むしろ、社会全体が慢性的な免疫過剰状態に入り、それぞれの免疫細胞が局所的な違和感に対して独立に反応している状態に近い。裏金議員の排除も、高市支持や反高市の言説も、共通の司令塔に導かれた運動ではなく、制御を失った免疫反応が各所で同時多発的に起きている結果である。人体で言えば、明確な病原体が存在しないにもかかわらず、炎症だけが全身で持続している慢性自己免疫的な状態と言えるだろう。

高市総理は日本を再び元気にするどころか日本に免疫過剰型炎症社会を作り出そうとしているのかもしれない。

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