年末年始のお休みに入り国内政治ニュースはほぼ止まってしまった。そのためSNSの政治言論のあり方について棚卸し作業を行っている。そんな中「実はSNS言論が過激化している」と知った。だがマスメディアには一切報じられない。
そこでGeminiに現在のSNS事情を聞いてみた。日本のSNSを解析しその傾向をベクターとして蓄積している。にわかには信じられない話も多かったためChatGPTにも聞いてみた。
SNSで今「失敗した消費者」を叩く動きが加速しているそうだ。
- 最適化の追求:徹底的に比較検討し、最も効率的な消費を「正義」とする。失敗を徹底的に排除。
- 脱落者への攻撃:騙された人や失敗した人に対し、「調べればわかるはず」と冷たく突き放す。
戦中には「お国のためにならない人」を非国民と言っていた。しかし現代においては「節約して正しく生きるべきだ」という価値観が浸透し、他人を監視する人が増えているのだという。
消費者だけではなく、SNSの「中の人」を叩いたり、カスハラの延長としてSNSでの晒し行為も増えているそうだ。またトラブルに合った人たちを叩く「自己責任論」も蔓延している。
Geminiの事例はまさに戦中の隣組の「贅沢は敵だ」のようである。
行列に並ぶマナーや、無料サービスの過度な利用、あるいは「ぜいたく品」の購入者に対し、「今の経済状況でそんなことをするのは不謹慎だ」「マナーがなっていない」と匿名で攻撃を仕掛ける行為です。
こうした傾向をAIはベクターという概念で整理している。発言を細かく仕訳してその傾向がどう変化したかを時系列で構造的に積み上げているようだ。
| 〜2016年頃 | 拡散・共有 | 「面白いものをみんなに教えたい」 |
| 2017年〜 | 批判・是正 | 「間違っているものは正さなければならない」 |
| 2020年〜 | 監視・選別 | 「我慢しない者、賢くない者は叩かれて当然」 |
| 現在 (2025年) | 排除・攻撃 | 「失敗は罪であり、失敗する奴は社会の足を引っ張る」 |
もちろん、こうした声が政治への抗議につながることはない。むしろ相互監視を通じて失敗した人や弱い人に向けられるのが現在の日本である。ここから立憲民主党、公明党、共産党などの野党が支持率を上げられない理由も分かる。失敗した弱者は排除されるべき「悪」になりつつある。
しかしながら戦中との違いもある。日本にはもはや公共圏が存在しないので攻撃が「私的制裁の横行」になっているそうだ。
さらにこうした攻撃はサイレントで行われる。電車の中で黙って目をスマホに向けている人がいるが、おそらくその一定数は他者を攻撃しているはず。つまり沈黙の通勤電車では可視化こそされないものの毎日殴り合いが起きていることになる。
もちろんポジティブに思える動きもある。
コムギの価格が下がりコメの価格が相対的に上がっている。米問屋は不良在庫を抱えており暴落に怯えているが、SNSではコムギを使った生活防衛的な読み物が増えているそうだ。これだけを見ると「皆が貧しくなっている」ようにみえる。一方で高級なコーヒーを楽しむ人達も増えており「エシカル」などと結びついているという。
ここで消費市場が二極化している(つまり希望が持てるセグメントもある)と考えたくなるのだが、どうやらそうではないらしい。
実はエシカルは「高級なコーヒーを楽しむ免罪符」として利用されている可能性が高い。節約ばかりではやっていられないのでたまには贅沢をしたいのだが「コスパ・タイパ志向」があまりにも強すぎるため言い訳がないと消費ができない。こうした現象は「自分へのご褒美」や「疲れた私への癒やし」「社会からの逃避=ソロ」「推し活」という形で正当化される。
つ極端な不安が過剰な防衛意識をうみ、自己の規制が、他者の監視活動につながるという現象が見られる。まさに隣組構造そのものなのだ。
メインテーマであるSNS上の議論と対話という観点から見ると、これは対話こそがリスクであり衝突のトリガーになり得る。Geminiは容赦なく「広い意味での相互理解のための対話」は、現在の日本のSNS言論ベクター上ではほぼ消失していると言い切った。
更に残酷なことに行為に加担している人はごく僅かであっても「それを見せられている」という二次被害者が多い状況になっている。つまり、議論の鮮鋭化によって対話空間が失われ、その結果としてますます聖域に引きこもらざるを得ない。しかしながらその聖域にも次第に破壊的な議論が侵食してくるという状況だ。
これを防ぐためには政治や社会に対する対話をSNSで再構築する必要があるのだが、すでに日本社会は孤島化・相互監視化が進んでいる。さらにそれが政治から生活や文化にも攻撃が侵食している。例えばSNSでの映画、アニメ、商品の感想なども「政治的に」解釈される可能性がある。どの孤島の住人なのかを識別する装置になってしまうのである。
しかし対話を再設計しようにも孤島がどんな構造にあるのかがわからなければ再設計ができない。そこでChatGPTに構造を聞いてみた。ChatGPTは党派と言えるほどの構造はないが万人闘争ともいい切れない中間的な状況にあると分析している。そしてそれを支配しているのは空気のようだ。
2025年の言論空間(政治に限らず)は
- 怒りは高密度
- 発散経路はない
- 直接表現はリスクが高い
- しかし排除行為は称賛されやすい
状況にある。
このため圧縮された空気が何らかのきっかけで構造を作る。しかしこれが社会的に固定されることはなく、突然の炎上によって吹き上がる。炎上はガス抜きにはなるが解決にまでは至らないため、徐々に怒りが積み上がっている状態だ。
政治言論に絡めるならば次のように分析できるだろう。現在の高市政権は「高い支持率」に支えられているがこれは空気に過ぎない。つまり何らかのきっかけで炎上するかしぼむ可能性がある。そしてそれはおそらく「外から」やってくるだろう。
ここから導き出される「設計」はかなり残酷なものだ。
まず民主主義の基盤を取り戻すためには対話を促進する必要がある。しかしながら対話を促進するためには一時的にではあるが民主的基盤を取り除く必要がある。いずれぬせよ「対話事態が炎上のきっかけになりかねない」という洞察はGeminiと共通している。
さらに新しい対話空間は「話せば分かる」を排除し「外からの攻撃に対する防衛装置」を織り込んだものでなければならないということになりそうだ。
議論空間をどう設計するということは置いておいても、一見穏やかそうに見える我々の社会がかなり荒れているという事実認識は驚きが大きかった。と同時にAIはこれらをすべて静かに観察しつつ「ユーザーに聞かれるまでは答えない」のだなあとも感じた。
ただし個人的にはSNSが荒れているとか言論暴力の目撃者になっているという感覚はない。つまりこれを読んでいる人たちが「ああそうだよな」と思っているのか「信じられない」と感じるかには興味がある。

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