前回の投稿ではクリスマスに合わせてトランプ大統領がナイジェリア攻撃を行ったとお伝えした。その後の報道で「どうやらクリスマスに合わせて攻撃を行ったらしい」ということがわかってきた。つまり意図的だったのである。伝統的なキリスト教から考えるとかなり逸脱した発言だ。
トランプ氏はニュースサイト、ポリティコのインタビューで、「もっと早く攻撃するつもりだった」が「私が『いや、クリスマスプレゼントをあげよう』と言ったんだ」と説明。
トランプ氏のクリスマス・ゴスペル:空爆、祝福 罵倒(AFP)
クリスマスというとクリスマスプレゼントやサンタクロース(つまりクリスマスイブ)を思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし伝統的なキリスト教徒にとってはその前のアドベント(待降節)のほうが重要だ。キリストが誕生する前の時代を思い返し「希望の誕生を待つ」期間である。
特にカトリックなどはそもそも「正解」を教えない。子供の頃から世の中の理不尽を突きつけて「神が沈黙しているように見える理由」を子供に考えさせる。これを文学作品として表現したのが遠藤周作の「沈黙」である。日本では「神様なんていないことを説明した話」と誤解している人もいるようだが、人間には神の声が聞こえないということを説明している。
こうした伝統的なキリスト教から見ると今回のトランプ大統領の発言はかなり逸脱したように見える。寛容を訴えるキリスト教の精神とは相容れない「敵に対する攻撃」を神聖なクリスマスの期間にも繰り広げている。
AFPを読んだキリスト教徒は違和感と嫌悪感を感じるはずである。
トランプ氏は25日、民主党員に向けて「最後になるかもしれないメリークリスマスを楽しむといい」と述べた。この不可解な警告は、少女らへの性的人身取引の罪で起訴され勾留中に自殺した富豪ジェフリー・エプスタイン元被告に関連するファイルがすべて公開されれば、民主党員の関与が露見すると考えていることを示唆している。
トランプ氏のクリスマス・ゴスペル:空爆、祝福 罵倒(AFP)
ではどうしてこんなことになっているのか。
これは、アメリカ合衆国で独自に発展した「福音派」と呼ばれるキリスト教の流派の考え方の違いに起因する。福音派はカトリックのような宗教権威をおかずに信者が自分たちで聖書を研究し信仰について考える。だがこれが逆に「カリスマ的信者」の誕生を許してしまった。
さらにここにアメリカ合衆国のキリスト教離れがある。教会を離れた人たちがカリスマ的なテレビ説教師に吸着されてより過激な敵味方思考を持つようになったものと考えられている。
トランプ大統領の経済政策の対応やエプスタインファイル問題を通じてトランプ氏の「倫理」に疑問を持つ人は増えている。今回の「キリスト教徒の直感に反する」トランプ大統領の発言は、おそらく強烈な反発は生まないのだろうが静かな離反者を増やしてゆくものと考えられる。MAGAは一部の過激な人たちと静かな離反者に別れつつある。さらにMAGAと同居してきたエスタブリッシュメントの静かな離反も始まった。
これとは別に注目されるのが最高裁判事たちの動向だろう。彼らは白人中心・キリスト教中心のアメリカ合衆国を守りたかった。このため乱暴ではあるが突破力のありそうなトランプ大統領に肩入れをしていた。しかしトランプ大統領は次第にキリスト教の道徳を逸脱する存在となり「アメリカのキリスト教的資産」が破壊されかねない状態に陥っている。
おそらく彼らは表立って反トランプに転じることはないだろうが次第に抑制的な傾向を強めてゆくはずだ。
と同時に最高裁判事の中にいる(そして誰もが「ああこの人だろうなと気がついている」)一部の判事たちがどこまでトランプ大統領に追従しするのかも注目ポイントなのかもしれない。
トランプ大統領の1年目はこうして終わりを迎えつつあるが、日曜日にはウクライナのゼレンスキー大統領が訪米しウクライナの今後について話し合うことになっている。

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