最近、Mac・家電系のブログのテコ入れをやっている。その一環としてAI時代にふさわしいPCとは?という記事を作った。ところが結果は意外なものだった。ここから「問いを立てる力」というキーワードが浮かぶ。さらに掘り下げてゆくとアメリカでは「問いを立てる側」と「その他大勢」の分極化が起きている。
一方日本では全く異なる動きが起きている。国産AIのために多額の予算が充てられようとしているのだがこれが無駄遣いに終わりかねない。
このエントリーではこれら日米「AIまわり」について「仕事」に注目しながら観察してゆく。
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高価なPCが必要と主張するGoogleとそこそこのPCを推してくるOpenAI・Anthropic陣営
最近「AIの時代だ」とよく聞く。様々な最新事例が紹介されるので「さぞかし高価なPCが必要になるのだろうな」と考えた。
ところがAIの評価は意外なものだった。OpenAI・Anthropic陣営は「AIの導入で重要なのは問いを立てる力だ」と主張。一方でGoogleは「AIがコモデティ化すれば問いを立てる力もコモディティ化する」と主張。社内の暗黙知を構造化した企業こそ競争に勝ち抜けるぞと考えている。そのためにGoogleは暗黙知を形式知に変えるための労働者とハイパワー・ハイスペックのPCが必要だと主張する。
かつてMBA界隈で起きた「データ・パラリシス」
Googleの主張は一見正しそうに見えるのだがソリューションベースの解決には危険がある。かつてMBAの時代にはデータを集めたものが意思決定に勝利すると言われていたのだが、実際にはダッシュボードが多すぎて「何も決められない」というデータ・パラリシスが起きていた。Analysis Paralysis(分析麻痺)という症状がMBAによって加速したのである。
問いを立てる人と立てない人の極端な二分化が起きている
MBAの質の変化が起きている
しかしながらアメリカ合衆国で問いを立てる人とその他大勢の極端な二極化が起きているのは確かである。
コンサルティングファームはジュニア職を大量解雇し「少数のパートナー候補」だけを採用。企業も旧来型のMBAはもはや必要がないとしながらもAI対応のMBAホルダーを欲しがっている。
就職環境が厳しくなる中、2023年頃からはMBAに入り直す学生の数も増えているそうだ。MBAはAIを使った新しい経営について考えるカリキュラムを増やし対応している。
こうしてアメリカ合衆国の労働市場はかなり大きな再編時期に入りつつある。
グローバル企業を目指す人は意識変革が必要
本における労働市場の変化はアメリカ・大リーグを目指す人と、国内プロ野球を目指す人に二極化していると言ってよい。日本で世界を目指すような人材はこうした変化にいち早く気がつく必要がある。
後の方で言及するが日本政府が日本の国力を底上げしてくれることは「ほぼ絶対にない」と言って良い。これは意欲ではなく構造の問題なのだが、日本を揶揄しているように聞こえてしまうため後ほど丁寧に説明したい。
すべての人に開かれているからこそ残酷なAIの実態
与えられるユーザーインターフェイスは同じだが……
OpenAI・Anthropic陣営のサーバーモデルではユーザーインターフェイスはすべての人に同じように設計されている。つまりAIそのものは民主的だ。
しかしながら最近追加されたある機能によって格差が拡大しつつある。モデルが向上したことでユーザーが何を追求しようとしているかをAIが記憶してくれるようになった。このため構造的な問いかけをしている人は自分の考えを精緻化し理解を深めることができるようになっている。
一方で辞書的に利用している人にはそのような変化が起こらない。
そしてこれはユーザーの教育レベルをある程度反映している。結果的に分析型討論型のカリキュラムを取ったことがある人とそうでない人にとって「全く違う」AIが作られる。民主的でありながら極めて差別的なのが現代のAIなのだ。
グローバル系の採用者は「この人は問いを立てる人か」に着目し、求職者も「この企業は問いを立てる企業なのかを」選んでいる
同じユーザーインターフェイスを使いつつも「分かる人には分かる」という静かな分離・選別が進んでいるというのがこの話の残酷なところである。さらにこれは才能ではなく事前に受けた教育に大きく左右される。つまりある種「差別の増幅」という側面があるといえるだろう。さらに東京や地方にいながらそれに気がついた個人・企業とそうでない人や企業も選別される。前者はグローバル競争に参加できるが、後者は置いて行かれる。そして「置いてゆかれたこと」にすら気が付かない。
アメリカで起きている変化
アメリが合衆国では「問いを立てることができる人」の価値が上がりつつあるのだが、そうでない人たちにも変化が起きている。CNNによると、最初の面接がAIというケースが増えているのだそうだ。さらにエントリーシートをAIで書く人も増えている。
結果的に極めて優秀な人が「冷たすぎるAI面談に耐えられない」という事例が報告されている。
これはごく少数の「AIに問いを立てることができる人」とそうでない人の分離が起きているだけでなく、問いを立てる人から見れば「AIだろうが労働者だろうがあまり変わりはない」という時代が訪れつつあることを示唆している。
これは現代のラッダイト運動につながりかねない。
特に民主党の中には「中国に覇権を握らせないためにはデータセンターの誘致を活発に行うべき」と考える人たちと「データセンターは中間所得者の雇用を奪う」と考える人達の対立構造が生まれつつあるようだ。能力ゆえに雇用を奪われたと思いたくない人はデータセンターは電力を消費するので「地球環境に良くない」と構造を変化させAIに否定的な考えを持っている。
日本の絶望的なAI対応
着想は悪くない5年で1兆円のAI投資
アメリカの事情はわかった。では日本はどうなんだという気がする。
政府は5年かけて1兆円の予算で国産AIを開発しフィジカルAI(つまりロボット制御)を発達させようとしているようだ。
これはいくつかの点で合理的な考え方と言える。
- どっちみちアメリカの最先端AIには勝てないのだから「日本に蓄積がある分野」に予算を集中投下するのは理にかなっている。日本はかつて製造業のオートメーションで世界をリードしてきた。この潜在資産を活かさない手はない。
- 日本はこれから少子高齢化が加速する。これを補うためにも産業補助力としてのAIロボットは活躍しそうである。
- このときに労働者との競争を避け日本版AIラッダイト運動を防ぐのは正しい。
しかしながらここで重要なのは「これは成長戦略ではなく撤退戦の一部である」と理解することだろう。
撤退戦を成長物語に変換したい経済産業省
ただし政府(経済産業省)はどうやらこれを「日本版成長物語」として売り込もうとしているようだ。経済産業省の要求予算は特別会計を含む総額は25年度当初予算比49.5%増の3兆693億円となっている。そしてその理由付け「日本の生産性向上」に向けようとしている。
統計数値の見直しで23年の日本は26位と位置付けたため、順位を二つ落としたことになる。担当者は「製造業を中心に人工知能(AI)の活用拡大などが必要だ」と説明した。
日本の労働生産性28位 非正規増や円安響く(共同通信)
ではなぜこれが絶望的なのか。
まず日本のAI産業は「撤退型」である。少子高齢化の代替手段としてAIが位置づけられている。つまり生産性向上は「少ない人数で生産性を落とさないため=被害を拡大しないため」の政策と言って良い。
しかしながら経済産業省はこれを「日本の工場の生産性が向上すれば高い賃金が得られ日本は再び成長軌道に乗る」という陳腐でありふれた物語に落とし込んだ。
「在庫を持たず現地で生産する」ことが一般化した現代においてこれは全く成り立たない物語だが、国民に「今後日本は再び製造業大国になりますからもう最期のことは考えなくていいですよ」という心地よいメッセージを与えることになるだろう。高市総理の支持率が高いのはおそらくもの「物語の力」である。
成り立ったとしても大勢の労働者が雇用されることはなく、単に敷地と電力を供給しているだけだ。日本に原子力発電所を安全に建てる事ができる土地が無限にあるわけではない。
経済産業省は予算獲得のためのナラティブとして「AI成長物語」を必要としている。おそらく個人では様々なことがわかっているのだろうが集団というフィルターを通しているうちに「これまである物語に落とし込んだほうがラク」「個人があれこれ考えても仕方がない」と考えてしまっているのだろう。つまり予算をいくら使ったところで日本を成長させられるわけではない。
このことから「問いを立てる力が必要」と自力で気がついた人は黙々と自分で自分の道を探すべきなのだろうという結論が得られる。
アメリカ合衆国では多くの人やメディアが「AI脅威論」を唱え、自らが生き残るためにはどうしたらいいかを考えている。このためAI対応が進みやすい傾向がある。
一方で日本は「みんながAIに対応してから成功事例を導入すればいいや」「政府が再び成長軌道に乗せてくれると言っているからそのうち自分たちのところに恩恵が回ってくるだろう」と考える人達が一般的。この中で「自分の将来価値を上げるためにはどうしたらいいか」を切実に考えるのは難しい環境にある。

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